ひび割れ

「……つまり、碧蓮さんは……」

「そうです、私は三百年前にこの地へやって来た、茂垣蒼蓮の血縁者です。詳しい文献などは残ってはいないのですが、どうやら茂垣の一族は代々特別な力を持ち、蒼蓮はそれを活かす為、怪異に脅かされる民たちを助ける旅をしていたようです。そして旅の途中、この村に立ち寄り」

「苦痛龍と対決した……でも……」

「残念ながら、蒼蓮の力を以てしても苦痛龍を滅ぼすには至らず、蒼蓮が命を賭しても尚、封印するのがやっとでした。それも苦痛龍の封印は完全ではなかった。その周期を狙って外から攻め入る“深きもの”たちと、我々玖津ヶ村の者とで秘密裏に戦いを繰り広げてきたのです」

「でも、村長さんの話では、前に苦痛龍の封印が弱まったのは、今から三年前のことだったって……」

「その筈でした。三年前、苦痛龍の下部たちとの戦いを制し、我々は再び百年の安息を手に入れた。そう、思っていたのですが……」

「三年前に一体何があったんですか? 詳しくは聞いていませんが、子供が犠牲になったって」

「三年前、一人の子供がさらわれました。子供をさらった深きものたちの要求は、苦痛龍の封印を解くこと。もしも封印を解かなければ、その子供を生贄にすると言って」

「やっぱり、その子供って……」

「あぁ、しゅうちゃんのことだぜ……。……ッ‼ クソッ‼ あの魚人間どもめ‼」

「それで、その……捕まった青瀬は、どうなったんですか?」

「結論から言えば、私たちはその子を、しゅうちゃんのことを見捨てました」


 凍り付く空気。悲痛そうな表情を浮かべる碧蓮さん。子供ながら察するに、そう決断するのにだって相当辛い選択を迫られたに違いない。けれど――。


「な、なんでしゅうちゃんを見捨てたんだよ⁉ あのお札、碧蓮さんが作ったんだろ⁉ あんなすげー物が作れるんだったら、魚人間なんてどうにかできたんじゃねぇのかよ⁉」


 空気を読まずにそう言葉を発する大地。おいおい、何も村の人たちや碧蓮さんだって好きで青瀬のことを見捨てた訳が無いだろう。とは言え、この原始人に空気を読めと言ったって、それは無理というものだろう。それに俺だって、正直こいつと同じことを考えなかったと言えば嘘になる。


「その質問にお答えする前に一つお聞きしますが、みなさんはここへ来る前に、泊まっていた部屋に残った最後のお札を持ってここへ来たのではありませんか?」

「あ、あぁ、そうだけど」

「今大地さんが言ったように、みなさんが泊まった部屋に貼ってあった大量のお札、あれは最後の一枚を除いて全て私が作った物でして、村の各家々にお守りとして一枚ずつ置いていたのです」

「村の各家に一枚って……それじゃあ、まさか……」

「そうです。村の人たち全員に協力してもらっても、あの結界を一つ作るのがやっとでした。みなさんが持って来たあのお札は、蒼蓮が残した最後の一枚。そして恐らく、そのお札以外は全て砕け散ったのではありませんか?」


 その問いに対して、俺たちは何も言うことができず、ただ小さく頷くことしかできなかった。


「もうお察しの通り、三百年の時を経て、茂垣の血が薄まった私では、蒼蓮の力を模倣もほうするのがやっとなのです。そして弱い私にできたのは、弱まった苦痛龍の封印を締め直し、外から来る深き者たちの通り道を狭めることだけ。それでも、もしも仮にしゅうちゃんを救う道を選び、苦痛龍を解き放っていたなら、今頃全世界が苦痛龍の脅威に晒されていたでしょう。世界を選ぶか、しゅうちゃんを救うか、それは私たちにとって究極の選択でした。ですが、しゅうちゃんのお母さんである晴美さんは、自分の子供ではなく、世界を救う方を選んでほしいと、そう私たちに言ったのです。一番苦しい筈の晴美さんにそう言われた私たちに、最早迷う資格などありませんでした……。いえ、こんなのはただの言い訳に過ぎませんね。本当に、ごめんなさい」


 そう言って、悲しそうな顔で深々と頭を下げる碧蓮さん。どうするんだよ。これ、碧蓮さんは全然悪くないじゃん。俺も博も、そして特に正面切って碧蓮さんに息巻いていた大地は気まずそうな表情を浮かべ、静かに座布団に座り直す。その姿はまるで体が縮んでしまったかのようにさえ見える。


