第25話 魔力の流用

「……そうだな」


 ふたりは魔法学校を卒業してすぐ、帝国魔法院所属の帝族顧問魔術師として帝宮に派遣された。だから、少年時のラスカリス大公を良く知っている。

 心優しく明るく前向きで、はしが転げても笑う少年だった。——はずだった。


「父帝と母后を兄によって同時に失い、兄帝に期待されたが信用はされず、宮廷の悪意の中で育ってきた。兄帝は、最後、痴情ちじょうのもつれなどというつまらぬもので惨殺された、となれば性格の一つや二つや三つや四つ歪むだろう……」


 クロードは眉を寄せた。同期の言葉に強く同意している。

 帝室官房局長として再び帝宮に上がった際に見たのは、昔とは似ても似つかぬ大公の姿だった。

 大人になられたのだ。そういうふうに思いたかった。

 けれど、今までの長所、「明るさ」や「優しさ」、そして「箸が転んでも笑うところ」まで潰して、誇り高き気品の皮をかぶった冷酷冷徹なものに自らを変え、聖女ひとりを心のよすがとするのは、良いこととは思えない。


 最近、ルネと接していると過去の、まだ何にも翻弄ほんろうされていなかった頃の大公が戻ってきたかのような表情をするときがある。彼女の言葉に突っ込んだり、感情豊かに騒いだり、吹き出したり。


「……それが続くためにも、ね」


 クロードはぽっつりと独り言を言った。


「なんか言ったか? ああ、そうだ。お前、アリスティドの件だけど——」


 ミルティアデスの言葉にクロードは目をいた。


「聞きたくない!」

「な、なんでだよ!? やっぱりそうだったのか! ちょっと前に聖女猊下げいかに聞かれたんだが。アリスティドって夜中に寝ぼけて動き回る癖はあるかって。よくわかんないけど、たぶんないって答えちゃったが……無いよな?」


 久しぶりに妻の顔をして、クロードは緋色ひいろの目をまたたかせた。しばらく考え込む。


「いや? 特には——」


 ミルティアデスは意外な聖女の言葉を言いにくそうに告げた。


「そのう、なんかなあ? 聖女猊下がおっしゃっていたんだけどなあ? 無意識のうちにアリスティドが巨乳の凄い美女と浮気している可能性があるんだとよ」

「知ってるよッ!!」


 わあ、とミルティアデスはそのクロードの剣幕にドン引きした。


「そ、……それに、無意識のうちに魔力が膨大に流れ出ているとも。寝ぼけた魔術師が無意識で魔法使って一騒動起こすことあるじゃないか。それが過度に頻繁にあるかって、聞かれたんだけども」


 クロードは顎に手を当てた。確かにそういう寝ぼけた魔術師が無意識で魔法を使って騒動を起こすことはある。クロード自身やったことがある、いや、常習犯だ。


「そういえば、そういうのはないな。僕はわりとあるけど」


 寝ぼけた状態のクロードは陽気に笑いながら何か変なものを出してしまうことが多い。大量の花。大量の宝石。大量のティーセット。大量の大理石の像。美術品のレプリカ。バスの停留所。いろいろ寝ぼけた状態で出した。いろいろ夫に処理させた。


が、寝ぼけた状態で不倫したとしても万死に値する。だが、うん。アレに寝ぼけグセまったくない。いつもシャキッとしていて憎らしいくらいだ。ただ、……そうだ、アレは催眠にかけやすくてね。記憶操作とか暗示とかは結構簡単にできるんだ」

「夫をアレ呼ばわりする妻ァァーッ! しかも絶対夫に催眠をかけて悪事をはたらいている」


 クロードは、まさか、と蠱惑的こわくてきに笑んだ。どれだけこき使われようと、浮気がバレて締め上げられようと、夫が手放したがらない理由がわかる笑みだった。


「高級なオーブンを二台買ってしまったのをごまかしたり、可愛いドレスや素敵な背広、高級な化粧品やアクセサリーやタイを買いすぎたのでごまかしたり……。はっ、その女、催眠などという卑劣な手段で僕のものに手を出したのか!? アァーッ! 殺意! すぐに女の正体を突き止めて肉のかたまりにしてやるぁぁあッ!!」

「高貴なお方を嫁にもらうと苦労する。気性は激しいし嫉妬深いし金遣いは荒いし。……だから浮気されたんじゃねーの……? だいたい私が知っている巨乳の美人は優しくて心が広くて堅実で性格がいい」


 その瞬間、ミルティアデスの髪の毛の一部が燃えた。


「……お前……!」


 きらん、とクロードの緋色の目が光る。


「僕が被害を受けているのに、被害を受けている側の責任を問うのは道義的に非常に問題だ。それに、アレを記憶操作して、僕は倹約家で無駄遣いをしない妻ってことになってるから問題はない。通帳が嘘をついているだけだ」


 ミルティアデスは呆れ返った。


「最悪だ。アリスティドに心底同情する。浮気くらい許してやれ」


 きらん、とクロードの緋色の目が光る。


「そういう物言いは結婚という行為そのものを侮辱するものだ。君はとてつもなく物言いが粗野だが、そのせいで君のあの可愛らしい妻が不倫に精を出していても許せるのか。それに実際、僕はをいくつか執筆して夫の稼ぎに貢献していたから無罪だ」

「あの、か。だが、お前がやったみたいに、巨乳の凄い美女に催眠中に何か操作されてる可能性はあるな。で、魔力が出ていってるのかも」


 きらん、とクロードの緋色の目が光る。


「催眠で聖女が気になさる程の莫大な魔力を使わせる? まさか。寝ぼけた状態で魔術師がひと騒動起こすのはかならず魔力の消費量が低いもの。大きな魔力を使えば使うほど、自分の意思や自我が重要になってくる。これが原理原則。莫大な魔力を消費させる魔法は、他人の意思では使えない。絶対的な動かし難い事実だ。そんなことできるわけ——」


 あれ、とクロードの脳の中に危険信号が点滅する。帝立図書館の全ての本の内容が、クロードの頭に入っている。その、確か東側の端の、目立たない本棚。禁止魔術の棚だ。その中に。


 ……ある。原理原則を破った過去の魔術師の論文が。


「——魔力の流用」


 クロードの身体が、一瞬にして冷え固まる。魔術師として。妻として。そして、人間として。

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