不格好で固い決意

「じゃあ、今博の中にあるものって……」

「はい。百年前、苦痛龍を退ける代償として玖津ヶ村にもたらされ、今も尚残り続けている呪いの残滓ざんしです。呪いの残滓は苦痛龍の封印場所とは離さねばならず、しかしこの村からも出せなかった為、青瀬さんの家の最奥部、最も呪いが沈静化するその場所にて置いておく他ありませんでした」

「……僕が、あの部屋に近付いたりなんかしたから……」

「いいえ、博君が悪い訳ではありません。きっと誰であっても、あの部屋に呼ばれたなら抗うことなどできなかったでしょうから」

「そ、そんな‼ それって、碧蓮さんの力でどうにかできねぇのかよ⁉」

「……ごめんなさい。先ほど解呪を試みたのですが、私の力では、やはりどうすることもできませんでした……」


 深々と頭を下げる碧蓮さん。一瞬見えたその表情には、申し訳なさの他、恐れの色が浮かんでいるように見えた。ここへ来る道中、あれ程巨大な怪物をも退けてしまう碧蓮さんが恐れる程の呪い。そんなものが博の中に……。


「それで、あの……博の呪いと苦痛龍の討伐に、どんな繋がりがあるんですか?」

「……こんなことに光明を見出すのは間違っているかもしれません。ですが、博君の中にある呪い、それはある神の力に起因するものなのですが、幸か不幸か、その神と苦痛龍とは対立関係にあります。ですので、もしも苦痛龍の封印されているその場所へ辿り着けたなら、或いは、博君にかかった呪いを遠ざけることができるのではないかと。ですが、これは限りなく勝算の低い賭け……いえ、もっと言えば、只の願望でしかないのかもしれません……」


 尚も苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべる碧蓮さん。恐らく、博の呪いを解けるかどうかも半信半疑なのだろう。しかも碧蓮さんの立場からすれば、きっと俺たちを危険な場所へ送ること自体気が進まないに違いない。でも、だったら――。


「碧蓮さん、もう一つ聞きたいんですけど、さっき博が言っていた、結界が長く持たないって話、あれは本当なんですか?」

「……本当です。それも先ほど博君が言っていたように、結界を維持できるのも、あと半日が限界かと」

「じゃあもしかして、術者がここへ向かっているって言っていたのは、それは俺たちを安心させる為の嘘だったり……」

「いえ、いいえ、それは嘘ではありません。ただ残念ながら、未だ一人たりとも村まで辿り着けた者さえいないようです。恐らく、苦痛龍の僕たちの妨害を受けているものと思います」

「なるほど、分かりました。…………、ふぅ……よし、決めた! なぁ大地、博、二人が転校するのって、夏休みの終わり頃って言ってたよな? それってつまり、あと二週間くらいは自由に遊べるってことなんだろ?」

「おっ? お、おう……」

「そう、だけど……どうして?」

「俺、名探偵ドイルの劇場版アニメを見に行きたいんだけど、二人とももう見たか?」

「いや、まだ見てねぇけど……」

「僕も……」

「じゃあこの旅行が終わったら三人で見に行こう。それと、前に買って難しいからって三人で挑戦したけど、結局途中でクリアするのを諦めちゃったあのゲームのことは覚えてるか?」

「あぁ、えっと……確か、ヨンロクの……」

「ハラダの伝説?」

「そう、それ」

「いや、隼人……突然どうしたんだよ?」

「別にどうもしてないさ。ただ、俺は残りの夏休みでお前たち二人とアニメの映画を見に行きたいし、今までクリアできなかったゲームをクリアしたい。それから、それから……、……つうか、さっきから俺のやりたいことばっかり言ってんじゃん。二人とも、他に夏休み中やりたいことは無いのかよ? ほら、大地」

「お、おぉ‼ そうだな、虫取りだろ、祭りだろ、カードゲームだろ。それとあと、えっと、えーっと……なんでもいいや‼ とにかく、思いついたことは片っ端からやりてぇ‼」

