アイム・ロケットボーイ!

 博の合図で俺は咄嗟に水の中へ飛び込んだ。それで、俺はここからどうすりゃ良いんだ? 息が苦しくて、こんなんじゃ泳ぐどころじゃない。そう思っていると、首の辺りがもぞもぞしてきて、何故だかだんだんと苦しくなくなってきた。


 なんでだろう。ここは水の中だし、水が入らないように手で口を塞いでいるのに、なんで苦しくないんだろう。ま、苦しくないならどうでも良いか。


 苦しくなくなったお蔭で周りを見る余裕ができると、ここはもの凄く綺麗な場所だってことが分かる。透明な水の中をあちこちから溢れて来る光がキラキラと反射して、博が呼んだたくさんの魚たちが泳いでいる目の前の景色は、まるでデカい水族館の水槽に飛び込んだみたいだった。


 魚に触ろうとすると、水の中じゃないみたいに自由に体が動く。沈もうと思っただけでも体は簡単に沈むし、浮こうと思ったならそれだけで勝手に浮かぶ。


 すげぇ‼ 俺、魚になったみたいだ‼ それに、今ならもの凄く速く泳げる気がする。それこそ今なら、隼人や博にも負けないくらいに。


 おっとっと。そうだ、そんなことをしている場合じゃない。俺は今、苦痛龍を倒す為の任務の最中だったんだ。えっと、隼人と博はなんて言っていたっけ。確か隼人から預かったリュックの中の玉を持って、底まで行って……。後は忘れちまったけど、ま、とりあえず潜ればどうにかなるだろう。


 そう思って下を見たそのとき、魚の群れを掻き分けるように、底の方からデカい鮫が三匹、ガバッと口を開けて俺の方へと向かって来ていた。まぁデカいとは言っても、鮫の親方の大黒よりはかなり小さいし、こんなの全然怖くなんて、怖くは、怖く……超ッ、怖ぇぇぇぇぇぇ⁉


 なんだこいつら⁉ もしかして俺のことを食おうとしているんじゃないのか⁉ どうしよう⁉ どうしよう、どうしよう⁉ 逃げるって言ったって、どこに逃げれば良いんだ⁉ つうかこいつら、なんで他の魚には見向きもしないで、俺の方に一直線で向かって来るんだよ⁉


 とにかく動かなくちゃと思い、俺は我武者羅にバタバタと手足を動かした。すると、俺の体はとんでもない速さで、水の中をビュンビュンとスピードを上げて進んでゆく。


 す、すげぇ‼ 体がミサイルになったみたいだ‼ これなら、あんな鮫なんてさっさと置き去りに――できる。そう思って、ちらっと後ろを振り返ると、俺からそんなに遠くない位置に、三匹の鮫はぴったりと後ろに張り付くように泳いでいた。


 な、なんだよこいつら、超速ぇえじゃん⁉ そうだ、確か隼人は、人間よりも鮫の方が速いんだって言っていたんだった‼ ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ‼ とにかく、逃げ回らなくちゃ‼


 俺は手足を必死に動かして、無我夢中で逃げ回った。すると、気付いたときには俺を追う鮫は三匹から沢山に増えていて、ちょっとでもスピードを落としたなら、すぐに噛みつかれそうな位置にまで迫っていた。後ろからカチカチと歯を噛み鳴らすような音が近付いてくる。駄目だ、このまま一直線に逃げているだけじゃ、すぐに追いつかれちまう。ジグザグに泳ぐんだ。


 俺は水中でターンすると、鮫たちの間を掻き分けて、上へ下へと逃げ回った。鮫の歯らの下を潜るように。他の魚の群れに隠れるように。でも、鮫はどこまでも俺のことを追いかけて来る。逃げる途中、大きな鮫の顎の間を通り抜けるとき、噛みつかれそうになったのを間一髪で避けたときはマジでビビった。


 それでもなんとか避けられている。と、最初の内はそう思っていた。けれど、逃げれば逃げる程、何故かだんだんと嫌な予感がしてくる。逃げようとした先に別の鮫が待ち構えていて、しょうがなく他の道を選んでいると、その度に、こんなにも広い水の中がどんどん狭くなっているように感じた。


 思い出した。確かこれ、前に隼人や博と将棋で遊んだときの感覚に似ている。駒の動かし方は同じ筈なのに、いつの間にかどこにも逃げる場所が無くなっていて、最後は――あっ、これ、食われ――逃げられな――ヤバ――。


 俺の四方八方は鮫に囲まれていた。逃げ場は無い。次の瞬間にはかじられている。そう思ったそのとき、水の中に衝撃が走った。するとあと一歩というか、あと一泳ぎで俺に届きそうだった鮫たちは泳ぐのを止め、その場で留まっていた。


「…………、おい、どうしたんだ? もしかして、具合でも悪いのか?」


 なんだか心配になって、目の前のひと際デカい鮫に話かけてみる。おぉ、そういえば俺、水の中なのに声が出せるぞ。なんてことを考えていると――。


「……チッ、命拾いしたな。おい、行くぞ」


 目の前の鮫は俺にそう言って、他の鮫を引き連れるように離れて行った。こいつら、どこへ行くんだろう。そう思ってこいつらの行方を目で追っていると、鮫たちは突然周囲の魚を襲い始めた。すると、水の中はあっという間に魚の血で真っ赤に染まり、むせ返るような血なまぐささに、俺は具合が悪くなってしまいそうになる。


「うっ……血なまぐせぇ……。あっ……」


 あまりの気持ち悪さに血で染まっていない場所を探していると、底の方はまだ水が透明なままなことに気付く。そうだ。俺はこの水晶を持って水の底まで行かなくちゃいけなかったんだ。


 当初の任務を思い出した俺は、魚の血の匂いから逃れたいこともあって、すぐに水の底を目指すことにした。確か前に隼人が言ってたっけ。こういう場合、“虻蜂あぶはち取らず”って言うんだって。

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