巣窟

「おっ、またあったぞ」


 壁に開いた横穴を指差して大地が言う。進んで行く度、この洞窟にはいくつもの横穴が開いていることが分かった。それは上へ下へ、右へ左へと、洞窟のあらゆる場所に開いている。


 穴の大きさは大小様々で、そのどれもが俺たち一人くらいは余裕で入れてしまいそうな大きさなのだが、中を確かめようという気にはならなかった。そのどれからも水が流れて来ていて、少し覗き込んだだけでも服がびしょびしょになってしまいそうだからだ。それに中は薄暗くて、中がどうなっているのか外からでは全く分からない。こんなところに入ってもしも迷ったらと考えると、それだけでも恐ろしい。


 それにしても、この先はどうなっているのか。横穴から水が流れているのも相まって、さっきから先へ進む度に足元を流れる水の勢いが増しているような気がする。もしもこんな場所で水が溢れ返りでもしたら、どこにも逃げられやしないだろう。


 怪物に襲われる心配よりも、溺れはしないかという不安に苛まれながらも先へと進んでいると、ある場所で三人同時に立ち止まる。今まで真っすぐに伸びていた洞窟の通路が、五つに枝分かれしていたからだ。それに突然振り子がグルグルと回り出して、どっちへ行けば良いのか分からなくなってしまった。


「うぉっ⁉ なんだよこれ⁉ どっちへ行けば良いのか分かんねぇぞ⁉」


 そう言って、振り子の先端と同じようにその場で回り始める大地。お前は犬か。


「お前も回ってどうすんだよ。ほら、それぞれの道の方に向けてみろよ」

「おっ? こうか?」


 大地は分岐している道の一つへ振り子を向けると、グルグルと回っていた振り子がピタリと止まった。


「……おい、止まっちまったぞ?」

「じゃあ次の道に向けてみろって」

「お、おう、そっか」


 再び別の通路へと向かって振り子を向ける。二つ目、三つ目と向けても未だに振り子は無反応だ。そして四つ目へと向けたそのとき、振り子の先端は通路の先を差していた。


「おっ、おぉ‼ 見ろよ、ホッシーがこっちだって言ってるぞ‼」

「良かったな。その振り子が無かったら、俺たち今頃迷子だぞ。……いや待て、ホッシーってなんだよ」

「星のマークが付いてるからホッシーだろ‼ 当たり前じゃん‼」


 呑気か。こんな状況で道具に名前を付けるなんて、お前はどれだけ緊張感が無いやつなんだよ。と、こいつの緊張感の無さに飽きれていると、大地は残った一本の道に振り子を向けた、そのとき――。


「――ッ⁉ な、なんだ、こりゃ……」


 今まで淡く光っていた振り子の先端がどす黒く変色し、先端がカチカチと震え出した。


「こ、これって、もしかして……」

「あぁ、多分、そうだ……」


 パッと見た感じ、視線の先の光景は、他の通路と変わった様子は無い。けれど、いるんだ。間違いなくこの先に、苦痛龍が。


「ど、どうする?」

「どうする、て言ったって……。一応、振り子はこっちの道に行けって言ってるんだし……」

「でもよ、ちょっと確かめてみねぇか?」

「確かめるって、でもどうやって?」

「ちょっと様子を見て戻って来るんだよ。ヤバそうだったらすぐに退き返せば良いんだからさ」

「や、止めようよ。絶対に危ないって……」

「そうだぞ。あとで行かなくちゃいけないにしても、まずは……あっ、おい――」


 俺たちが止めるのも聞かず、大地は苦痛龍がいるとおぼしき方へすたすたと歩いて行ってしまった。嫌な予感のした俺は大地を追いかけようとするが、通路の入り口前に差し掛かったところで、突如大地はピタリと足を止める。


「……おい、大地?」

「く、くんなッ‼」


 手を伸ばそうとすると、突如大地の方から俺に来るなと言う。こいつ、勝手なことをしたかと思えば、何を言って……。…………? あれ、おかしい。なんだか指先が震える。突然一気にこの場所の温度が下がったかのような。いや、違う。そう感じるのは、大地へ伸ばした方の手だけだ。一体、何が――。


 違和感の正体を確かめようとして、少し先にいる大地を見る。するとそのとき、恐ろしい何かが見えた。黒緑色をした何か。それは空気のように形が無くて、しかしまるで意思を持っているかのように、大地の体を包み込もうとしている。


「――大地‼」


 それに捕まっちゃ駄目だ。


 そんな直感に任せて、大地の方へぐっと手を伸ばす。手が前に伸びる度、まるで指の先端から腕にかけて徐々に氷付いてゆくかのような錯覚を覚え、そっちへ行っていけないと、頭の奥底で警鐘が鳴っていた。それでも俺は手を伸ばすと、大地のシャツを掴んで思い切り引っ張り、転げるように背中から倒れ込む。


「うわっ‼」

「いってぇ‼」


 バシャっと立ち昇る水しぶき。高い天井。背中が冷たくて、ぶつけたところが痛い。今ので気分は最悪。もう立ち上がるのも面倒だ。今から急いで立ち上がったって、こんなに濡れてしまってはもう手遅れだ。もう良い。暫くこうして――。


