第八章 行進

勇者の行進

「準備は良いか?」

「おう‼」

「うん!」


 碧蓮さんから話を聞き終え、出発の準備を終えた俺たちは、寺の入り口に立っていた。目の前には、俺たちが入って来た大きな門。今は分厚い扉が閉められ、太い木のかんぬきがかけられている。


「じゃあ碧蓮さん、お願いします」

「分かりました。ですが、驚かないで下さいね」

「えっ、驚くって?」

「それは、すぐに分かると思いますよ」


 碧蓮さんが寺の扉を開くと、視界の先、森の茂みの中、そいつらはいた。村で俺たちをしつこく追いかけて来た魚人間。いや、深きものたちがずらっと並んで俺たちの方を見ている。その数は十や二十なんてものじゃない。百か、もしかしたらそれよりもっと多い数の深きものたちが列を成していた。


「あ、あいつら、いつからこんな……」

「な、なんなんだよ、この数は⁉」

「どど、どうしよう⁉ は、早く扉を閉めないと‼」

「大丈夫。このお寺は聖域。結界が展開されている間は、あのものたちは中へは入って来られません」


 そう言われても、落ち着けという方が無理というものだ。そもそも寺の中へは入って来れないとは言っても、寺の外へ出て行く俺たちには関係無いじゃないか。と、そんなことを考えていると、碧蓮さんは素早く印を結ぶ。すると空から光が降り注ぎ、俺たちを照らした。これは地中から襲ってきた化け物を退けたあの光だ。俺たちの体が光に包まれると、茂みの中にいた深き者たちは大慌てでその場から数歩下がって行く。


「みなさんの周りに結界を張りました。この光が照らす限り、あのものたちは皆さんに手出しできません。それでは隼人君、これを」


 碧蓮さんは懐から何かを取り出す。それは銀の鎖の先端に、見慣れた星型のマークに目の描かれている青い石の取り付けられた小さな振り子で、先端は静かに揺れながら俺たち三人の方を差していた。


「これって、ダウジングとかに使う、ペンデュラムってやつですよね?」

「はい。これは蒼蓮の残した道具の一つ、“星辰せいしんの振り子”。村に危機が訪れたとき、振り子に選ばれし者は道を違えることなく、そしてその身を守ってくれると聞き及びます。しかし苦痛龍がこの村へ現れてより三百年の間、今までこの振り子が反応することはありませんでした。どれだけ強い術者も、私を含めた茂垣の僧たちも全て。ですが、星辰の振り子はみなさんを選んだようです」

「じゃあ、これさえあれば……」

「はい。苦痛龍が封印されているその場所へ、“海淵かいえん狭間はざま”へと導いてくれるでしょう。そしてその振り子を持って息を止めている間、深きものたちの目を誤魔化すことができる筈です」

「すっげー‼ それって、俺たちが初めて選ばれってことだろ⁉」

「じゃあやっぱり、僕たちが苦痛龍を倒すのに選ばれたってことなのかもしれないね」

「或いは、そうなのかもしれません。ですがやはり、私は今でもみなさんを送り出すことに思うところが無いと言えば嘘になります。星辰の振り子に選ばれようとも、子供を危険な場所へ送り出すなんて……」


 表情を曇らせる碧蓮さんの顔を前に、俺たち三人は浮つきかけた気持ちを静める。そうだ、これから俺たちが行くのは苦痛龍の根城。遊びに行く訳じゃない。この先、一歩間違えたなら死ぬかもしれないし、世界の命運と、青瀬の命がかかっているんだ。そう思い、顔を強張らせ、唾を飲み込むと――。


「ご、ごめんなさい、不安にさせるようなことを言ってしまって! ち、違うんです! 本当は私、本当に、本当にみなさんのことを信じているのですよ! ですが、本来ならば私が直接苦痛龍の元へ出向いて決着を付けねばならなかったのに、こうして封印が解けかけている以上、どうしてもこの場から離れられなくて……。連れ去られた村の人たちも、本当は私が助けなくちゃいけなくて……だからその、とても歯がゆいのです……」


 わたわたと手を振り、慌てた様子で取り乱す碧蓮さん。年上の女性に対してこんなことを思うのはいけないのかもしれないけれど、仕草が可愛い。守ってあげたい。なんてことを考えていると――。


「だ、大丈夫だぜ、碧蓮さん‼ 苦痛龍なんて俺がやっつけてやるからさ‼」

「ぼ、僕も‼ いえ、僕が世界を救います‼」


 興奮した様子で大地と博が言う。こいつら、抜け駆けしやがって。何か、何か俺も、それもこの二人よりももっと気の利いたことを……。


 ………………。


 あれ、なんか、碧蓮さんの言った言葉に違和感がある。いや、別におかしなことは言っていなかった筈なのだけれど。一体今の言葉のどこに――……あっ。


「あ、あの、碧蓮さん。質問なんですけど、村の人たちって、苦痛龍の生贄として連れて行かれたんですよね? でも、今の碧蓮さんの言い方だと、まだ村人が生きてるっていうか、助けられるように聞こえたんですけど……」