 どうしよう。息苦しい。この場の重々しい空気に耐えられなくなった俺は、無理やりにでも空気を変えようとして、咄嗟に思いついたことを口にする。


「あ、えっと……そう、海にあったあの水晶、あれが苦痛龍を封印していたんですよね? その……あの玉、俺たちが壊しちゃったんですけど……」

「で、でも俺たち、別に壊そうと思ったんじゃないぜ⁉ ちょっと触れただけで壊れちゃったんだよ‼ な、なぁ⁉」

「そう、だよな」

「う、うん……」

「あの水晶は境界隔絶きょうかいかくぜつの宝玉と言って、正確には苦痛龍を封印するものではありません。外から来る魔の者、つまり、苦痛龍の僕たちとこの村とを切り離し、村の中へ入れないようにする為の道具です。そして今説明したように、あの水晶には強い力が込められており、深きものたちのような悪しき存在には触れることのできないようになっている一方、強い意志を持った人間が触れると、水晶に閉じ込められた力と反応して、簡単に壊れてしまうのです」

「強い意志って……あっ――」


 そうだ。あのとき、操られていた青瀬に挑発された俺たちは、かなり感情的になっていたのだ。それこそ、引っ越しで離れ離れになることが分かっていた大地や博からすれば、多分、俺以上に。


「みなさんに非はありません。元はと言えば、深き者たちにあの水晶は触れられないだろうと、そう高を括っていた気の緩みから生じた私たちの落ち度だったのですから」

「……じゃあ、俺たちを騙していた紺ノって男、あいつは一体何者なんですか?」

「それは分かりません。が、深き者たちの中には、人語を話したり、人間の姿に変化することのできる個体もいます。恐らく、紺ノと名乗った男もその類だったではないかと」


 生贄だとか、世界を滅ぼしかねない怪物だとか、ここへ来るまでに、もう散々信じられないような思いをしてきた。だけど改めて話を聞かされたものの、結局分かったことと言えば、何もかもが現実離れしているということ。ならば俺たちは、一体これからどうすれば良いのだろう。いや、そんなこと分かり切っている。俺たちみたいな普通の子供に、できることなんてあるもんか。きっと大人がどうにかしてくれるさ。世界のことも、青瀬のことも。


 そうやって全てを割り切ろうとしたとき、一瞬、今朝の夢の光景が脳裏を過る。手を伸ばし、俺に向かって助けを求めていた青瀬の姿が。何を考えているんだ、俺は。助けるなんてそんなこと、できる訳無いじゃないか。だって、俺たちは何の力も無いただの子供で――。


「あの、碧蓮さん。僕たち、これからどうしたら良いんでしょうか?」


 一人できもしないことに葛藤する俺の隣で、そう博が切り出した。その物言いというか、何か違和感を覚えた俺は、ハッとして博の方へ視線を向ける。


「この場所には強い結界が貼ってあります。このお寺にいる限り、苦痛龍の僕たちには指一本たりともみなさんに手出しはさせません。現在私たちは村の外へ出ることはできませんが、事が発覚してからすぐに外部へ救援を要請しましたので、“術者じゅつしゃ”の到着次第、みなさんは村から脱出する手筈になっています」

「術者って?」

「世界には、私の他にも変わった力を持つ人間がいるのです。その者たちは世界の各地に散らばり、日夜世界を脅かそうとする脅威と対峙たいじしています。昨日事が発覚した折、救援を要請したところ、五名の強い術者が名乗りを上げてくれました。現在こちらに向かっている筈ですので、どうか安心して下さい」

「す、すげー‼ レンジャーとかライダーみたいなのって、本当にいたのかよ‼」

「いえ、そういうことじゃなくて、僕が言っているのは、復活間近な苦痛龍をどうするつもりなのかと、そういうことを聞いたつもりだったんですけど」


 真っすぐに碧蓮さんを見据えて博が言う。いや、今のは本当に博が言ったのか? あまりにもはっきりとした口調で、それにどこか高圧的で怒気を含んでいるかのような物言い。今朝の出来事から、なんだか少し博の雰囲気が変わったように感じていたけれど、今の博は俺の知っている博とはまるで別人のようにさえ思える。