「博は?」

「あっ、えっと……やりたいことっていうか、僕、担任の伊藤先生に、引っ越す前に夏休みの宿題を出してけって言われたんだ。だけどまだ、自由研究が終わってなくて……」

「あっ⁉ ヤ、ヤベー‼ ど、どうしよう、俺もだ……。しかも俺、宿題なんて全然やってねぇ……。もしもできなかったら、イト先、ぜってー怒るよな……」

「なら夏休みの宿題も終わらせよう。言っておくが、やるなら俺の家で、だからな。エアコンの無いところで勉強なんて絶対に嫌だぞ」

「いや、でもさ……俺、本当に一つも、全然、全く手をつけてないんだぞ……? 良いのかよ、俺の宿題なんかに付き合ってたら、夏休みなんてすぐ終わっちまうんじゃ……」

「なら泊りがけでやれば良い。俺と博とで分担すれば、半日で終わらせられるさ」

「えぇ⁉ そんなことして、バレたらどうすんだよ⁉」

「バレた頃には大地はアメリカ、博はイギリスなんだろ。安心しろって、後のことは俺がどうにかしておいてやるから」

「マ、マジかよ……。隼人、お前……ワルじゃんか……」

「ワルってなんだよ。お前の為にやってるんだろ」

「じゃあさ、隼人の家に泊まるなら、なるべく早くに宿題を終わらせて、徹夜でゲームをするっていうのはどう? 今度はちゃんとコードを忘れないで持っていって」

「うぉッ⁉ マジかよ⁉ そんなの超楽しいに決まってるじゃん‼」

「思ったよりも予定でパンパンだな。ということで碧蓮さん、勝手だとは思うんですけど、俺たちまだ夏休みが半分残っていて、まだまだやりたいことが沢山あるんです。その為には何よりも、まず博の呪いをどうにかしなくちゃならない。博抜きでなんて、俺は絶対に嫌なんです」

「隼人……」

「やめろよな、そんな顔するの。そ、そもそも、仮に博の呪いのことが無かったとしても、こんな状況で、苦痛龍をほったらかしになんてしちゃったら、多分ずっと気になって、夏休みを満喫するなんてできないしさ」

「あぁ‼ そうだよな‼」

「……うん、うん! そうだね!」

「だろ? だから、俺たちは世界を救う為だとか、そんな大それたことの為に行くんじゃなくて、夏休みを最高の形で過ごす為に、その為に苦痛龍を倒したいんです」

「あぁ‼」

「うん!」


 俺たちは真っすぐに碧蓮さんを見据える。最初、碧蓮さんは明らかに迷っているようだったけれど、小さく唇を噛んでから一呼吸の後、重々し気に口を開く。


「博君のことを言っておきながら、これから言うことを今更何をと思うかもしれません。ですが、苦痛龍の封印されている場所、“海淵かいえん狭間はざま”へ入るのは、みなさんが初めてではありません。その資格有りと認められた術者が、過去幾度か足を踏み入れています。ですが、誰一人として帰って来た者はいません。私よりも遥かに力のある術者たちが、万全の準備をしてもです。それでもみなさんは、行くと言うのですか?」


 誰一人として帰って来なかった。それはつまり、苦痛龍の元へ行った人は全員死んでしまったということ。それも、碧蓮さんよりも強いという術者が、万全の準備をしてもなんて。苦痛龍の元へ行くこと、別にそれを軽く考えていた訳じゃない。だけどその話を聞いてしまうと、たった今固めたばかりの決意が揺らいでしまいそうになる。不安になって、三人で顔を見合わせると、やはり大地も博も俺と同じことを考えているようだ。


 俺たちが行かなくたって、どうにかなるのではないか。俺たちじゃなくても良いじゃないか。大人でも、術者でも生きて帰れなかったという現実を突きつけられ、一気に不安になってしまった俺は、どうしてもそう考えずにはいられなかった。


 そうだよ。苦痛龍を封印するなんてこと、別に俺たちみたいなただの子供がやらなくたって良いじゃないか。まだ半日も時間が残されているんだし、ここへ向かっている五人の術者だっているんだ。それに、碧蓮さんはできなかったって言っていたけど、もしかしたらその術者中に、博の呪いをどうにかすることのできる人だっているかもしれない。だったら、別に俺たちじゃなくても――。


『助けて、隼人』


 突如、今朝の夢の光景が、俺の方へ向かって手を伸ばす青瀬の姿が脳裏を過る。


 …………、なんでだよ。なんで俺なんだよ。ここへ向かっているらしい五人の術者でも、碧蓮さんにでも、晴美さんだって良かったじゃないか。俺たちは普通なただの子供で、しかも昨日会ったばかりの関係で、少なくとも助けを求めるような、そんな間柄じゃないだろ。なのに、なのになんで、どうしてそんな顔で、どうして俺なんかに助けを求めたりするんだよ。


 そもそも俺は何を迷っているんだ。夢で助けを求められたから? そんなのはただの夢で、ただの妄想だろ。あいつが直接俺に助けてくれって言った訳じゃない。だから、わざわざ危険を冒してまで助けに行く必要なんて、そんなものある筈が無いじゃないか。


「…………、…………ッ、水泳……」

「「えっ?」」

「まだあった。やりたいこと……っつうか、やらなくちゃいけないこと。俺、あいつに、青瀬に水泳で負けたままだ。だから俺は、あいつを助けて、そして夏休み中にもう一度勝負して、今度こそ勝つ」

