6、大公殿下に仇なす人は

第26話 浮気相手を大公殿下と勘違いして

 晴れやかでうららかな晴れの日。


 ルネとクロードは図書館にいた。たいていの魔術師は、外が雨だろうと晴れだろうと関係なく魔術の勉学に励む。


 ルネが氷魔法の本を読み、能力の高い魔術師を凍らす方法について思索を深めていたところ、魔術の学術雑誌を読みふけってメモを取っていたクロードが声をかけてきた。今日は女性の姿をしている。


「お寂しいですか?」


 え、とルネは三秒ほど考えた。

 そうだ、と気づく。ラスカリス大公妃の位を与える、という詔書しょうしょをもらってから、まったく大公に会っていない。しかも彼は昨日、他の女性たちとお忍びで観劇に出向いたらしい。そのことをクロードは言っているのだろう。


 寂しくなどない、とむすっとしながら言い返す。


「どこが? 偽装夫婦ってこんなものでしょう?」


 つっけんどんに言いすぎたな、と後悔していると、クロードはくすくす笑う。


「何を笑うんですか! クロード先生」


 よしよし、となぜかクロードがルネの頭を撫でてきた。少女の、肩のあたりで切り揃えた栗色くりいろの髪は、最近ていねいに手入れされている。


「殿下はお仕事が大変ですからね。このあいだは鉱山の開発を、先ほどからは辺境の教育機関の充実を。それはマダム数名を侍らせて観劇したくなるというものです。そのマダムたち、実は、全員仕事の相手ですし。内務卿とか、財務卿とか。秘密のお仕事上のお話し合いです。どちらの方々も御歳六十から七十、最高齢は八十二歳とか。美男子をめでて寿命を伸ばしたいのでしょうねえ。すこぅし我慢して、貸し出して差し上げてください」

「我慢なんかしてません!」

「あらまあ。それはお心の広いお方。少し早いけれど、ぼちぼち予算についての水面下でのお話があるのかしらねえ」

「……え、へぇ」


 つまり女性の閣僚と政治の話し合いをするために観劇に行っていたらしい。


 クロードはちゃんと教えてくれているのに、どうもしっくりこない。大公妃の位を賜ったが、大公妃として何ができるかわからない。


 ——何かして差し上げたいけど。


 アイスクリームを大量に宮廷料理長に作ってもらって、食べてもらうくらいしか思いつかない。


 ——って! 何考えてるの! 偽装の夫婦なのに!!


「ワーーーーーッ!」


 ルネは暴れ出した。クロードは「図書館では静粛せいしゅくに」とルネを落ち着かせる。


「ルネ嬢、いえ、


 ぱたぱた暴れているルネをつんつんと突きながらクロードがいうと、ルネはさらに暴れ出した。


「おきさきさま!? ウォァーーーーーーッ!」


 なぜかクロードがいつくしみの目線でこちらを見てくる。さらに、ルネの肩を優しく撫でてきた。


「……図書館では静粛に♡」

「はい」


 ルネが深呼吸しておとなしくなると、穏やかな笑顔を浮かべていたクロードは、顔を深刻なものにあらためた。


「スキュリツェス卿は、魔力が流用されうるということをご存知でしょうか」


 その言葉に、ルネはきょとんとした。直後、震えあがって大きく首を横に振る。


「そんなことできるわけないでしょう、そんなことしたら、魔術師の魔法を悪い人が好き勝手使うようになっちゃいますよ」


 魔術師は魔法学校で倫理を厳しく教育される。

 ルネみたいに魔法学校を出ていなくとも、帝国魔術師試験には倫理の項目が大幅に取られていて、試験に受かるために倫理の勉強をする。魔術師の倫理は高くあることが要求されている。そうでないと、魔術を使って悪事を働く魔術師が必ず出てくるからだ。


 そして、そんなことができるのだろうか。


 ——自分の魔力を他人に送るの? どうやって?


 ルネが眉間にしわを作っていると、学術雑誌が手渡された。指示されたページをめくると、「魔力の転送うんぬんかんぬん……」と難しいタイトルの論文があった。


「流用、に当たるかはわかりませんが、魔力を転送できる例があるんです。北部の山岳地帯で大火事があって、そのときに、帝都から水魔法を使う上級魔術師が、その山岳地帯に住むある勇気ある人物に魔力を転送したんです。それで火事が収まったと。そのやり方が書いてあります」

「なぜこれを?」

「それが殿下の呪いに使用されていると、思いますか?」


 おごそかな口調で問われたその問題に、ルネは先ほどとは違った気持ちで落ち着かなくなりながら、うなずいた。


「あ、あり、ありえます」

「——っ」


 大公に忠誠を誓う上級魔術師は、絶句した。ルネは、傷を抱えたクロードがさらにもっと傷つかないよう、言葉を選びながら話す。


「あ、の、……、殿下とクロード先生は、アリスティド猊下が殿下に呪いをかけた犯人だと話していました。けれど、わたしは、そうは思わなくて、その……、猊下が殿下に生臭い感情を抱いているなら、話は別ですけれども」

「生臭い感情?」


 ルネは頭をかいてヘラヘラ笑った。


「アリスティド猊下が、そのう、……大公殿下をクロード先生の浮気相手だと勘違いして嫉妬してしまっている、とかそういう感じの」


 クロードは顔を真っ赤にして、口をパクパクさせた。


「な、何をおっしゃるんです!」


 先ほどのお返しが少しだけできたかもしれない。


「ともかく、いわゆる、その、政治上の敵に対する呪いとは違います。そのう、解きづらいんです」

「あの呪いは、ルネ嬢だから一時的に解けるのであって……」

「いいえ、先生もご存知かと思いますが、呪いの強さには技術上の複雑さと思念恨みの強さの二種類があります。技術上の複雑さはもちろんあります、かなり高度です。けど、なにより、思念が強い。大公殿下ご本人にとんでもなく恨みが——」

「おい」


 噂をすれば影が差す。

 大公が図書館に顔を見せた。その顔に困惑が込められている。


「アイスクリームを作るぞ。宮廷料理長が作ると言い張って聞かないが、暗殺されたら嫌だからな」


 ルネは顔を輝かせた。

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