第21話 デートは夜の薔薇園で

 ルネを後ろから抱きしめ、からかいながら噴き出さんばかりの大公の様子を、「婚約者の姫君の愛らしさに、思わず笑みが漏れてしまう氷の殿下」と、針子と仕立て屋は盛大に誤解した。宮廷女官も。


「あんな噴き出しそうなお顔をお見せになるときもあるのね」


 宮廷女官たちと針子とが囁いている。仕立て屋が提案した。


「侯爵令嬢、他にもさまざまなドレスをお仕立てする予定です。散歩用のドレスもありますから、ぜひお二人でご散策されては! 帝都の中央公園の薔薇が見頃です」


 愛し合っているようにしか見えない美貌の大公と愛らしい侯爵令嬢は「薔薇ばら」と目を輝かせ、顔を見合わせた。


「どういうことでしょう……、仕立て屋さんは薔薇を欲しいのでしょうか?」


 ルネは大公に急いでささやいた。大公は真面目に返す。


「帝宮の庭の薔薇を渡したほうが礼儀にかなっている気がする」


 クロードが「あぁ、迷走してる」と呆れて、咳払いしながらふたりのところに寄ってきた。


「お二人とも、仕立て屋は、薔薇でもご覧になりながらデートしろとおっしゃってるんですよ」


 愛し合っているようにしか見えない美貌の大公と愛らしい侯爵令嬢は「デート」と目を輝かせ、息を引き、顔を見合わせた。


 華麗な大公がおどおどと側近に問いただす。


「それをすれば、夫婦、いや今は婚約者同士だが……、夫婦に見えるか?」

「バッチリ見えます」


 デートだろうとデザートだろうと、きれいなドレスを着て薔薇の中を散歩するのは楽しそうだ、とルネは考えた。大公の呪いのあざが消えるということはないだろうが、彼にとってもいい気分転換になるだろう。


 デート。逢引。逢瀬。

 古来から恋する人々のあいだで行われてきた行為である。

 だが、愛情のない者の間で行われるものをなんというのだろう。これもデートと言っていいのだろうか。


 仕立て屋に「デート」を提案されて二週間も経ってしまった。大公の仕事が忙しかったのと、ふたりで最善のデートプランを仕上げるのに時間がかかったからである。


 その日の夜、ルネは有翼馬のテオを厩から引いてきて、執務終わりの大公を騎乗させた。帝宮から直接中央公園へ赴くためである。テオはおとなしく主人ではない人間を乗せた。

 大公も今まで見せたことのない穏やかな眼差しでテオをでている。

 そのあと、自分も一緒に乗り込んだ。自分が手綱を引くと、テオは天翔あまがけた。


 星々が濃紺の空に散らばっている。

 婚姻を結ぶ日が近い初夏の風は、心地よかった。


 帝国中央公園は、古くからあまたの逢瀬の場に使われてきたらしい。さまざまな恋人たちがいた。

 華やかな散歩用ドレスに身を包んだルネはテオから降りながら、あたりを見回した。

 薔薇園はどこだろう。

 天上の星々を反映したかのように、地上も光っている、と思ったら、ここは高台になっていて、夜景が見えるらしかった。


「わーっ!」


 ルネはドレスをひらひらとさせながら興奮した。きれいな散歩用ドレスで夜景を見る。なんという至高の贅沢だろう。

 すると、大公がルネの肩を叩いてきた。とんでもないことを言ってくる。


「婚約者の秘密の逢瀬を広めてもらうために、クロードが中央公園に社交界でも噂を広めるのが得意な人間数名をみつくろってここに招待している」

「……噂を広めるのが得意な人間」

「いるだろう。年がら年中喋り倒して、どこでそういう情報を仕入れたのかというほど情報通で、いろんな人間と知り合いで、とても話の長い人が。そういう人が何人かこの場にいる」

「全員攻略しろってことですか?」

「ああ」

「公園で売っているアイスクリームを食べたかったんですが、それも広まりますか?」

「室内で食べろ。行儀が悪いぞ」


 そうじゃなくて、とルネは頬をふくらます。

 初夏の夜に外で味わうアイスクリームは格別なのである。できればいちご味を所望したい。

 薔薇園の中で食べるいちごのアイスクリーム。最高に背徳的で優雅だ。


 テオに所定の時間に迎えに来るよう指示して、帝宮のうまやに帰ってもらった。大公とではなくテオとデートしたかった。


 ようやく見つけた薔薇園へと向かう。まさに爛漫と薔薇が咲き誇っていた。

 入り口にアイスクリームをほおばる、愛人と思われる男性を五人ばかり侍らせた小太りの中年婦人がいた。


 ——もうこの人じゃない。明らかにこの人じゃないの。


 いきなり大公がルネを柔らかく抱き寄せ、甘くささやいてきた。


「ルネ……」


 しかも脇腹をくすぐられた。


「……きゃっ、殿下……ぁ! うふふっ」


 いきなり何をするんだ、と頭にきた。


 ——完全におバカ丸出しな恋人同士みたいじゃない!


 アイスクリームを食べていた中年婦人が愛人にアイスクリームを預け、こちらを見つめてきた。もうオペラグラスを装着して、一心不乱に。


「薔薇を見に行こうか……」

「はい」


 気を取り直してルネは無垢に微笑んだ。薔薇自体は楽しみだ。


「美しい薔薇の中に立つ貴女あなたの姿は、どれだけ美しいことだろう」


 その大公の、いちごアイスクリームより甘ったるい言葉に、中年婦人は無事攻略された。


 大きく両手で口を覆って身体をのけぞらせた後、もとの体勢に戻って片手をひらひらさせ、愛人たちに何かささやきだした。「あれ、まあ、あれ……っ」と変な声を出している。

 それを確認し、いそいそと薔薇園の中に入っていく。

 さまざまな薔薇が、整然とした迷路のように植わっている。こじんまりしたつるバラや、ルネの手ほどもある大輪の薔薇、赤い薔薇、薄い色の薔薇、白い薔薇、黄色い薔薇……。


「どれか青く染めたいなあ。ラピスラズリみたいな色に」


 ルネがそういうと、大公は「やめとけ」とため息をついた。


「そういうことをした魔術師が庭師に訴えられた例を知ってる」


 すると、大公は「——っ」と目を剥いた。今度の刺客は後ろからきたらしい。

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