「苦痛龍は……ここへ向かっている術者と私とで、討伐することになっています。ですから、みなさんはそんなことを気にしなくても良いのですよ」

「世界を滅ぼしかねないような神を、復活した後に、数名の術者だけで本当に討伐することができるんですか?」

「それは……」

「それに、ここにいれば安心だって言いましたけど、碧蓮さん、本当はこの結界、もうあんまり持たないですよね?」

「…………」

「お、おい博、お前、何言ってんだよ?」

「碧蓮さんの髪、見てみなよ」


 博に言われるまま碧蓮さんの髪を見ると、おかしなことに気付く。青かった碧蓮さんの髪の毛が、先端から徐々に緑がかった黒に変色しているのだ。


「あっ、か、髪が……」

「結界を張るのにだって力が要る筈。無尽蔵じゃいられない。碧蓮さんの力の残量は、その髪の色が亡くなったときに切れてしまう。違いますか?」

「……その通りです」

「僕が推定するに、どれだけ持ってもあと半日くらい。結界を張るのにさえそれくらいの力を使わなくちゃいけないのに、苦痛龍を討伐することなんてできるのでしょうか。いやそもそも、救援が来るまで結界を持たせられる保証も無い。村には深きものたちがうろついているし、山にはもっと恐ろしいあの怪物もいる。五人の術者がこの村に駆けつけたとして、誰一人として辿り着けないという可能性だって考えられるし、もし来られたとしても、今度は外へ出られる保証が無い。だからこそ、いまこの場に辿り着くことのできた僕たちには今やるべきことがあるんじゃないですか?」

「……何が、言いたいのですか?」

「僕たちで、苦痛龍を封印するんですよ。そうするしかないと思います」


 俺たちが、苦痛龍を封印する? そんなの無理に決まっているだろ。俺たちはただの子供で、何の力も持っていない。そんな俺たちに苦痛龍の封印なんてできる筈がない。だいたい、目的の場所へ辿り着くことだってできやしないだろう。山の中には、あの恐ろしい怪物がいるんだから。お前だって今そう言ったばかりじゃないか。そう考えていると――。


「うぉぉぉぉぉぉッ‼ マジかよ⁉ 博お前、そんなこと考えていたのかよ⁉ すっげぇじゃん‼ 俺たちが苦痛龍を倒すなんて、超かっけぇじゃねぇか‼ よーし、やってやろうぜ‼」


 大地のやつが馬鹿正直に真に受けたような反応をしやがった。それが更に、俺の神経を逆撫でて――。


「まぁ、カッコいいかはともかく、今ならまだ苦痛龍は力を取り戻していないだろうし、どうにかできるかもって思っただけだよ。それで、僕たちが苦痛龍を封印するとして、碧蓮さんには僕たちが苦痛龍の元まで辿り着けるように、さっきのような光の道を作ってもらいたいんですけど――」

「――ッ‼ 勝手なこと言うなよ‼」


 立ち上がり、気付けば俺はそう怒鳴っていた。すると沸々と怒りが沸いてきて、言葉が止められずに溢れてくる。


「博、お前どうしちゃったんだよ⁉ 俺たちにそんなことができる訳ねぇじゃん‼ 俺たちは子供なんだぞ‼ 特別な力がある訳でもないのに‼ それを勝手に……勝手に話を進めやがって‼ お前、おかしいよ‼」

「お、おい、隼人……――」

「大地、お前もだぞ‼ 忘れたのかよ‼ 俺たちのせいで村人全員が死んだんだぞ⁉ それをいい気になって、博に乗せられて、何かっこつけたこと言ってんだよ‼ 馬っ鹿じゃねぇの⁉ もう子供じゃないんだぞ‼ ちょっとは考えてから喋れよ‼」

「……こ、子供なのか子供じゃないのか、どっちなんだよ‼ 大体隼人、お前こそなぁ――‼」


 そのまま俺と大地は怒鳴り合いの喧嘩始めてしまった。そして博は言い合いには加わらず、俺と大地の間、いつもの調子でおろおろしている。それでも最初の内はまだ良かった。怒鳴り合いながらも、苦痛龍を討伐する、しないの話で済んでいたからだ。


 だけど徐々に俺たちの言い合いはエスカレートして、次第にお互いの悪口や罵り合いに発展すると、俺の方から二人の転校の話を持ち出して、ただの感情のぶつけ合いになってしまった。


 そうして顔が真っ赤になり、息が切れ、目頭が焼き切れんばかりに熱くなった頃、俺はとうとう耐えられなくなってしまって――。


「――ッ‼ もう良い‼ 行きたきゃ二人で勝手に行けよ‼ 俺は絶対に行かないからな‼」


 そう言い捨てると、俺は部屋の襖を開け、廊下に飛び出した。

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