第31話 本当に大事なものは何か

 先ほどまでは自分が脱がされていたのに、今度は安楽椅子に寝かせて大公の上半身を脱がした。目的は全く違うが。

 急いで浄化の水を作りながら、呪いの痣を確認する。

 左肩どころではなく上半身全てまで広がった、目を覆いたくなるほどの漆黒。腐敗臭。

 そして、肩の一部の壊死。

 いきなり、大公の高笑いが部屋に響いた。殺してくれ、死なせてくれ、と暴れる。錯乱状態だ。急いで魔法で安楽椅子の形状を変え、椅子はすっぽりと泣き叫ぶ大公を包み込んだ。


 ——呪いが精神まで侵食している。くそ。疑ってはいたが、精神も壊す性質の呪いだったか!


 ルネは悔しがった後、ぶるぶると首を横に振った。


 ——この程度の精神の侵食ならすぐ治せる。それに、全身に広がっているわけじゃない。


 浄化の水を急いで彼にかける。芸術作品のような部屋が水浸しになるのもかまわず。

 ぷすす、と音を立てて痣は消えた。だが、大公は何も吐こうとはしなかった。


「殿下、吐いてください、心も体も楽になります」


 だが、大公は叫びながら首を横に振った。


「もう、死なせてくれ」


 ルネの瞳が無機質になる。


「吐け。吐いちまえば楽になるぞ」


 水盤をもってきて、大公をうつむけさせ、指をその口のなかにぐっと突っ込んだ。すると、彼は、無事ヘドロのようなものを水盤に吐いた。

 部屋を魔法で乾燥させ、ヘドロも片付けてしまうと、ルネは浄化の水を彼に飲ませながら硬い声をだす。


「死にたいなら止めません。でも、呪いの浄化はさせてください。呪いがあなた以外の人にかけられたときの後学のために」

「……そんなこと言ってると、『寿命リミット』だと勘違いされるぞ」


 声音が錯乱していなかった。ルネは、ほっとして、ソファの足置きを、ソファに横たわる彼の近くへ引っ張ってきて座り、うつむいた。


「……じゃあ、その、イザベル皇女殿下と、そのう、何があったんですか」


 彼は透明な表情で話しだした。


「私は頭がおかしくなるほど雷が苦手だ。通常の判断能力を失う」


 やっぱり苦手なんだ、とルネは幼帝の言葉の正しさを知った。たぶん先ほどの変態な行動は呪いによる錯乱が主原因だろうが、雷も一助となっていたのだろう。


「これは、兄帝が……いや、父帝と母后が崩御なされた日が雷だったから、——というのに尽きる。妹も雨の日になると不調になる。それは同じものだと思っていた。妹はあの日のことを思い出してしまうのだなあと。だが、侍医は違うという」


 そうだ、とルネは思い出す。この人は幼少期、父母を失っているのだと。


「昔の傷が痛んでしまうのだと。妹は、死ぬほどの目にあった事がある。そなたは妹の、牢屋に入れられている記憶を幻視したと申したな。そなたは妹に限ってそんなことはあり得ないと申し添えたが、実際、妹は牢屋に閉じ込められ、ついには処刑されかけた事があるのだ。驚いた。そなたはそこまで妹の過去をたのかと」

「……」

「妹の事が知りたいか?」


 うなずいた。


「表面上の話だけしてやる。妹に失礼だし、詳しくは知らないから、事細かに話すことはできない」


 その奇妙にはかない声音に、ルネは、緊張したように息を整える彼の手をゆっくり握りしめた。その手が氷にひたされたように冷たかった。


「先帝が、自分を異世界から来たと抜かす娘を寵愛し、愛妾にしたことは話しただろう。私自身は娘がいかに動こうと、敵対する理由がないから友好的に接していた。だが、妹は違ったんだ」

「いじわるしてたってことですか? あのイザベル皇女が」


 大公はひどく切なげな目をした。


「そう見る人間もいた」

「へ?」

「妹が愛妾を好まなかったのは事実だ。たぶん、繊細で真面目な妹はあの愛妾のずけずけものをいうところが苦手だったんじゃないかな。人同士は、合う合わないがあるからな。そういうときはなるべく距離をとって、いさかいを起こさないのが最善だ。もちろん、妹もそうした。そうしたら——」

「そうしたら?」

「いつの間にか、愛妾が先帝陛下に妹の讒言ざんげんを吹き込んでいたんだな。愛妾は妹から距離を取られていることが気に食わなかったらしい。イザベルが少し公務の休息がてら、ひとりで夏の離宮へ赴くと、家族なのに無情だ、と愛妾にひどくなじられた。イザベルも、真面目で繊細だから、くよくよ悩んで気難しいところもあって、あの子を苦手とする周囲の人間もいた」


 ルネは、話を聞きながら、「えっ、苦手だったら距離置くのって良いことなんだ」「えっ、人を嫌ったり、人から嫌われることって案外普通なんだ」と目を皿のようにした。だが、すぐに話に集中する。


「イザベル皇女殿下は……、その、愛妾さんと、皇女殿下を苦手な周りの人たちによって、何かされて牢屋に?」

「そう。妹はいつの間にかあることないこと噂され、悪女だといわれて嫌われ者に仕立て上げられた。ついには先帝も彼女を疎むようになった」


 そんなことって、とルネはあっけにとられる。だが、次の言葉のほうがもっと信じがたかった。


「あの子は、ある日突然、兄帝の前に引き出され、故なき罪状が積まれて、断罪された。死刑とされたが、皇女であったため死刑から三等減じて無期禁錮処分とされた。通常であれば古城等に幽閉するものだが、兄帝のお怒りは苛烈で、帝国魔法院の有する地下牢に妹を閉じ込めた」

「え、そんなのおかしい!」


 ルネはぶるぶるふるえた。帝国魔法院の有する地下牢は、魔術で監視や封鎖ができるため、凶悪犯などを閉じ込めておく場所だ。

 大公は遠い目をした。


「それを受け、禁錮処分は不当だとして帝国魔法院の有志が密かに動き、妹を救い出した。だが、それも——……愛妾の手で暴かれて、妹はひどく拷問された挙句、こんどは別の堅固な牢に幽閉された。兄帝が亡くなるまでは」

「殿下……は?」


 大公は裁きの天使から、心臓に剣を突きつけられたような顔をした。

 そして、サファイア・ブルーの瞳を沈鬱な色に染めた大公は、罪を告白する。


「私は、何もできなかった——いや、しなかったんだ」

「……え、と」

「私は何もしなかった。もちろん、帝国魔法院の有志の家で匿われている妹を密かに迎えには行った。念のために妹を自分の別荘に置いたが、兄帝にとりなすことはしなかった。妹を別荘に置いたことで、愛妾が私にも疑いの目線を向けてくるかもしれないと恐れていた」


 それは、と言いかけて、ルネは言葉を失った。

 たぶん大公は妹を嫌いではなく、愛している。妹が不当に断罪されていることを知っていた。だったら、妹を救うべきだった。帝国魔法院の有志などという存在よりも早く妹の処分を解除する方向に動くべきだった。妹をとりなすべきだった。

 そして、彼には皇弟として、その力があった。

 でも、何もしなかったのだ。愛妾怖さに。


「妹より愛妾の顔色をうかがっていた。本当に大事なものは何か、見失っていた」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る