余命宣告

「七十八、七十九、八十。あと、二十じゃ」


 大黒が残りの時間を宣言する。大黒が二十を数え終えた時点で、博が鮫たちと結んだ契約が切れてしまう。それはつまり、大地の余命宣告に他ならない。


「ま、待ってくれよ大黒‼ もう一回……もう一回契約を――」

「駄目じゃ。契約はまだ続いとる。隼人、儂は約束を違えんと言った。即ち、如何なることがあろうと、儂が数を数え終えるまでは他んどんな約束事も受け付けん。儂とん約束っちゅうんはそういうことよ」

「そ、そんな……でも……」

「まぁ聞け、別にもう一度契約するのが駄目っちゅうとる訳じゃあない。契約が切れた後そこんガキがもう一度術ば唱えて、契約に必要な血と肉を用意できるっちゅうなら、もう一度同じ条件でやってもええっちゅうとるんじゃ。ほぅでもその合間、儂ん子分どもがあんアホガキを襲わんっちゅう保証はできんがな」


 歯を剥き出しにして静かに笑う大黒。その表情は、もう大地が間に合わないことを確信しているかのようだった。


 大黒から視線を逸らすように水の中を覗き込む。だけど、さっきまであんなにも澄んでいた水の中は鮫たちが喰い散らかした魚の血で真っ赤に染まり、中がどうなっているのかを伺い知ることはできなかった。


 どうして俺はもっと慎重に行動しなかったんだ。これだけ深い水の中を泳がなくちゃいけなかったんだぞ。どんなに大地が心臓に毛の生えた体力アホだって、簡単なことじゃない。そんなこと、少し考えれば分かった筈じゃないか。それに博があれだけの魚を呼び寄せてくれたのだから、大黒との交渉次第では百と言わず、二百でも三百でも時間を稼げたんかもしれないのに。


「ククク、三百年前を思い出すのぅ。あんクソ坊主、茂垣んやつも途中で契約が切れて、そんとき儂が腕ば喰い千切っちゃったんじゃ。まぁでも安心せぇ。あんクソ坊主は儂らんことば力任せに屈服させようとしよって気に入らんかったが、儂ぁおどれらんことは嫌っとらん。契約が切れても子分にはやらせんで、苦しまんよう儂が直々に楽にしちゃるわ」

「う、うるせぇ‼ 黙ってろ‼ そんなことさせるもんか‼ あいつはなぁ、大地のやつはなぁ、アホで馬鹿で原始人で、真面目な話をしているときだってふざけるようなどうしようもないアホだけど……あいつは凄ぇやつなんだぞ‼ お前なんかにやられる訳ないだろ‼」

「そ、そうだよ‼ 大地は絶対ここに戻って来る‼」

「まぁ、口で言うんは勝手じゃ。別に止めやせん。でもな、儂があと十数えたら、それで全部終わりじゃ。九、八、七――」


 大黒のカウントダウンが再開してしまった。


 クソッ‼ どうしたんだよ、大地‼ お前、行く前に十秒で戻って来るって言っていたじゃないか‼ それをお前、鮫に食われるなんて、そんな、そんなの、絶対に許さないぞ‼ 早く、早く戻って来て来いよ‼


 「四」。けれど、そんな思いも虚しく終わりまでのカウントが迫る。


 「三」。目を凝らしてみても、濃い血溜まりと化した水面下の様子は分からない。


 「二」。大地、戻って来てくれよ。俺はまだお前とやりたいことが山ほどあって、まだ沢山言いたいことが――。


 「一」そのとき、突如大黒の近くから気泡が立ち昇った。かと思えば、ゴボゴボと大きな泡と共に血だまりの水面が波打つと、次の瞬間、大きな水柱を立ち上らせるようにして、大地が姿を現した。


