7、もう、死なせてくれ

第30話 もう二度と無理やり襲いませんッ!

  侍従や女官たちは密やかに話し出した。


 ——イザベル皇女殿下は? 雨の日でしょ。

 ——あいかわらず身体中が裂けそうなほど痛み、痺れておられる。

 ——よくまあ、陛下とはいえあの子に、イザベル皇女殿下は優しくできるわよね。

 ——わからんぞ? 影でこっそり……。


 ルネに聞こえないように気を使ってはいるようだが、漏れ聞こえてしまう。

 あの、と突っ込んでいっても変な人に思われるので、うつむいて自制する。事情もよくわからない。イザベル皇女が皇帝によく優しくできるわね、とはどういうことなのか。

 それに。


 ——イザベル殿下、雨の日にひどく身体中が痛むの?


 それは過去、死ぬくらいの大きな怪我をした人にそういった症状が多い。


 ——死ぬような怪我を皇女殿下が?


 したとは到底思えない。魔力を持たないイザベルは、魔術師としての修行などすることなく、一般的な皇女として帝宮の奥深くで大事に育てられたはず。エウテュミオス女大公を拝命して公務にあたっているときも、絶対近衛兵がついているはずだ。


 ただ、大公にあまり聞きたくなかった。イザベルのことを話したら黙りこくってしまった人だから。


 何か知っているだろうか、とクロードに聞こうかとも思った。




 だというのに、夜、それは起きた。


 与えられている大公妃の部屋は豪華だ。叔母の聖堂や自分の暮らしていた集合住宅もさほどボロボロには感じなかったが、そんなものとは比べ物にならないほどの華麗と奢侈の極み。


「本当にすごいお部屋だなあ」


 何度見てもそういう感想しか出てこないでいると、窓いちめんが白く光った。


「ひえっ」


 ごろごろごろ……。という音と共に、ドターン、という音もした。


「ひ、ひえーーーーーーーーーーっ!!」


 確かにこれは無理な雷だ、と半泣きで近くにあった金襴緞子きんらんどんすのソファに座り込み、これまた金襴緞子のクッションを抱きしめたとき。


 大公がいつのまにか立っていた。

 彼はシャツを乱した姿にスラックスという姿で、顔は青ざめ、優雅な巻き髪は乱れ、目は虚ろで、唇は乾いていた。


「殿下?」


 ルネが彼のやつれた頬に手をやると、その頬はひどく冷たかった。

 どこかつやめいた、懇願するような瞳で見つめられる。


「えっ、そこまでやつれるほど雷が怖いんですか?」


 頬に当てたルネの手が、大公の手に握りしめられた。


「……リュディヴィーヌ」

「はい?」


 そのまま手を頬から外され、手を引かれて抱き寄せられ、さきほどまでルネが座っていたソファに押し倒された。

 唇を重ねられた。優しく、次第に深く。


「——えっ、はい!?」


 はじめてのキスなんだけど、と思っていたら、彼の唇が彼女の顎を、耳を、首筋を、鎖骨を這っていく。と同時に、手が優しく彼女の身体を撫でる。


「何!?」

「申し訳ありません、お許しください。……一夜だけ、私のものになって頂けませんか」


 何が何だかさっぱりわからないが、大公の熱い吐息が耳にかかると、痺れたように動けなくなってしまった。まるでなにか変な薬でも盛られたかのように身体が熱くなっていく。

 彼が彼女の服の胸元を締め付けていた細いリボンをほどき、手が服の上から薄い膨らみを揉むように撫でる。

 そっと手つきに、思わず首をのけぞらせた。だが、激しい羞恥が湧いてきて、ぱたぱた暴れる。


「ちょっと、殿下、いや、何して……!」


 押さえ込まれ、吐息交じりになまめかしくささやかれた。


「……貴女は私を愛してくださらない。それはわかりきっている。ですが、私は、もうどうしたらいいかわからない。明日になったら、私を殺してほしい」


 ——叔母さまとわたしを見間違えないでください。


 と、声を出すことができない。額にくちづけられた。

 胸を暴かれる。彼女の素肌の薄い胸を大きな手が滑っていった。

 少女の頬は上気し、まなじりにうっすら涙がにじんだ。


「……しかし、……お許しください。私は最近の自分の感情がわからない。貴女の姪が振り回してくるせいで、貴女あなたをまるきり忘れていることがある。私は貴女を愛していたいのです、十年以上も貴女を想ってきたのですから、リュディヴィーヌ!」


 さらに胸元をゆるめられ、上半身をむき出しにさせられた。そのふくらみきっていない胸にくちづけが落とされていく。同時に、ドレスの裳裾がたくしあげられ、白くなめらかな太ももがあらわとなる。少女は胸を突き出し、首をのけぞらせて、甘やかに喘ぐ。身体が、思わず動いてしまう。


 美しい大公によって少しずつ乱されていく少女の姿は耽美であった。

 彼は少女の身体をもてあそびながら、甘くささやく。


「……さ、何かおっしゃってください……」

「イヤァァッ! 叔母さまと取り違えて、変なとこ触って、服脱がせてきて、変なこと言ってぇぇぇ!! すけべ!! ド変態!! ゲス野郎! 完全悪役!! 怪物おっぱい魔人!!! なんだか変な気分になるし! さては、魔術つかってますね!?」


 彼は正気に戻ったかのように身体を離し、目を剥いた。


「……え、ルネ?」


 その瞬間——。


 ルネは消えた。

 移動魔法でソファの向かいに置いてある椅子へと移動したルネは、乱れた息を整え、眉を盛大にゆがめた。

 ふくらみかけていた何かが素手で潰されたような気分がして、目から大粒の涙がこぼれる。


 ——この人は叔母さまが好き。知ってる。


 泣いていると、大公が寄ってきた。びくりと震える。人のものをわざとではなく奪ってしまったと知ったときのような、非常に申し訳なさそうな表情をしている。

 彼はひざまずいた。あらわになった彼女の胸元を、奉仕でもしているかのようにそっと優しく元に戻す。彼女の栗色の髪を繰り返し撫で、泣いている彼女の涙を拭った。


「……すまない」

「……いや」

「申し訳ない」

「……いやなの、怖かったの、今の。……殿下が殿下じゃないようで」


 泣きじゃくる愛らしい幼妻に、美貌の大公は困りきった顔をして、そっと優しく抱きしめてきた。少女は硬い顔をして、わざと彼の、呪いのある左肩に顎をガツンと乗せる。


 大公は絶叫した。


「痛ッァァァァァーッ!!! 肘を間違って思い切り手すりにぶつけたときより痛い! すいません! ごめんなさい! もう二度と無理やり襲いませんッ!」


 刹那、その肩からむせこむほどの嫌な腐臭を感じた。人格によるものではないらしい。ルネは急いで顎を離す。


「あの、殿下、呪いが——」


 鼻をつまみながら、ルネは「夫」の肩に軽く触れる。彼がまたひどく悲鳴をあげた。


「急速に進行していて……」


 大公は、糸が切れたように、ばたりとその場に倒れこんだ。

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