「お、おい……隼人――」

「だって、悔しいだろ‼ 運動で女子に負けたんだぞ⁉ お前ら、転校先で自己紹介したときに、水泳で女子に負けたことがありますって、そう言えんのかよ⁉ いや、例え誰にも言わなくたって、負けたって事実だけはずっと残るんだぞ‼ そんなの、そんなの俺は嫌だ‼ だから俺はあいつを、青瀬のやつを助けに行く‼」

「で、でも……しゅうちゃんが生きてるなんて、そんな保証は……」

「生きてる‼ あいつは今朝俺に助けてくれって言っていた‼ だからあいつは、絶対に生きてる‼」

「今朝って、いつのことだよ? 俺たちが寝ている間にやって来たってのか?」

「夢だ。あいつは今朝、夢で俺に向かって助けてくれって、そう言ってたんだ」

「「…………」」


 呆気に取られた表情で沈黙する二人。まぁ、当たり前だよな。真面目な話をしている最中に、しかも命懸けの選択を迫られているときに夢の話を持ち出すなんて、そんなのあまりにも非常識だ。


 ヤバい。なんか突然、すっげぇ恥ずかしくなってきた。でも今更、「やっぱ無し」なんて言えるようなことでもないし……――。


「あっ……いや、その……だから、あの、さ――」

「じゃ、しゃーねーか。隼人にそこまで言われちゃあな」

「そうだよね」

「……えっ? それって、どういうこと?」

「どういうこと、じゃねぇよ。しゅうちゃんを助けに行くって話だろ?」

「えっと……いや、そうだけど……。マジで信じるのか? 俺の夢の話を?」

「なんだよ、隼人が言い出したんじゃねぇか」

「いや、いやいやいや、ちょっと待ってくれよ。夢の話なんだぞ? そんなの、絶対おかしいだろ?」

「おかしいなんて、そんなの今更じゃんか。俺たち、旅行に来てからずっとおかしなことばっかだったんだぞ。だったら、夢にしゅうちゃんが出て来たっておかしくねぇって。それにしゅうちゃんは友達だからな。だったら尚更、俺たちが助けてやらなくちゃだろ」

「うん。それに、僕もずっと悔しかったんだ。隼人や大地に負けるならともかく、す、水泳で……ここ、この僕が女子に……ま、ままま、負ける、なんて……」


 友達だから? おい大地、俺たちはもう小六なんだぞ。だっていうのに、昨日今日会ったばかりのやつと友達扱いして、だから助けるんだって、そんな理屈、まるで子供じゃないか。それに博もだ。言い出しっぺは俺からだけど、お前、青瀬に負けたことがそんなに悔しかったのかよ。


「……大地、博。分かってるのか? これから行く場所は、死ぬほどヤバい場所なんだぞ……。俺たち、死んじゃうかもしれないってのに、怖くないのかよ?」

「怖ぇに決まってんじゃん‼ でもさ、隼人も言ってただろ。やらなきゃいけないことを残したままで、夏休みは楽しめないってさ‼」

「そ、それに、一人じゃ怖いけど……さ、三人でなら、あんまり怖くないかもしれないよ」


 二人の顔を見れば分かる。ただの強がりだ。いやそもそも、怖いと口にしているのだから、強がりにすらなっていない。そして多分、そんな二人よりも俺の方がずっとビビってる。


 頭の中、天秤てんびんの上。犠牲になった村人たちのことや、世界の命運だとかを諸々全部を乗せたって、対極に乗っている俺たちの命よりは重くはなり得ない。だっていうのに、さっきから青瀬の顔が頭にチラつく度、何故かあっちの方へ傾きそうになる。


 冷静になれ、梅原隼人。俺はもっと大人で、冷めたものの考え方をする筈だ。大地や博が危険な目に遭っているならともかく、あいつとは昨日会ったばかりで、何かある度に俺のことを小馬鹿にするような、そんないけ好かないやつだっただろ。


 だったら言えよ。二人を危険な目に遭わせたくないからとか、やっぱり怖くて行けないとかって、それっぽい理由を付けて、だから行かないんだって、ここに残るんだって、そう言うんだ、梅原隼人――。


「――…………、……ッ! 行こう……青瀬を、助けに……!」


 なんて、俺の口は意に反した言葉を口にしていた。そうだ、こんなの全然本心じゃない。なのにどうしてか俺は、なんだかとてもスッキリしたように気分だ。そしてどうやら大地と博も同じ気持ちであるらしく、俺の言葉に力強く頷いた。


 そんな俺たちを前にして碧蓮さんは――。



「……分かりました。この村の……いえ、世界の命運、みなさんに託します」


 観念したように、しかしその言葉の中には確かな信頼を込めてそう言った。

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