さらば、小さくも勇敢なる者たち
『やはり、拙僧の考えに狂いは無かったようだ』
不意に、俺たちを見ていた蒼蓮さんが小さく言葉を溢す。
「おっ、何か言った?」
『ん? あぁ、いや……ただの独り言だ、気にするな。さて、願わくばこうしていつまでも語らっておりたかったところだが、残念ながら我らに残された時間はそう長くはないようだ。見よ』
「それ、どういう……って、わっ⁉」
蒼蓮さんが指を差した方を向くと、俺たちの足元を流れる水の量が増えていることに気が付く。水の出所を探ろうとすると、洞窟中のあちこちから溢れ出した水が壁や床を伝い、今まで俺たちが歩いていた通路の方へと流れて行っているようだ。根拠は無いけれど、この水はきっと苦痛龍のいる場所へと流れ込んでいるのだと、俺はそう直感した。
「これってまさか……」
『あぁ。恐らく、苦痛龍の復活が近いのであろう。口惜しいが、そろそろやらねばならぬことをやるとしようか。さあ博、これを』
そう言うと、蒼蓮さんは手に持っていた和綴じの本を博に差し出す。
「あの、これの使い方って、僕はどうしたら……」
『拙僧が教える必要は無い。魔術を行使する為の機構が芽生えた今のお主ならば、手に取っただけで必ずその書が導いてくれる。お主はただ、その書が導くまま応えれば良い』
蒼蓮さんから博に本が手渡されると、手の中の本が光り輝き、体の中に溶けるようにスッと消えてしまった。
「えっ……消えちゃったぞ?」
『案ずるな。拙僧が今手渡したのは、書、そのものにあらず。それを持つ為の権利を形にしたものだ。これで博はこの書に書かれた全ての術を行使することができるであろう。そしてもしものときのため、二人にもこの空間にいる合間は、部分的に術が使えるようにしておいた。無論、もしものときなど起こらぬに越したことは無いがな』
「でも、その本はどこにあるんですか?」
『間もなく拙僧の力が途絶え、この場から消える。その後、拙僧が立っているこの場所を調べるが良い』
「消える……それって、まさか……」
それは、死ぬということだ。魂だけの存在、つまりは幽霊の死がどういうものなのかなんて、俺たち子供には、いや、例え大人にだって知る由も無いことだろう。だけど漠然と、それが怖いことなのは理解できる。
もしも死に直面しているのが俺自身だったなら。大地や博、或いは両親だったならばと思うと、居ても立ってもいられない。大地や博も俺と同じことを考えているようで、何も言えず、俯いたまま黙ってしまっていた。
『子供が何をそんな顔をしておる。拙僧の体はとうに滅び、ただ魂だけがこの場に捕らわれただけの存在だ。むしろ魂までもが消える前に、お主らのような者が現れたことは大変な幸運だった。何せ、
蒼蓮さんのその言葉を受けて、大地は天を仰いで歯を食いしばり、博は俯いて顔を覆い隠す。それに釣られて俺も目と鼻の奥がジンと熱くなってしまい、咳き込んでどうにか誤魔化そうとした。
『さて、そうだな。我らに残された猶予もあと幾ばくか。さりとて別れの言葉を交わすのに、さらば坊ら! では味気もなかろう。そこでどうだお主ら、最後に改めて名を名乗りあわぬか?』
「自己紹介か‼ いいな‼ やろうやろう‼」
鼻をすすって腕でゴシゴシと顔を拭くと、真っ先に大地が名乗りを上げる。本当にこいつは立ち直りの早いやつだ。そう思っていると――。
「あの、じゃあその、僕から」
意外にも、いの一番に博が名乗りを上げた。
「おい、一番は俺からだろ⁉」
「いや、でも僕、さっき助けてもらったときのお礼も言ってなかったからさ……」
「そ、そっか……。ならしょうがないな‼ よし、今回だけ特別に一番を譲ってやるぜ‼」
「うん、ありがとう。あ、僕、石岡博です。蒼蓮さん、さっきはありがとうございました」