「「大地‼」」


 水中から勢いよく飛び出した大地は、宙空で僅かに静止した後、ゴロゴロと地面を転げ回り、大きな岩に体をぶつけて停止する。


「ゲホッ‼ ゴッ、ゴホッ‼ 痛ってぇ……。…………、ペッ、ペッ……血、生臭ぇ……」


 口に入った水を吐き出す大地。一度深い水に浸かってから地上に戻ったことで術が解けたからか、全身の鱗や首元のエラが消えている。


「大地、やったのか⁉」

「水晶はちゃんと置いてきたの⁉」

「…………、……あぁ……」

「あぁ、良かった~。この中凄く深いし、それに水の中が血まみれでさ。ここからじゃ全然様子が分からなかったんだ」

「……ったく、遅ぇんだよ。何が十秒で帰って来るだよ。大地、お前ちゃんと博に感謝しろよな。博があれだけ沢山魚を呼んでなかったら、お前今頃鮫に食い殺されてたんだぞ」

「……あぁ……。サンキュ……」

「もう、隼人。そういうのは言いっこ無しでしょ。全部上手くいったんだからさ。それに、今まであんなに心配していたくせに」

「は、はぁ⁉ いやいや、俺がこんなアホのこと心配してる訳無いだろ‼ 勝手なこと言うなよな‼」

「フフ、はいはい」

「………… 」


 大騒ぎする俺たちを他所に、大地は岩に背中を預けて俯いたまま、一言も喋らなかった。こいつ、どうしたんだ。いつもならガハハと大声で笑い、俺たちの想像の百倍は調子に乗るっていうのに。


「おい、大地?」

「大地、どうかしたの? もしかして、どこか怪我でも……」

「……なんでもねぇ……」

「なんでもねぇってことは無いだろ。なんだよその態度は」

「ちょ、ちょっと隼人、そんな言い方って……」

「うっせぇな‼ なんでもねぇって言ってんだろ‼ ほっといてくれよ‼」


 突然大声を上げる大地。するとすぐに、怯えるような目をして顔を伏せてしまう。そんな大地を前にして、俺と博は何が起こったのかも分からず、呆気に取られてしまった。


「まぁ許したれや。そんガキはな、こん底に閉じ込められとる“とぅてゅつぅふゅ”んガキば見てしもうたんじゃ。可哀そうになぁ。人間の、それもただのガキがあんなん見てしもうたら、そらぁタダで済むが筈は無い。むしろ良くもまぁ、そん程度で済んだもんじゃと褒めたらないかん。まぁ、頭の悪さが幸いしたっちゅうことじゃろうがな」


 まるで大地のことを慰めるように大黒が言う。大地がこうなったのは、苦痛龍の子供を見たから? そんな馬鹿な。ここへ来るまでに、俺たちは散々化け物を見てきたじゃないか。それなのに、ただ見ただけで大地がこんな風になってしまうなんて、苦痛龍の子供というのは、一体……。


「……大地……、……ッ――」


 顔を覗き込むと、大地は顔を伏せたまま、無表情のままでボロボロと涙を流していた。大地とは幼稚園の頃からの付き合いになるが、こいつがこんな顔をするのを見たのは初めてで、正直かなり動揺しているし、困惑している。


 居ても立っても居られなくなった俺は、大地の元へ駆け寄ると、屈んで大地の肩に腕を回す。するとすぐに反対側から博もやってきて、俺たちはその場で円陣を組むように肩を抱き合った。


「…………、……悪い、悪かった……。ごめんよ、大地。お前にばっかこんな思いをさせて、本当にごめん。本当は、俺が行けば良かったのに……」

「違う。違うよ、博。僕が行けば良かったんだ。蒼蓮さんに任されたからって、苦痛龍の所へ行かなくても良いんだって、本当は僕、安心していたんだ……。大地、ごめんね……」


 口から溢れてきた言葉。すると、小さく鼻をすするような音が聞こえて来た。最初の内、大地はそれを悟られまいとしていたようだったけれど、次第に隠し切れなくなって、ひっくひっくとしゃくり上げ、うめき、ついにわんわんと泣き出してしまう。そんな大地の様子に当てられてか、気が付けば俺も博も大声を上げて、その場で三人とも気が済むまで大泣きしていた。

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