第三章 手招き
呼び声
ごうごう響く音。それは目の前の岩場に開かれた洞窟の奥で、波と風の音が混ざり合い反響して鳴る音だ。洞窟の中を覗き込むと、入口と思わしき辺りには外と内を隔てるように建てられた鳥居が目に付くものの、その先は暗闇に覆われていて見通すことができない。
それにしても、なんだ、この感じは。首を垂直に
「はえ~……ここ、すっげぇ場所だな~……」
「な、なんか……こ、怖い、ね……」
博の言葉で、頭の奥に引っかかっていた何かが腑に落ちたような気がした。そうだ、怖いのだ。この場所からは自然が発する圧力のようなものとはまた別種の……もっと生々しいとでも言えば良いのだろうか。例えるならば、どこかに身を潜めている何かに命を狙われているかのような。そんな根源的な恐怖を覚えずにはいられなかった。
恐らく二人も似たようなことを考えているであろうが、それでも、俺の思ったことを口にして、共有しようとしていると――。
「なぁに、まさか君たち、ビビッてんの? ボクにだってできたのに?」
後ろからそう挑発するように声を掛けられ、三人同時に振り向く。するとそこには、海の稜線に沈みつつある夕日に照らされて、影だけとなり表情さえも見えない青瀬の姿があった。
「――ッ‼ ビビッてなんか……――」
「ない」。そう言ってやりたかったけれど、言葉にはならなかった。普段ならば、女子にそんなことを言われておいて引き下がることなんて絶対にできないけれど、冷たくて、全身にまとわりつくようなこの得体の知れない恐怖を前にして俺は、ただ虚勢を張ることさえできはしなかった。
もう良い。今この瞬間だけはこいつに謝ってでも、この場所から出よう。そう考えていると――。
「ま、ずっと友達って言ったってさ、所詮はこんなものだよねー。いいよいいよ、気にしないで。さ、早く宿に行こうよ」
なんてことを言いやがった。
許せない。あいつの胸倉を引っ掴んでやる。そう怒りを覚えるのと同時に、何か違和感のようなものを覚えたからだ。確かにこいつは最初から気に食わないやつだった。何を言うにしても常にどこか上から目線で、何度もむしゃくしゃさせられた。けれどこいつは、そんなことを、人を傷つけるようなことを言うようなやつじゃない。今日初めて会ったばかりだけれど、それだけは断言できる。
そんな突如振って沸いた違和感の正体を探ろうとして、怒りに任せて握った拳を解いた瞬間。
「行くぞ‼ 隼人‼ 博‼」
俺と博は大地に手を掴まれ、洞窟の奥へと引っ張られた。
「ちょっ、おい! 大地――」
洞窟の奥へ突っ込んで行く大地を制止しようとして口を開くも、その先の言葉が言えなかった。一瞬だけ見えた涙に濡れる大地の横顔、それがあまりにも悔しそうで、俺にはなんて声を掛けてやれば良いのか俺には分からなかったからだ。
大地に引っ張られるまま先へ進んでいると、すぐに洞窟の奥と思わしき場所へと辿り着く。そこには岩でできた天然の祭壇と思しき物があって、その上には仄かに青白い光を放つ水晶が備えられていた。
近くで観察してみると、水晶の表面が僅かに湿っているのが分かる。いや、と言うより、
「やるぞ‼ 隼人、博‼」
引っ張られる腕。指先に迫る水晶。何か嫌な予感がして、ハッと我に返った俺は、大地を制止しようとするも。
「ま、待、大――」
「俺たちは、ずっと友達なんだ‼」
既に手遅れだった。三人の手が同時に触れた瞬間、もの凄い光が立ち昇る。そして次に目を開けたとき、祭壇の上の水晶は、ザッと音を立てて白い砂のように粉々になってしまった。すると間を置かず、祭壇の下から水しぶきが立ち昇り、一瞬で洞窟の高い天井まで達する。三人同時に尻もちを付いて倒れた俺たちは、少しの間何が起こったのかも分からず、その場で呆然とすることしかできなかった。そして暫くすると、何か音のようなものが聞こえてくる。
『……――あ、――ん――』