『うむ。博よ、お主は自らの弱さを知っておる。しかし誰であれ、弱さを持たぬ者などおらず、それに気付く者とは存外に少ない。故に自らの弱さを知っているお主のそれは、困難を打ち破る鍵となるだろう。拙僧が言うまでも無いが、苦しいときは友を頼れよ。良いな』
「は、はい!」
「よし、じゃあ俺の番だな‼ 俺の名前は佐藤大地だぜ‼ 色々とありがとう‼ これからもよろしくな‼」
「いや大地、この話の流れで、これからよろしくも無いだろ」
「おっ? そうなのか? でもさ、なんかその方が良いじゃねぇか‼」
「……ま、お前らしいっちゃらしいけど」
「うん、そうだね」
『大地よ、お主のその溢れ出んばかりの活力、魔のものにも臆さず前へと進むその有り様は、友らを力強く鼓舞するだろう。だが、時にはその場に立ち止まり、頭を悩ませることもまた同じくらいに必要だ。今は分からずとも、それを心に留めておくのだぞ』
「おぉ‼ なんのことか分からねぇけど、そうするぜ‼ ほら、隼人の番だぞ‼」
「……あー……、俺、梅原隼人です。あとは別に、特に言うことも無いかな」
「なんだよ隼人、ノリ悪いぞ‼」
「うっせ。こんな状況でノリが良い方がおかしいだろ」
『隼人、お主は周囲の意志を酌み取れる実に聡い子供だ。ただそれが故、自らの考えを殺して視野を狭め、意志を曇らせて踏み出す一歩を遅らせることもあるだろう。この先、お主はきっと幾多もの選択を迫られる。ならばそのとき、誰の意志でもなく、己自信がどうしたいのか、何を欲しているのか、他の誰でもなく、自らに問いかけてみるのだ』
「…………、まぁ、話半分くらいに聞いておきます」
『うむ、それで良い。では改めて、拙僧の名を名乗っておこうか。拙僧の名は茂垣蒼蓮。苦痛龍に敗れ、三百年もの間この地に留まり続けた亡霊だ。三百年、ただひたすら孤独なまま、耐えるように苦痛龍復活を阻止すべくこの場に留まり続ける一方で、いつしか訪れる終わりを恐れていた。が、こうして最後を前にしてみれば、拙僧の心は実に穏やかだ。それは
穏やかな表情、優しい口調で蒼蓮さんは言う。すると、蒼蓮さんの体が柔らかな光となって、俺たちの周りをクルクルと回った後に光りながら天へと昇るように消えてゆく。
「消えちゃった」
「蒼蓮さん、やっぱり幽霊だったんだな」
「ああ……。あっ、あれって」
蒼蓮さんの消えたその場所には、法衣を纏った白骨遺体が壁を背に座っていた。遺体には片腕が無く、もう片方の腕には博に渡した物と同じ和綴じの本と、大きな水晶を抱えている。
白骨遺体を前にした俺たちは、怖いとか気持ち悪いなんて少しも思わなかった。俺は蒼蓮さんの前まで歩いて行き、本と水晶を手に取ると、本を博へ渡し、水晶をリュックサックの中へと入れる。
「おい隼人、その水晶も持って行くのか?」
「ん? あぁ。なんか、その方が良い気がして」
「うん。僕もその方が良いと思うな」
「そっか。…………、ん? あっ‼ おい見ろよこれ‼ 全然痛くねぇと思ったら、俺の膝、治っちゃってるよ‼」
そう言われて大地の膝へ視線を向けると、さっきまで痛々しい擦り剝け方をしていた大地の膝が、完全に治っているのだ。
「えっ、あっ、本当だ。僕もさっき転んで擦り剥いたところが治ってる」
「そう言えば、なんか体も軽くなった感じするよな」
「きっと、蒼蓮さんが治してくれたんだね」
「うおぉぉぉぉぉ‼ ありがとうな、蒼蓮さん‼ よーし‼ 全回復もしたし、苦痛龍を倒して世界を救いに行こうぜ‼」
「「「おーッ‼」」」
そうして元気を取り戻した俺たちは、苦痛龍を目指して再び歩き出した。
そう言えば、蒼蓮さんが俺たちをここへ呼んだ三つ目の理由って、一体なんだったのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます