長い夜の籠城戦 フェイズ3:ステレオノイズ

 その後幾度か部屋の前まで何かがやって来たような気配は感じるものの、恐らく結界のお蔭なのだろうか。やつらは外からこちらの様子を探ろうとしているだけで、中へ入って来ようとはしない。またそうなると安心したからか、とりあえず俺たちはスクラムを組むのを止め、筆談ができるくらいの余裕が生まれていた。


 その筆談も最初の内は「大丈夫か?」とか「眠くない?」などと真面目な内容だったのだが、暫くするとそれに飽きたのか、大地のやつが「絵しりとりしようぜ」と提案してきた。


 俺も博も呆れそうになったが、今の時刻はようやく二十二時を回ったばかりである。緊張で変に目が冴えてしまったこともあって、また先を見越したならいつまでも肩肘を張ってはいられないし、ならば丁度良い気分転換になるかもしれないと考えた俺たちは、大地に付き合ってやることにしたのだった。


 博がパンダの絵を描くと、それに対して俺はダチョウで返し、すると大地のやつはあろうことか、う〇この絵を描いて俺たちを笑わせようとするのだ。俺は筆談で「笑わせようとするな!」と言うと、大地のやつは不服そうに「うなぎの絵の何が悪いんだ? ほら、うなぎの“ぎ”で、次は博の番だぞ」などと真面目な顔をして返すものだから、俺と博は込みあげて来た笑いを殺すのに必死にならざるを得なかった。


 この部屋の盤石たる安心感に加え、外の悲鳴が止んだこともあって、今はもう先ほどまでの緊張感が失せてしまっていた。そんな完全に油断している最中、不意に俺たちの耳にトントンという何かを叩く音が届く。音の出所を探ろうと真っ先に視線を向けたのは、この部屋の入口の襖。三人の視線が交差すると、言葉は無くとも「罠かもしれない」という意思が伝わり、俺たちは静かに気配を殺す。すると、すぐに――。


『みんな、いる? あいつらはいなくなったから、もう大丈夫。だから出ておいで』


 そう晴美さんの声で呼びかけられる。俺は晴美さんの声に安心し、それにあいつらはこの部屋の襖に触れられないという思い込みもあって、反射的にそれに返答しようと――。


「「は――」」


 俺と博が言葉を発したその瞬間、大地が俺たち腕を掴む。「なんだよ」。そう言ってやろうとして、大地の顔を見ると、大地は険しい顔をして俺の方を向き、首を横に振っていた。するとそのとき、バチンという音を立てて部屋に貼ってあったお札の何枚かが割ける。


 えっ、と思い、襖と大地とを交互に見比べていると、再びトントンという音が聞こえ、それから間を置かずに――。


『みんな、いる? あいつらはいなくなったから、もう大丈夫。だから出ておいで』


 と、オウム返しのように、同じ言葉を全くそのまま発した。


 違う、これは晴美さんじゃない。晴美さんと全く同じ声だけれど、絶対に違う。だけど、どうしてノックの音が。あいつらはこの部屋の襖に触ることができなかったんじゃないのか。


 そう疑問を抱いていると、再び鳴るトントンという音。すると俺は三度目にして、音の正体に気付いてしまった。その音はノックによるものじゃない。何故なら、襖が全く揺れていないからだ。これだけ薄い戸襖ならば、どれだけ軽く叩こうとも揺れない筈がない。


 つまりどういう方法かは分からないけれど、襖の先にいる何かは、晴美さんの声もノックの音も真似て、俺たちを騙して外へとおびき出そうとしているのだ。


 それにしても大地のやつ、今日会ったばかりの晴美さんの声と襖の先にいるやつの声を、今の一瞬で聞き分けたのか? それとも原始人の勘ってやつなのだろうか。再び大地に助けられたことに多少の負い目を感じながらも、「サンキュー」とアイコンタクトを送ると、「気にすんなって」と返ってきて、胸の辺りがむず痒くなる。


 いずれにせよ、そうと分かれば簡単だ。もう絶対に返事なんかしてやるもんか。そう心に固く誓っていると――。


『ねぇ、そこにいるんでしょ? 出ておいでよ。私も仲間に入れてよ。外へ遊びに行こうよ』


 襖の先にいる何かは、今度は青瀬の声でそう声をかけてきた。


 よくもやったな。俺の頭に湧いたのは、そんな怒りの感情だった。どうやら二人も同じような感情を抱いたらしく、大地などは立ち上がってそのまま襖の先にまで行ってしまいそうな勢いだったので、今度は俺が大地のやつをいさめようとした、そのとき。


『みん、ないる? ねェ、そこにいルんでショ? あいつらハいなくなったカラ――出ておイでヨ。もう大丈夫だかラ、私も仲間ニ――出ておい――外へ遊びにコウヨ。み、んな――』


 壊れたラジオのように、青瀬と晴美さんの声を混ぜこぜにしたかのような気持ちの悪い声でそう話しかけて来る。


 気持ちの悪い声と絶えずトントン扉を叩くのを模した音に、俺と博は疎か、衝動のままに行動していた大地までも怯んで部屋の後ろへ下がり、気付けば俺たちの怒りは既にどこかへ失せ、再び恐怖がぶり返してしまった。

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