第四章 結界
長い夜の籠城戦 フェイズ1:告白
腹が膨れ緊張も解けた頃、突然睡魔がやってきた。時計を見ると、時間は既に夜の二十時を回っている。二人はどうかと思ってふと目をやると、博は大分限界が近いようで、瞼を重そうにしながらうつらうつらとしていた。無理も無いだろう。今日一日を思い返してみれば、電車で移動し、海で泳ぎ、この暑い中を散々歩き回ったのだから。
対して大地のやつはまだ余裕がありそうで、それに珍しく何かを思案しているように見える。もしや今になって、罪悪感がぶり返してきたのだろうか。そう考えていると、まるで意を決したかのように大地が話し始めた。
「……あの……俺、さ……もしかしたら、もう言えなくなっちまうかもしれねぇから……だから今、言うけどさ……俺、転校するんだ」
「…………、はっ……?」
それはあまりにも予想だにしてもいなかった切り出しで、返答に間を要した挙句、未だに俺は大地の言った言葉の意味が理解できないでいた。
「転校……? いや……いつ、どこに、だよ……」
「アメリカ。確か、母ちゃんはカリフォルニアとかって言ってた。その、夏休みの終わり頃に……」
はっ? アメリカ? いや、嘘だろ。こういう場合、遠くても北海道とか関西とか九州とかの日本のどこかで、小学生にしてみれば果てしない距離に感じても、実際冷静になってみればまた会えなくもない距離とか、その程度の規模の場所に行くんじゃないのかよ? だって言うのに、アメリカ? なんでだよ。なんで突然そんなことを言うんだよ。
………………。
いや、突然じゃなかったのかもしれない。夏休みが始まるや否や、この旅行を計画したのもそうだけれど、そうでなくとも今回の旅行が始まる前からやけに三人で遊ぶ機会が多かったような気がする。
遊びに誘うのはいつも決まって大地のやつからで、今思い返してみれば、あれらはこいつなりのサインで、お別れの前の思い出作りというか、そういった類のものだったのではないだろうか。
そんな大地の言い分に、俺は頭が整理できないでいると――。
「ああ、あの、あの……ぼ、僕も、なな、なん、だ……」
今まで眠そうにしていた博がおずおずと手を上げながら言う。
「博、僕もって?」
「ぼ、僕も……てて、転校……するんだ……。お、お父さんの、し、仕事の都合で、イイ、イギリス、に……な、夏休みが、おお、終わったら……」
またそんな突拍子も無いことを言う。
夏休みが終わったら転校? それも二人同時に? はっ? いやいやいや、ふざけんなよ。なんだよ。なんなんだよ、こいつら。突然転校だとかって言いだしたかと思えば、アメリカだとかイギリスだとか現実味の無いことを言いやがって。
一発で怒りが沸点に達した俺は、今の状況も忘れて――。
「ふ、ふざけんなよ‼ なんなんだよお前ら‼ しかも二人いっぺんになんて――……クソ……。なんでもっと早く言わなかったんだよ‼ しかもアメリカで、イギリスだ⁉ 突然すぎんだろ‼ 勝手なことを言ってんじゃねぇよ‼ 大体――」
感情に任せて勝手なことを喚き散らかした。
こんな風になるのはいつぶりだろう。いや多分、こんなにも一方に、感情的になって何かを言葉にしたことなんて、初めてのことかもしれない。俺は大概いつも頭の中で言いたいことを勝手に完結させていて、よくよく思い返してみれば、碌に大声を出した記憶すらも無いではないか。
最初の内、二人とも呆気に取られてただ黙って俺の話を聞いていたけれど――。
「お、俺だって転校なんてしたくなかったよ‼ だけど、そうなっちまったもんはしょうがねぇじゃねぇか‼ 俺だって嫌だって言ったけど、親の都合なんだぞ‼ 勝手なこと言ってんのはお前の方だ‼」