それは最初、海鳴りか、洞窟に反響する風の音か何かだと思っていた。だが、どうやらそうではないらしい。小さな音から始まったそれは、次第に三つ、五つ、いや、もう数えきれない程に数を増やしていて――。
『『――あ、いあ、く――ぐ――……』』
音ではないそれ。そう、まるでそれは、いくつもの声が重なりあって、何かを呼び――。
『『『『いあ、いあ、くとぅる、ふたぐん――』』』』
遂には声の主たちが、地の底よりも暗い暗闇が、俺たちのすぐ隣を囲んでいるかのような錯覚を覚え――。
「うるぉぁぁぁぁぁぁぁッ‼」
突如隣から立ち上った大地の咆哮が、唸りとも、呪文とも思えるそれを掻き消した。すると何故か、今まで異様に暗かった闇が遠ざかり、いつの間にか、洞窟の中へ入り込む夕日の茜色が目に飛び込んで来る。
「……おい、隼人、博……」
大地に差し出された手を取って立ち上がると、俺たち三人は無言で顔を見合わせた。すると突如、どこからともなく誰かの嗤い声と思わしき音が洞窟内に反響し始める。それは先ほどのような複数の数から成るものではない。けれど、邪悪で明らかな敵意を持つそれは、俺たちの恐怖を煽るのに十分だった。
「で、出てこい‼ 隠れてんじゃねぇ‼」
大地の一喝を以てしても消えることのない声。そんな声の出所を、俺たちは必至に探していると――。
「ゆ、揺れて、る……」
「……えっ?」
博がそう声を漏らす。すると、突如洞窟内がガタガタと音を立てて揺れ始めた。
「じ、地震だ‼ 隼人、博、早く、早く‼」
大地に背中を押され、俺たちは出口へ向かって猛ダッシュした。当初思っていたよりも深い洞窟ではなかった為、すぐに出口に辿り着く。しかし、俺たちの背中を押す大地のことが気になって、確認の為一瞬だけ振り返ると、その場所、今まで俺たちが立っていた祭壇のあったところに、無表情の青瀬が立っていて――。
「――ッ‼」
「バカ‼ 隼人‼ 何やってんだ⁉」
踵を返して洞窟の中へ戻ろうとした俺を、大地が引き留める。
「止めんなよ‼ まだ青瀬のやつが――」
言い終わるよりも先に、洞窟の天井が崩れ始めた。瓦礫はすぐに入口を塞いでしまい、大地に服を引っ張られて足を止めた俺は、間一髪で大地に助けられた形になるのだろう。が――。
「…………ッ‼ なんでだ、なんでだよ‼ なんで止めたんだよ、大地‼ あそこにはまだ、青瀬のやつが……ッ」
「何言ってんだ、隼人‼ しゅうちゃんは、ずっと入り口に立っていただろ⁉ 洞窟の中へ入ったのは、俺たち三人だけだったじゃねぇか‼」
「……えっ? いや、で、でも、確かに……」
真偽を確かめようと、博の方へ視線を向ける。しかし博は大地に賛同するように、小さく何度も頷いていた。
思い返してみればその通りだ。洞窟へ入ったときも、あの気持ちの悪い声の出所を探す為に辺りを見渡したときも、俺たちの隣に青瀬の姿は無かった筈だ。ならば最後に見たあの光景は、俺の錯覚だったのか? いや、でも……。
「……そういえば、青瀬はどこへ行ったんだ?」
そう疑問を口にすると、俺たちは辺りを見渡す。けれど、洞窟へ入るまではここにいた筈の青瀬の姿はもうどこにも無かった。
「おい、どうするよ……?」
「どうする、つったって……」
「ね、ね、ねぇ……ああ、あれ、み、見て……」
震える博の指差していた方向。そこには、海に沈みかけた太陽があった。しかしその色が普通じゃないのだ。赤というよりは赤黒く変色し、まるで濃い血の色のようになったそれは、見ているだけでも寒気を覚える。また風も無いのにいつの間にか波は荒れ始め、空もまた、海の方からやって来るどす黒い黒雲に覆われつつあるようだ。
「な、なんだよ、あれ……」
「い、一度宿へ帰ろう。青瀬のこともあるし、大人に知らせた方が良い」
「う、うん」
「あ、あぁ! そう、だな!」
こうして俺たち三人は海の岩場を後にした。このとき俺は何度も後ろを振り返ったが、そこにはやはり、青瀬の姿は無かった。
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