裏話と三つ目の理由
隼人たち三人がこの場から去ってより暫し。残っているのは、蒼蓮の白骨遺体と流れる水の音だけ。そんな中、どこか遠くから、コツコツという音とペタペタという二つの相反する足音が一つとなって、この場所へと近付いて来る。
足音の主は、長身痩躯でボサボサ髪に、瓶底のような厚いレンズの眼鏡をかけた男。紺ノと名乗った男だ。紺ノは歩く度にズレる眼鏡の位置を直しながら、蒼蓮の遺体が座るその場所まで一直線に向かって歩いて行く。そうして男は蒼蓮から数歩離れた所に立つと――。
「なーんだ、まだ完全に消えた訳じゃないんだね」
『ふん。なるほど、お主があの三人を
消えた筈の蒼蓮の形を成して、まるで汚い物でも見るかのように言葉を返す。
「はっ、何が魂の形だよ。お前たち人間は、事ある毎にそんな抽象的なことしか言えないんだもんね。全く、反吐が出そうだよ」
『あぁ、お主のような醜悪な化け物には分かるまい。肉体の中へ宿る魂の在り方、その尊さを。まぁ、語って聞かせるだけ無駄というものか』
「バーカ! そんなことを言ってるから、お前は三百年前に負けたんだろうが! あぁ、三百年も経つと、脳も腐って無くなっているだろうから、それも仕方ないことだよね」
『見方を変えるならば、その三百年、幾度も機会があったにも拘わらず、お主ら深きものどもは苦痛龍を復活させられなんだということになるがな』
「ククク、だから今回は僕が来たんだよね。海の底で偉そうにしているだけの老害たちにはもう任せておけないからさ。事実君たち人間は、三年前に僕の術中に
『……三年前、苦痛龍が復活の兆しを見せていたように思わせたのは、お主の術中だったか……』
「ピンポーン! 大正解! 三年前に村でガキを攫って嘘の交渉をしたのも、“
『……二つ、聞きたいことがある』
「ハハハハ! ククッ、フー。どうぞ、何なりと。今更何を聞かれたって、消えかけのお前とあのガキ共じゃ何もできないだろうからね」
『ならばまず一つ。どうやって苦痛龍を復活したように見せかけた。あれは紛うことなく、苦痛龍の気配だった筈』
「あぁ、それはこれを使ったんだよ」
そう言うと、紺ノはクリップでまとめた何枚かの薄汚れた紙のような物を取り出した。
『――ッ⁉ それは、まさか……』
「そうだよ。君が螺湮城本殿と呼んでいる魔導書、ルルイエ異本のより原本に近い物の断片さ。これを使って、疑似的に御子様を復活したように見せかけたって訳。ま、そのときかなりの魔力を使っちゃったから、この本を介した大きな術はもう使えないんだけどね」
『……そんな物を、持ち出してくるとはな……』
「手に入れるのに苦労したよ。何せこれを持っていたのは、“財団”所属の魔術師だったからね。あっ、三百年間もこんなところに座りこけていた君には何のことだか分からないだろうけど」
『……ならばもう一つ。先ほどからお主は苦痛龍のことを“御子様”と呼んでいるが、それはどういうことだ』
「うんうん、それはね――」
***
『なんだと⁉ あれほど強大な力の持ち主が、そんな、まさか……』
「ハーッハッハ! そうそれ! その顔が見たかったんだよ! どうだい、驚いたかい⁉ 君たちがやってきたことが如何に矮小で、愚かで、そして無駄だったってことがさ!」
『……いや、得心がいった。なんとはなしに、そうではないかと思う節があったのだ』
「あぁ、そうかい。ま、結局君たちがお終いなことに変わりは無いからね」
『それはどうかな』
「……なんだって?」
『お主のその言葉で拙僧は人類が、否、あの三人が勝つことを確信したぞ』
「……フン。強がりを言いやがって」
『強がりなどではない。今日まで大きな疑念を抱いていた。三百年前、拙僧があの怪物と対峙した折に覚えていた違和感。もしもあの書に書かれている通りならば、こやつはまだ真の力を隠しているであろうと。だが、その疑念は晴れた。礼を言うぞ。お主のお蔭だ』
「――ッ‼ 人間の残りかすが‼ 馬鹿も休み休み言えよ‼ 我ら深きものが、御子様が、お前ら矮小な人間どもに負けることなどある筈が無いだろうが‼」
『そう言えば、伝え忘れておったな』
「……はっ? 何を言って――」
『いや何、あの三人を選んだ三つ目の理由を伝え忘れたというだけのこと。まぁこれは言わずとも良いというか、ただ拙僧がそう感じただけのことだったのだがな』
「だから、お前はさっきから何を言って――」
『“
蒼蓮のその言葉に、怒りと焦りの感情が浮かんでいた紺ノの顔に恐怖の色が浮かぶ。
『拙僧の供にして、最大の友。一切の術の才を持たずして、その
「だ、黙れ‼ な、何が鬼人だ‼ そ、そそ、そんな三百年も前のおとぎ話など、魂など、こ、怖くなんて――」
『
紺ノの言葉を遮るように、素早く印を結び呪文を唱える蒼蓮。すると、光の塊が紺ノの体を包み込んだ。
「ぐ、ぐあぁぁぁぁ⁉ き、さま……な、何を……」
『何、ちょっとした術を掛けたのよ。拙僧の残り少ない力では真正面から撃っても弾かれておっただろうが、心を乱した今のお主ならば、充分に効かせられると確信したのでな』
「ひ、卑怯ものめ‼」
『三年前、拙僧らを騙したのはお主が先だ。これで相子というものであろう』
「な、何の術を掛けた⁉ 言え‼」
『さぁて、何の術かな。残念ながら、それを答える前に迎えが来たようだ』
蒼蓮の体は光が霧散するように溶け始め、みるみるうちに姿が薄くなってゆく。
『微かな疑念が未練となり、尚も拙僧をこの場に留まらせたようだが。どうやらそれも終わりのようだ。最後に拝む面がお主になったことは無念ではあるが、まぁ、それも人生というものよ』
「ま、待て‼ 俺に掛けた術を解け‼」
『さらばだ、深きものよ。死して行く場所が違う故、これが今生の別れとなるだろう』
そう言うと、蒼蓮の体は今度こそ完全に消え、傍に座っていた蒼蓮の白骨遺体も光となって天へと昇って行き、紺ノだけがこの場に残された。
「…………ッ‼ クソ‼ クソッ‼ クソォォォォォォ‼」
蒼蓮のいた場所を踏みつけ、怒号を上げる紺ノの声。その声は洞窟の中へと響いてゆくが、先を進む子供たちの耳には届かないだろう。
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