大地に反論された。しかも、今日に限ってはぐうの音も出ないような正論でだ。いつもは思いついたことを脊髄反射で適当に言っているだけのくせに。大地のくせに。
そう思った俺は冷静になるどころか、再び頭に血が上ってしまう。そうなるともう正論なんて度外視したかのような思い切りの感情論を大地にぶつけてしまって、ともすれば大地もあっという間に冷静ではいられなくなり、
「や、や、止めろよッ‼ けけ、喧嘩なんか、し、してる場合じゃないだろ‼」
博のその一喝で、俺たちは完全に静止した。やや言葉を噛みはしたものの、博がこんな風に声を荒げるなんて初めてのことで、一触即発状態だった俺たちは一瞬で冷静にさせられてしまったのだ。
「じょ、状況分かってるのかよ⁉ 僕たちの事情なんかで喧嘩して良い筈ないだろ‼ だっていうのに、二人とも言いたいことばかり言ってさ‼ そりゃあ転校のことを言えなかったのは悪かったよ。でもさ隼人、僕も、それに大地だって……別に隠そうと思って隠していた筈ないじゃないか‼ 大体大地も悪いよ。こんな状況で突然そんなこと言ったら、まるで僕たちが助からないみたいだろ‼ 僕は全部終わってから、ちゃんと二人に言おうって、そう思っていたのに……。なんだよ……今年の夏休みが、皆で……一緒に遊べる最後の機会だったっていうのに……」
涙と鼻水で顔をグズグズにした博の言葉を真正面から受け止めた俺も大地も、もう何も言うことができなかった。そうだよ、少し考えれば分かることじゃないか。突然転校を言い渡されたのなら、ショックなのはむしろこいつらの方だ。それを俺は一方的に二人を悪者にして、自分だけが被害者であるかのように振舞って――。
反省と後悔の念で完全に部屋が静まり返ったそのとき、突如どこからともなく、ドォン、ドォンと、太鼓を叩くような音が聞こえてきた。音は徐々に大きくなり、どんどん感覚も短くなっている。窓は目張りされていて外の様子を伺い知ることはできないけれど、俺はこのとき、その音は海の方から近付いてきているのではないかと直感した。
そうして、音の出所がこの宿とそう離れてはいない場所までやって来た頃、外から「わっ⁉」とか「ひっ‼」という悲鳴に混じって、「さ、
『コノ村ノ人間ハ、クォココ――コレデ全員揃ッテイルカ?』
と誰かが、いや何かが言う。その音はガラガラとした濁音交じりの声で、人では無い何かが人の声を真似ているとでも言えば良いのか。いずれにせよ、声の主が人間ではないということだけは思わざるを得なかった。
「……なぁ、今の声――」
大地が発しそうになったその先を、俺と博は咄嗟に口を塞いで塞き止めた。すると同時に、部屋のどこからか“ヂッ”っと、まるで電気が爆ぜたかのような音が鳴る。三人は顔を見合わせてから部屋を見渡してみると、天井や壁に貼られた星のマークのお札の何枚かが破れているのが分かった。
『ティティティ――今ノ音ハ……――』
『これで全員だ‼ 黙ってさっさと連れて行くが良いわ‼』
ガラガラ声の主を遮ったのは、村長の怒鳴り声だった。村長の覇気のある声に気圧されたのか、一瞬の沈黙の後――。
『……プァパパ――マァ良イ。ヲ前タチ、クァカカ――数エロ』
と、まだ訝りながらも俺たちの方から気を逸らしたようだ。三人で顔を見合わせると、声にならないよう静かにため息を吐く。その後、「悪りぃ」とでも言うからのように目を伏せバツが悪そうにしていた大地の肩を、俺は軽く小突いてやる。
気が付けば三人の目には緊張の色が浮かび、手には変な汗が握られていた。始まった。始まったのだ。朝まで、日の出の時間まであと八時間以上。長い夜の籠城は、まだ始まったばかりだ。
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