 そこまで思ったところで、俺と大地は同時にガバッと起き上がり、通路の方へ視線を向ける。何も無い。何もいない。ただ他と変わらない通路がそこにあるだけだ。


「「……はぁ~……」」


 二人で同時にため息を吐くと、俺と大地は投げ出すように体を倒す。でも、もうどうだって良い。どうせ全身びしょ濡れなんだから。


 ………………。


 良い訳あるか。そう思った俺は、隣で仰向けになっている大地の顔目掛けて手の甲を振り下ろしてやった。


「んぶあッ⁉ な、何すんだ隼人⁉」

「うるせぇ、アホ原始人」

「あっ‼ お前今、アホ原始人って言ったな⁉ アホ原始人って言った方がアホ原始人なんだぞ‼」


 隣でギャアギャアと騒ぐ大地。だけど、言い返す気力も沸いてこない。もう良い、放っておこう。


 そう思い、そのまま体を地面に投げ出したまま仰向けに倒れていると、ドシャっと何かが落ちたような音が聞こえた。俺はすぐに体を起こし、辺りを見渡す。すると俺たちの後方、洞窟の入り口側に、一体の深きものが立っていた。


 なんだこいつ。一体どこから。


 辺りを見渡して頭上を見上げると、そこには狭い穴が開いていた。そうかこいつ、あそこから出てきたのか。それじゃあさっきまであった横穴は、まさか全部こいつらの巣穴だったのか? だとしたら、こいつら、一体どれだけ……。


 通って来た道すがら、全ての穴に、それもすぐ傍にこいつらがいたかもしれないということを意識すると、背筋がゾっと寒くなった。


 いや、そんなことを考えている場合じゃない。この場に現れた深きものは「カロロロ……」と、動物が喉を鳴らすような音を立てると、のっしのっしと俺たちの方を目掛けてやって来る。マズい。こいつは外にいたやつらと違って、ちゃんと俺たちのことが見えているんだ。


「さ、魚にんッ――」


 騒ごうとする大地の口を、俺は咄嗟に塞いだ。続いて近くで呆気に取られていた博を引っ張り寄せると、小声で「息を止めろ」と二人に言う。博は頷き、大げさな素振りで口に手を当てると、大地の持つ振り子の先端が青く光り始めた。すると、既に目と鼻の先まで迫り、俺たちの方へ水かきのある大きな手を伸ばしていた深きものは、突如ピタりと動きを止める。静止した深きものは、手を伸ばしたままの姿勢でギョロギョロと眼球を動かし、俺たちのことを探っているようだ。


 それから暫くした頃、深きものはゆっくりと手を引き、後ろを振り返って、そのままどこかへ立ち去ろうとする。


 助かった。息を止めている間は、深きものの目を誤魔化すことができるという碧蓮さんの話を思い出したお蔭だ。よし、もう暫くこのままでいて、あとはこいつが見えない所まで行ったら、振り子の差した方へ行けば――。


「ブハァッ⁉ ヒー、ヒー……は、隼人‼ いきなり何すんだ⁉ お前ッ、く、苦しいじゃねぇかよ⁉」


 そう思った瞬間、大地が俺の手を振り払い、大声を上げた。すると、この場から立ち去ろうとしていた深きものはこっちへと向き直り、改めて俺たちの方へと歩み寄って来る。


「こんのッ、アホ……、いやそれどころじゃ……クソッ‼ こ、このアホ大地‼ は、走れ、この……アホーッ‼」


 半ば頭が混乱したまま号令をかけると、俺たち三人は振り子の差した方へと一目散に走り出した。


「なんでだよ⁉ このアホ大地‼ お前、どう考えても今は絶対に声を出したら駄目だっただろ‼ このアホー‼」

「う、うるせぇな‼ そんなこと言ったって、苦しいもんはしょうがねぇじゃんか⁉」

「だからって、あんな風に大声出すアホがどこにいるってんだよ‼ このアホ‼ アホアホアホアホ‼ アホ大地‼」

「お前ッ、隼人‼ 何回アホって言うんだよ⁉ アホって言った方がアホなんだぞ‼」

「お前よりアホなやつがいるか‼ アホアホアホ――ゥエッ⁉ ゲホッ、ゴホッ‼」

「ギャハハハハ‼ むせてやんの‼ 人のことをアホって言ったバチがッ――⁉」


 走りながら喋っていたせいで、大地は舌を噛んだようだ。そんな大地の様子を目の当たりにした俺は、こんな状況にも関わらず、どこからか変な笑いが込みあげてきてしまい、足から力が抜けそうになる。


「もう‼ そんなことしてる場合じゃないでしょ⁉ 早く、早く走ってよぉ‼」

「あ、あぁ‼」

「はいッ‼」


 立ち止まりそうになったそのとき、後ろから博の渇でせっつかれた俺たちは、まるで芯を取り戻したかのように前へと走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る