長い夜の籠城戦 フェイズ2:ペタペタ

 籠城が始まってから一時間が経過した。その間、俺たちは村人たちがどこかへ連れて行かれる様子を壁越しに聞かされ続ける他無かった。


 最初の内、何人かは連れて行かれまいと抵抗していたようだけれど、声の様子から察するに、すぐに返り討ちにされてしまったようで、最早逆らう者はおらず、ただ淡々と外にいる何かに連れて行かれているようだ。


 耳を塞いでいても聞こえて来る村人たちの悲鳴や怒りの声に、俺たち三人は恐怖や罪悪感でどんどん追い詰められて行く。博などは瞬きもせずに震えながら涙を流している。俺の精神も限界が近いようで、こんなことをしたって大した意味が無いことは分かっているけれど、がっちりと目を瞑って外の情報を追い出そうとしていた。


 すると突然、肩が力強く引き寄せられる。驚いて目を開けると、大地が俺と博の間に座って肩に自分の腕を回してきた。


 「何やってんだよ!」駄目なことが分かっていても、そう声に出して言い出しそうになった。だって、これじゃあ大地のやつは自分で耳を塞げないではないか。こいつ、こんな声を聞かされてもなんとも思ってないのかよ。そう思いながら大地の顔を見ると、俺の考えが浅はかだったのを思い知らされる。


 大地のやつは、歯を食いしばりながら涙を流していた。大地はなんとも思っていなかったんじゃない。恐怖も罪悪感も、一心に受け止めているんだ。しかも苦しんでいる俺たちのことを勇気付けようとして、自分を庇う為に使えた筈の腕を使えなくしてまで。


 するとこのとき、俺が抱いたのは感謝ではなく、予想に反して怒りに近い感情だった。俺たちは小さい頃からずっと一緒で、対等な関係で、友達だった筈。なのにこいつは今、自分を犠牲にして、俺たちのことを守ろうとしている。そんな大地に対して、「何カッコつけてんだよ」とか、「何様のつもりだよ」とか、そういう類の言葉ばかりが次々に俺の頭に湧いて来てしまう。要するに、小さなプライドが傷付いたのだ。


 このままこいつ一人に良い恰好をさせるなんて、そんなの冗談じゃない。


 俺は耳から手を放すと、一方の手を大地の肩に回した。驚いた顔をする大地に対して俺は余裕を装うように、口元をゆがめて無理やりニッと笑って見せる。すると大地の肩に回していた俺の手に、何かが触れる。驚いた俺と大地はその正体を確かめようとすると、視線の先で博が震えながら腕を回していたのだった。


 俺たち三人は顔を見合わせると、誰からともなくスクラムの要領で三人肩を組む。耳から手が離れた分、外の悲鳴や怒号は大きく聞こえたけれど、それでも俺たちはさっきよりもずっと心強さを感じていた。


 それからどれくらい経った頃のことだろう。外から突然――。


「待テ‼ 村ノ外ノガキガイナイ‼ ツスス――スグニ探セ‼」


 ガラガラ声の主が言う。声の主が言う村の外のガキというのが誰であるかを察した俺たちは、三人同時にビクリと体を震わせ、今まで以上に息を潜めるように努めた。ただそうしていると、心臓の音がやけに大きく聞こえる。何かが宿の傍をペタペタという音を立てながら通る度、冷や汗が垂れる。過度な緊張で胸が張り裂けそうになるも、それでも晴美さんに言われた通りに、声だけは決して出すまいと必死に気配を殺した。


 そんな極限の状態を強いられていると、俺たちはあることに気付いてしまった。宿の周りを探るようにしていた何かの気配が、明らかに多くなっているのだ。すると次第に、ブクブク、フツフツという何かが泡立つような音が聞こえ始める。これは多分、人間ではない何かが顔を突き合わせてヒソヒソと言葉を交わしているのではないか。俺にはそんな恐ろしい想像せずにはいられなかった。


 硬く目を瞑り、外を意識しないよう試みたけれど、状況は更に悪化してゆく。遠巻きにガラガラと玄関の戸が開く音が聞こえてきたのだ。するとすぐにペタペタと幾つもの足音が宿の中へと入ってきて、あちこちの部屋の戸を開けて中を調べている様子が伝わって来る。


 この部屋は絶対に大丈夫。お札が貼ってあるのだから大丈夫。声さえ出さなければきっと大丈夫。心の中でそう何度もつぶやいて自らを鼓舞こぶしようとするも、もしかしたら、次の瞬間にはあの襖の戸を開けて、得体の知れない何かが入って来るのではないかと、どうしてもそう想像せずにはいられなかった。


 三人の肩を組む力がギュッと強くなる。このとき誰も声には出さなかったけれど、早くこの瞬間が過ぎ去ってほしいと、全員が同じことを考えていたに違いない。


 そうして暫く身を寄せ合いながら震えて耐えていると、何かの違和感を覚える。何かを物色する音も、部屋の前を行き来するペタペタという足音も、いつの間にか止んでいたのだ。大地と博も同じことを考えていたようで、少しホッとしたような表情で顔を見合わせる。


 もしかして、諦めたのだろうか。


 そんな油断にも似たことを考えていると、すぐにそれが間違いだったということを思い知らされる。さっきまで宿の外で聞こえていたブクブク、フツフツという何かが泡立つようなあの囁き声。それが俺たちの部屋と外とを隔てる襖のすぐ先から聞こえてきたのだ。


 僅かに緩んでいた三人の表情は再び硬く強張り、襖から少しでも離れようとして後退る。そのとき、博の腕が部屋に置かれていた扇風機に当たって、倒れて音を立ててしまった。


「あっ――」


 意図せず漏れ出した声。それに反応するかのように音を立てて裂けるお札。すると声の主たちはここに俺たちがこの部屋の中にいることを確信したからか、一斉に声を上げ始める。またその声というのが、法螺貝ほらがいを吹き鳴らしているかのような、或いは狭いパイプの中を粘性のある液体が濁音を伴いながら流れているかのような、そんな恐ろしくておぞましくて、何かに形容することさえもはばかられる、とても生物が発する音とは思えない音をしていた。


 目を閉じ、次に開けたときにはもう目の前の襖が開いてしまうのではないか。そう思うと、目を閉じることもできない。しかしどれだけ必死に目を開けていようとも、そのときはきっと訪れる。無慈悲にも、次の瞬間にでも――。


 襖の先で、引き手に手が掛けられる光景を想像したそのとき、バチンという強烈な静電気が走ったかのような音が鳴るや否や、「ヴヲッ⁉」と、まるで驚いたかのような声が上がる。すると部屋の前まで来ていた何かは、一斉にペタペタという足音を立てて玄関の方へと走り去って行ったようだ。


 今度こそ部屋は静寂を取り戻し、気配が去ったことを確信した俺たちは、声にならないよう三人同時に静かに息を吐く。時計に目をやると、時刻はまだ二十一時を回ったばかりだった。なんて長い夜なのだろう。これからの人生で、これほどまでに朝が待ち遠しいと感じることは、もうきっと無いに違いない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る