潜水

 なんて、勇ましく寺から出はしたものの、目の前の光景を前にして、不安を覚えなかったと言えば嘘になる。何故なら山を歩いている最中、俺たちの歩く道からあと数歩の距離、木々の間を深きものたちがどこまでもズラッと並び、じっとこっちを睨みつけているからである。


 碧蓮さんの力に守られているお蔭でか、こいつらは俺たちに手を出してはこなかった。けれど、こうもジロジロと見られていては、どうしたって圧迫感を覚えずにはいられない。


「こいつら、どれだけいるんだよ……」

「う、うん……。でも、襲っては来ないみたいだね……」

「へん‼ 碧蓮さんの結界にビビッてんだろ‼ ライオンの威を借るキツネってやつだぜ‼」

「……大地、ライオンじゃなくて、虎な?」

「しかもそれって、威張って言うようなことじゃないと思うんだけど……」


 大地の謎の造語で変に力が抜けてしまった。だけど今ので緊張がほぐれて、重かった足取りが少し軽くなったような気がする。まぁ、わざわざ礼を言うようなことでもないけれど。


 ちなみに、碧蓮さんから預かった振り子は現在大地のやつが持って先頭を歩いている。それは勿論俺の方から持っていてほしいなんて頼んだ訳じゃない。むしろこいつに渡すとろくなことにならないと考え、最初の内は「絶対に絶対に俺が持つ‼」というこいつの我がままを突っぱねていた。の、だが、暫く突っぱね続けていると、周りを深きものたちに囲まれているにも関わらず、突如その場で地団駄ふ踏み、転げ回って、ギャンギャンと騒ぎ始めてしまい、渋々渡さずにはいられなかったのだ。


 なんて、必要以上に緊張感が抜けたまま光の道を進んでいると、視界の先、深きものたちが大勢で固まっている光景に出くわす。それはまるで、ここから先には行かせないと言っているかのようで、俺たちはその場で立ち止まってしまったのだけれど――。


「どけよ‼」


 前に出て大地が一喝すると、深きものたちはたじろいだように道を開ける。


「す、凄いよ大地!」

「へへん‼」


 博に褒められて得意気にする大地。いや、今のはお前の手柄じゃないだろ。碧蓮さんの光の効果で道を開けさせただけだろうに。なんて図々しいやつなんだ。


「ほら、さっさと行くぞ」

「あっ、待てよ‼ 俺が先頭だからな‼」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 そんないつもの調子のまま、三人で前へ踏み込む。すると進行方向に固まっていた深き者たちは右に左にわらわらと分かれ、道が開けた。そうして視界の先が開けると、俺たち目の前に、どこまでも真っ暗な洞窟が続いている。その様子はまるで、大きな生き物がぽっかりと口を開けて俺たちを待ち構えているかのようだ。


「ここが、苦痛龍が封印されている場所……」

回転・・の狭間か……」

「…………、海淵の狭間、な」

「先、暗くて全然見えないね」

「……お、おい隼人、博……先、行っても良いぞ」

「なんだよ大地、ビビってんのか?」

「ビ、ビビってなんてねぇし‼」

「じゃあ先に行けよ。お前が振り子を持っているんだから」

「あっ、ちょ、ちょっ⁉ お、押すなってば‼」


 そうしてついに俺たちは、大地を先頭にして、まるで深きものたちに見送られるように、洞窟の中へと足を踏み入れた。



 ***



 洞窟の中は暗闇で満たされていた。真っ暗で右も左も見えない中、俺たちの頼りは微かな光を放つ振り子の先端だけ。こんな弱々しい光源だけでは洞窟の中を照らすには全く足りなくて、周りがどうなっているのかも分からないまま、ただ歩き続けることしができなかった。


 もしかしたら、真横にあの巨大な深き者が立っているんじゃないか。ここは既に洞窟の中。碧蓮さんの力も及ばないだろう。もしも突然襲われたなら。なんてことを考える度、足がすくんで立ち止まってしまいそうになる。


 心臓の音がやけに大きい。三人の息遣いの中に、知らないものが混じっているような気がする。誰かが唾を飲み込んだ音が聞こえた。今のは大地か、博か。それとも意図せずに俺が飲み込んだ音だったのか。そうじゃなけば……。


 緊張の中、それでも前へ歩き続いていると、不意にあることに気が付く。少しずつ周りが明るくなっているのだ。それも先へ進む度に明るさが増し、隣を向けば、今ではもう大地と博の顔が見えるようになっていた。


 俺たちはその場で立ち止まり、辺りを見渡す。洞窟だ。勿論洞窟の中へと入ったのだから、それは当たり前だろう。けれどこの場所は、俺たちの誰もが想像しているよりも遥かに広大な洞窟だったのだ。横幅は俺たち三人が肩を開いて横並びになっても全く届かない程に広くて、天井は手分俺たちの身長の十倍よりも高い。


 そんな洞窟の広さに圧倒されて、キョロキョロと辺りを見渡していると、他にも色々なことが分かってくる。まず洞窟を照らしている青白い光の出所は、洞窟の壁そのものだった。そしてもう一つ。どうしてか今まで全く気付かなかったけれど、俺たちの足元を、進行方向へ向かって水が流れているのだ。


 淡く揺れる光。水の音と感触。それらが合わさって、ゆらゆらと光の波紋が洞窟の中をどこまでも広がってゆく光景を前に、俺たち三人は、まるで海の中にいるかのような錯覚を覚えていた。


 ここは今までとは全くの別世界。とても神秘的な光景だ。けれど、同時に怖くも感じる。視界の先にはどこまでも広大な空間が続き、淡い光では全てを照らすには弱々しく、ずっと奥まで広がっている暗闇の先までは見通すことができない。


 俺は得体の知れない感覚に身震いして、不意に今来た道を振り返る。すると――。


「……えっ?」


 後ろには、真っ暗な暗闇が広がっているだけだった。そんな、有り得ない。俺たちは今まで一本道を歩いて来たし、この洞窟へ入ってからまだそれほど時間も経っていないのだから、ここからならばまだ入り口の光が見える筈なのだ。


 そもそも、足元を流れるこの水はどこから流れて来ている。俺たちがこの場所へ入ったときには、間違いなく水なんて流れてはいなかったのに。外の雨水が流れ込んでいるにしたって、これではあまりにも多すぎる。


 どうやら大地と博も同じことを考えているようで、その顔には困惑の色が浮かんでいた。またその顔が青ざめているように見えたのは、きっと壁の光だけが原因ではないだろう。


 どうする。戻って確かめるか? …………、……いや――。


「進もう」


 不安を振り払うように、言葉を振り絞る。すると二人は無言で頷き、俺たちは再びゆっくりと前へ、振り子の差す方へと歩き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る