第27話 恋する男子、めんどうくさい

 小躍りしながら厨房へ向かうと、ふっくらした体格の宮廷料理長が、したり顔で待っていた。


「なるほど、私たちを相変わらずご信用くださらないと嘆いておりましたが、新しくお迎えになったお妃様とイチャイチャしたかっ——」


 大公が雷神の怒るごとく目をいた。

 宮廷料理長は「ヒェッ」といいながら縮こまり、すたこらさっさとどこぞへ逃げていった。縮こまっていたのに、逃げる時はにんまりした笑顔を浮かべていた気がする。


 ルネは「あのう」と困惑の表情を浮かべた。


「料理長さんには優しく接しないとご飯がまずくなります……」

「スキュリツェス侯爵家では料理長の機嫌を取らねば食事が出てこないのか?」

「料理長は存じ上げませんが、叔母さまは、異次元の料理がさらに異次元になるのです!」


 大公はびくりと肩を動かした。

 振り向いて、ルネの表情をじっと見る。長い指が伸びてきて、彼女の唇をなぞり、小さい口の中へ入っていった。指が上顎を撫でていく。


「ふぐぅ……!」


 これは口封じをするところではないでしょう、殿下も叔母さまのトンデモ事故料理をご存知でしょうにと、ぱたぱたと暴れかけた。

 いや、聖女の名誉のためには重要なことなのかもしれないが……。

 苦しくて涙がまなじりに溜まる。

 大公のどこか甘い声が耳朶を打つ。


「そなたの口から、あのひとの話はいま聞きたくない」


 そのときの彼の真剣、病的、いや、濃艶のうえんな表情に、ルネは少しだけ恐れを覚えた。

 指が離され、ルネはげふげふとむせた。


 ——恋する男子、めんどうくさいなあああああああ!!! 厨房で叔母さまの話をしてはいけないとは!? どういう心理なの!?


 大公はふっとルネから離れ、棚からボウルを取り出し、ボウルの中で砂糖とレモンの果汁を混ぜ出した。


「レモンのアイスクリーム!」


 無垢な少女は興奮する。

 彼はちらりとルネを一瞥いちべつすると、コンロに火をつけながら氷室ひむろから生クリームを取り出し、鍋に入れた。


「火をつけただけであっつい、もう夏ですね」


 もう「初夏」と呼べた時期もそろそろ終わって、夏になる。


 春にここにきたのに大公の呪いの痣をまったく治せていないことに気づく。

 ルネは若芽色の瞳を、シャツだけ、しかも汗で染みができている彼の背中に向けた。


 ——死ぬの? お母様みたいに青ざめた塊になるの?


 母は確かに寿命リミットで亡くなったが、覚悟はしていたし、大勢の子供と愛する夫に囲まれて死んだ。けれど、大公は、この世に悔いを遺しながら死ななければならない。


 つい、と涙があふれた。


「ん? アイスクリームがそんなに嬉しいのか」


 彼の声が降ってきた。

 ぶんぶん、と彼女は目をこすり首を横に振る。呪いそのものは大きくなっていない。


「照れるという常識を学習したようだな」


 生クリームと、ボウルの中の砂糖とレモンを混ぜていく。レモンのさわやかな香りがふわりとあたり一面に漂った。


「ふああああ!! あーっ、れ、レモンのいい香りがするぅ」

「全然学習してないな」


 だっておいしそうなのだもの、とルネは叫びそうになった。

 容器を移し替えて氷室に入れ、後片付けを手際よく済ますと、大公は「仕事に行ってくる」とその場を優雅に去った。

 ひとりぽつんと残されたルネは、とぼとぼと厨房から出て行こうとした。あの薔薇園での夜から、大公のことを考えると調子が狂う。呪いが自分に感染してしまっているのだろうか。


 そんなことはない。大公の死を激しく願う強い思念に、何重にも鍵のかかったかのような、複雑な技術を有する呪いだ。呪いの主人は、大公以外に死んで欲しいとは考えていないらしい。ルネが今している作業は、何重にもかかった鍵を一個ずつピッキングするような作業で、——本丸である思念に全く近づけていない。


 大公が死んでしまったらどうなるだろう。もう人生は終了するだろう。ルネ・スキュリツェスは史上最悪の出来損ないの神聖騎士の烙印を押される。


 ——でも、それよりも何よりも……。


 そう思いかけたところで、今までどこに隠れていたのだか、宮廷料理長がひょこっと顔をのぞかせた。頬を緩ませながら。


「いやあ、おいしゅうございました」


「まだアイスクリームは出来上がっていないです」


「うふふ」と宮廷料理長がさらに破顔する。


「なんです!?」


 刹那、料理長は切ない表情をした。


「もともと大公殿下は明るくて、他の方への思いやり深く、前向きで。箸が転げても笑うようなお方だったのです」


「……え?」


「少年の頃はよく厨房に遊びにきて、わたくしめたちとよく遊んでくださいました。気さくなお方で、献立を一緒に考えてくださったこともありました。でも、変わってしまわれて……」


「え、えーーーーーーーーーーーーーーーーーッ?!」


 意外な事実に、ルネは厨房から外に漏れ聴こえるほどの大声を出した。


 確かに会話していると妙にノリがいい。だけれど。


「エーーーーーーーーッ!?」


 ラスカリス大公であるギュスターヴ・オディロン殿下は氷の殿下。敵対する他者を冷酷な方法で葬り、その冷徹な性格と政治手腕は賛否両論を呼んでいる。とうとう人に呪われて、痣までできた——、はずだった。

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