青春しちゃってるボーイズ

 足の裏に伝わる砂の感覚。ザザーンと、絶えず満ちては返す波の音。上を見上げてみると、にゃあにゃあと鳴く海鳥が飛び渡り、藍より青いその色は、まるで地上から空へと吸い込まれてしまいそうなくらいに深い。


 正直に言うと、ここへ来るまで旅行にはそこまで乗り気ではなかったというのが本音だった。だけど、これ程までに美しい光景を前にしては、俺だっていささか程度は気分も高揚するというものだろう。


 そして、普段は冷めている俺がこの調子であることを考えれば――。


「うぉぉぉぉぉッ‼ うぇぇぇぇぇーみぃぃぃぃぃーだぁぁぁぁぁぁぁッ‼」


 分かっていたことと言えばそうだが、海を前にした大地のテンションは、既に測定器を破壊するまで昂っていた。しかも未だ留まることを知らない。さっさと海に放り込んでやらなければ、臨界点を突破して爆発してしまいそうだ。


「おうおうおう‼ 早く泳ごうぜ‼ もう俺たちは乗るしかねぇよ‼ このビッグウェーブによぉぉぉ‼」


 いや、目の前の海は薙いでいて、ビッグどころか、波なんて言えるものがあるのかさえ怪しいのだが。まぁ、こいつのテンションの高さが故に出た言葉であることは、最早言うまでもあるまい。


 こいつのテンションの高さに付いて行けず呆然としていると、早々に服を脱ぎ始める大地。おいおい、目の前に女子がいるっていうのに、こいつ、マジかよ。が、青瀬のやつは目の前で服を脱いでフルちんになった大地を全く意に介した様子も無く、一人でさっさと準備体操を始めていた。


「博、お前、水着どうした?」

「ぼ、僕、どうせ泳ぐと、お、思って、家から履いて……」

「俺もだ。良かった。なんかさ、遊ぶ気満々と思われるのは少ししゃくだったんだけど、こいつのこれを見せられちゃな」

「あ、はは……そ、そう、だね……」


 そんなことを話して、恥ずかしさを紛らわせるようにシャツとズボンを脱ぐ俺と博。クソ、目の前で恥ずかしげ気も無く着脱している大地の様を見ていると、なんだか腹が立つというか、異様に恥ずかしくなってくる。


 そうして俺たち三人が着替え終わり、各々準備体操を終えた頃――。


「みんな準備OK?」

「とっくに覚悟完了済みだぜぇぇぇぇぇぇ‼」

「だ、大丈夫、です……」

「……OK」

「よし。じゃあさ、みんなで競争しようよ」

「競争?」

「あそこのあれ、見える? 海に浮いている赤いやつ」


 青瀬が指を差していたのは、砂浜から五十メートルくらい離れたところに浮くブイだった。つまりあそこまで泳いで競争しようという訳か。なるほど、面白い。


「あそこまで泳いで行って、一番にタッチした人が勝ち。どう、やる?」

「おぉ‼ 良いぜ――」

「良いだろう、受けてやる」


 大地の言葉を遮るように、俺は宣言する。どうしてそこまで自信満々なのかって? 何故ならそう、俺は小二の頃から今に至るまで水泳教室に通っているからである。


 運動という競技のほぼ全てにおいて、俺はこの原始人こと大地に勝つことはできないだろう。しかし、水泳だけは別だ。呼吸法や体の動かし方、それら全てに技術を要するこの競技は、フィジカルの有無でのみ優劣が決まりはしない。四年にも及ぶ経験と鍛錬。そんな絶対的な優位性を有する俺は、この場に措いて、この体力馬鹿をも圧倒しうるのだ。だが、しかし――。


「そ、その……ぼ、僕、も……やり、ます……」


 やはりか。どうやら博もやる気であるらしい。普段は大人しく、どちらかと言えば体育は苦手な博だが、水泳は別である。何故なら博の親は水泳用品開発企業勤めで、博もまた幼い頃から水泳をやっているからだ。


