第20話 今のわたしは侯爵令嬢
帝宮の離れに、婚約してから、婚姻まで使っていいと割り当てられたルネの部屋がある。
翌日、その部屋に言われた通り仕立て屋と針子が来て、ルネは緊張した。女性の姿をしているクロードがやってきて、「まあ!」と仕立て屋と針子の持ってきた布を手にとって見た。
「素敵です。とても良い布」
「そうでございましょう」
仕立て屋が胸をそらして自慢する。
ルネは、伯爵令嬢としてこういう布でオーダーメイドの
「クロード先生は、そのぅ、やはり社交界なんかに出たことって」
「ありません」
きっぱり言われた。
「ルネ嬢も経験されたでしょう。魔力のある子は七歳になると、必ず
クロードは頬をやや薔薇色に染めてうつむいたり、みじめな顔をしたり、殺意に目を剥いたりしている。
ひどく裏切られても、ときたま甘い思い出が蘇ってしまうんだから、夫婦というのはとても面倒臭いな、とルネは思った。
「わたし、魔法学校に行っていないんです。もちろん入学通知は来ました。でも、その頃、ちょうど母が亡くなってしまってから、魔力が不安定になって、入学基準を満たせなかったんです」
「まあ、……それでこの歳でいっぱしの神聖騎士、じゃあ……」
クロードはルネをじっと見て、小首を傾げた。
「ルネ嬢って、天才?」
天才集団と言われる上級魔術師にそういわれ、ルネは首を大きくブンブン振る。
「ちがいますよ! 叔母さまや周りの知り合いが教えてくれたんです、魔術のこと、たくさん。初歩的なことを知らないこともあるので、それに気づいたら、図書館なんかで勉強して……、そりゃあもう、人より勉強するしかなくて、骨が折れて。学校でちゃんときっちり学んでいる人がうらやましいです」
そんな話をしていると、大公が入ってきた。まったく仕立て屋と針子を無視して、魔術談義に花を咲かせている魔術師たちに、
「そなたら、楽しそうだな。針子と仕立て屋を放置して」
ああ、と魔術師二人は衣服に目を向けた。仕立て屋と針子がしびれを切らしてしょぼくれた顔になっていた。
恥ずかしさにうつむいていると、針子に体型を測られた。侯爵令嬢はお小さいですねー、本当に小さい、と言われながら。
とんでもない幼児体型だと自分の姿を姿見で見て思う。絶壁な胸。少し膨れた下腹。華奢な体つき。そして
衝立の向こうから、大公の声が聞こえた。
「うまいこと作ってやれ。大人っぽくだ。私が少女趣味の変態にならぬよう。私は仕事がある。少し席をはずす」
「まあ」と、クロードが咎める声が聞こえた。「他の女性には、『これが似合いますよ』『これが映えますね、レディ』とかおっしゃっているのに……」
ルネは少しだけぷいっと顔を背けた。どうせ大公とはお似合いにならないだろう。
「先ほど捕縛されたグリュケイア侯爵が献上してくれた鉱脈の開発について報告を受けている」「ああ、あの件でございましたか。あらまぁ! だというのにわざわざルネ嬢の様子を見にいらしたのですねっ!」
「うるさい」
大公はすぐに出て行った。
気まずい空気が場を支配する。仕立て屋はなんとか空気を和ませようとして、さまざまなドレスを紹介してきた。
「どうでしょうこちらのドレスの織物、こちらは羊の毛と絹などの糸を織り合わせたもので、縦糸で模様を横糸で
早口で喋られたため、ルネは——いや、クロードを含めて、目がぐるぐるになった。 優しそうな針子が腰をかがめて、ルネの顔を覗く。
「お服の色合いとか、好きな型とか、そういうものはおありですか?」
「えっと、……今まで、動きやすい服ばかり着ていて、ドレスとか……あまり着たことなくて」
「帝国魔術師でらっしゃるのです」
ルネがもごもごいうのに、クロードが助け舟を出してくれた。
針子と仕立て屋は、「あらまあ珍しい」、と顔を見合わせた。
帝国魔術師には、クロードのようにもちろんおしゃれ好きな例外もいる。
だが、基本的に衣服や宝飾品に興味がない連中が多く、ほとんど服装に気を使うことはない。
衣服の華美よりも、魔術を使用した際に衣服が破けないようにとか、燃えないようにとか、いわゆる強度や動きやすさを重視する。
物語上の魔術師らしいかっこう——フードに裳裾の長い黒服をしている者さえいる。
「でしたら、動きやすい型だけれども華やかな生地のドレスにいたしましょうか」
針子の言葉に、ルネは顔を輝かせた。
「あっ、あの! あんまり幼児体型のめだたない型にしていただけますか!?」
そこからはするりと、針子と仕立て屋は、クロードどころかそこらへんにいた女官複数名も交えて、あれがいいこれがいいと、ルネの服を選定していった。
ルネは姿見の前で、あれこれ着せ替え人形になった。
ついでに、お召し替えでしたら、と宮廷女官が化粧も施してくれた。
気づけば、ただのはらへり魔女から、完全なる十七歳の若き侯爵令嬢へと進化した。
ルネは侯爵令嬢らしく華やかなドレスの裳裾をつまみ上げ、造花が華やかな帽子をかぶり、優雅な手袋をはめて、扇子を持って「おほほほほ」と高笑いする。
いまなら確実に言える。自分はスキュリツェス侯爵の末娘、スキュリツェス侯爵令嬢その三だと。淑女ルネ・スキュリツェスだと。社交界の花だろうと茎だろうと葉だろうと根だろうとどんとこいや、という状態だと。
まだあでやかに咲き誇る大輪の花ではないが、ほころびかけている蕾のような姫君を、他の男に取られまいと大公が早めに自分のものにして囲ったような、そんな愛くるしい無垢な美少女——、それが今のルネ・スキュリツェスであった。
大窓から春の日差しが降り注ぎ、風がレースカーテンとたわむれ、季節の花がマントルピースの上の花瓶に生けられている、そんなロマンティックな部屋の中でルネはくるくると舞い踊った。
「わーい! 仕立て屋さんと針子さんに感謝しかない! いまのわたしは世界最強! レースのカーテンに
「それはよかった」
後ろから冷たい声が降ってきて、ルネは抱きとめられた。顔を上げると、大公が戻ってきていた。
非常に人を小馬鹿にした顔をしている。今まさに吹き出す直前の表情をしていた。
かしこまる仕立て屋と針子、宮廷女官がおらず、クロードだけであったら、彼は思いっきり吹き出していただろう。
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