「えっ、あ、はい。今の所、まだ苦痛龍は目覚めていません。村の人たちは苦痛龍が復活した後に生贄として捧げられると思われますので、今はまだ生かされている筈なのです、が……あれ、私、言ってませんでしたか……?」

「え、えっと、その……聞いてませんでした、よね……?」


 沈黙する門前の四人。立ち込める気まずい空気。今までずっと気になっていた胸のつっかえが取れて、俺たちにとってそれはとても良い情報である筈なのに、全然素直に喜ぶことができない。ヤバい。どうしよう。何か言って、この空気をどうにかしなくちゃ――。


「だ、だーっはっは‼ お、おいおいおい隼人、そそ、そんなの当たり前だろ⁉ お、俺はずっと分かってたぜ‼ 村の人たちが生きてるなんてよぉ‼ 聞くまでも無ぇぜ‼ な、なぁ、博⁉」

「あっ、えっ……あっと……う、ん、んんぅ……」

 

 バカ笑いをする大地と、複雑そうな表情の博。当たり前? ずっと分かってた? はっ? おいコラ大地、嘘を吐くにしたってもっとまともなことを言えや。そんなイラっとした気持ちを抑えられなかった俺は、無言で大地の尻を蹴飛ばしてやる。


「いってぇっ‼ …………、……う、ぅぅ……」


 蹴った拍子に四つん這いなって倒れた大地は、顔を伏せてその場ですすり泣き始めてしまった。


「な、なんだよ大地。俺、そんなに強く蹴ってねぇだろ? …………、大地?」

「うっ、く……うぅぅ……くっ……よ、良がっだ……村の、人だぢが生ぎででぐれで……ほ、本当に、良がっだッ‼」


 顔をぐしゃぐしゃにして泣く大地。そうか。村の人たちが連れ去られたことを、こいつが一番気にしていたんだ。それを俺たちに気付かせまいといつも通りに振舞って、今までずっと我慢していたに違いない。


 俺は大地の傍に寄ると、起こしてやろうと腕を抱える。すると、反対側に博がやって来て、俺たちは三人で立ち上がった。


「やろう。大丈夫だ、俺たち三人ならできるよ」

「おう‼ 絶対に助けようぜ‼」

「村の人たちも、しゅうちゃんも。それに、世界もね!」

「「あぁおう‼」」

「碧蓮さん、俺たち大丈夫です。本当は怖いし、根拠なんて無いけど、俺たち三人ならなんとかなる気がするんです」

「そうだぜ‼ 武運長久ぶうんちょうきゅうを祈っていてくれよな‼」

「ねぇ大地、それ、ちゃんと意味は分かってるの?」

「おっ? あれだろ、武人としての命運が長く続くようにとか、戦地に赴く兵の無事を祈るとか、つまりそういうことだろ?」

「あ、合ってる……多分……」

「えっ、何それ……こ、怖い……」

「……みなさんは、本当に仲が良いのですね」

「あぁ‼ 激マブダチってやつだぜ‼」

「難しい言葉を知っていると思ったら、なんなんだよその、激マブダチってのは」

「分かんねぇ‼ でもよ、ちゃんと意味は伝わるだろ?」

「うん、まぁね」

「……いちいちハズいんだよ、お前は……」


 大地の肩を小突いてやると、誰からともなく三人で笑い合った。それはまるで、これから大変な場所へ赴くという不安なんて、何一つ感じていないとさえ思える程に。そんな俺たちを見て微笑んでいた碧蓮さんは、凛と、意を決したような表情を浮かべて言う。


「ありがとうございます。みなさんのお蔭で、私も勇気が湧いてきました。もう迷いも憂いもありません。ここからできることは限られていますが、みなさんが無事に帰って来られるよう、私も全力を尽くします……。ノウマク サンマンダ バザラダン カン――」


 目を瞑り、印を結んで呪文を唱える碧蓮さん。すると、厚い雲の間から光が降り注いで暗い森を照らし、それに呼応するように、手の中にあった振り子が静かに光の方を差し始めた。


『さあ、道は通しました。あとは振り子が先を示すまま、みなさんはただ前へ歩んで下さい』


 頭の中へ直接響いてくるかのような碧蓮さんの声。その声は大地と博にも聞こえていたらしく、少し驚いたような表情を浮かべていたけれど、そこには恐れや迷いは少しも感じられなかった。遠巻きにじっとこっちを見ている大量の深きものたちも、地面の下から襲って来る怪物も、苦痛龍だってもう何も怖くない。俺たちを止められるものなら止めてみろ!


「さぁ、行くぞ‼ 苦痛龍を倒して、全部取り返すんだ‼」

「「おおーッ‼」」

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