 それに事前に聞かされていた話では、今博が履いている水泳パンツも、博の親の会社で開発されたばかりの速度に特化した代物であるらしい。いや、それにしても、小学生が海でブーメランパンツというのはどうなのだろうと、流石にそう思わなくもないが。


 いずれにせよ、前に学校の水泳の授業で競ったときには、俺と博の実力は五分と五分。そして水泳の技術こそ無いが、フィジカルだけならば中学生をも上回る大地。面白い。ならば今ここで、誰が最強かを決めようじゃないか。


「うぉぉぉぉぉッ‼ なんだよなんだよ、隼人も博もやる気じゃねぇか‼ 俺も更にテンション上がって来たぜぇぇぇぇぇ‼」

「ふーん、三人とも自信満々じゃん。じゃあさ、こうしようよ」

「おっ、どうするってんだ?」

「君たちとアタシとで競争して、もしも私が勝った場合、そのときは後でジュースでも奢ってよ」

「面白れぇじゃねぇか‼ 乗ったぜ、その勝負‼」

「だ、大地……駄目、だよ、賭けなんて、し、したら……」

「大丈夫だって、俺たちが負ける訳が無ぇだろ?」

「で、でもぉ……」

「待てよ、今の話だと、俺たちが負けたときの条件しか提示されてないだろ。俺たちが勝ったときはどうするんだよ」

「バレたか。ちぇっ、もしもアタシが負けちゃったら、条件を決めていなかったとか言って、煙に巻こうと思ってたのに」


 図々しいやつだ。しかもこいつ、バレても悪びれもしないなんて。厚顔無恥とはこういうことを言うに違いない。


「んー……、じゃあ、そうだな。もしもそっちの誰か一人でもアタシに勝てたなら、ほっぺにチューしてあげる、ってのは、どう?」

「「「えっ⁉」」」


 そのとき、確かに空気が変わった。俺たち三人は、その直前まで確かに本気だった筈だ。が、しかし、青瀬のその言葉で本気の度合いというかなんというか、そういった何かが変わったような気がしたのだ。


「い、いやー、でもさ、ちゅ、ちゅちゅ、チューとかって、言われても……な、なぁ⁉」

「お、おう……」

「…………、…………」

「いや、ま、まぁ? しゅうちゃんもこう言ってるし? 隼人と博がどうしてもって言うなら? 俺はそれでも、い、良いけど?」

「お、俺は、別にどうでも良いけど? いや、つうか、どっちかって言うとジュースの方が良いっつうか……」

「は、はぁ⁉ い、いや、だったら俺だってジュースの方が良いわ‼ つうか、お前たちがそっちの方が良いって言うと思っただけだし‼」

「嘘言ってんじゃねーよ‼ お前がちゅ――……キ、キスの方が良いって感じだったろ‼ こ、このエロ原始人!」

「う、うっせーうっせー‼ 俺はエロじゃねぇ‼ エロはお前だろ‼ エロ隼人‼」

「エロって先に言った方がエロなんだろ‼」


 そんな感じで、俺と大地は博と青瀬を他所に子供のような口論を始めてしまった。それはなんともまぁ中身が無いことは分かっているのだが、何があっても決して、断じて先に自分がエロであることを認める訳にはいかず、俺も大地もそれが分かっているからこそ、こうして無意味な言葉を吐き出し続けねばならなかったのだ。


 そうして暫く口論を続けた頃、突如、博が口を開いたかと思えば――。


「ぼ、ぼぼ、僕、は……、…………ッ‼ ちゅ、ちゅーの方が、い、いい、良い……‼ かも、です……」


 と、言った。


 もしもこんなことを教室で言おうものなら、嘲笑と軽蔑の言葉の嵐を受け、晒上げにされることは想像に難くない。だがこのとき俺には何故か、真っ先に自らのことをエロと認めた博のやつがとてつもなくカッコいいやつであるかのように感じてしまった。そして同時に何か、得体の知れない敗北感も覚えていた。横を見ると、どうやら大地のやつも同じことを考えていたようだ。


 なんだ、なんなんだ、この感覚は。今このとき、その奇妙な感覚の正体は分からないけれど、少なくともこの瞬間、博一人が俺と大地の上を行っていることだけは間違いないように思う。

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