第19話 楽しい楽しいクッキング

 大公に連れられ、帝宮の彼が自由に使っていい厨房に向かう。ルネは「はらへりはらへり」「牛肉牛肉」とせかしながら、厨房のテーブルの近くに座った。


 彼は下男に牛肉を持ってこさせた。赤く美しい特上の牛の肉の塊だ。ルネはよだれが出てしまった。急いで口を拭う。


 大公は白い軍服の上衣を脱ぎ、シャツとスラックスだけの姿になって袖をまくると、その肉の塊を綿棒で叩いて伸ばし始めた。


「あーっ、どうするんですかーっ!?」


 てっきり肉のかたまりを丸ごといただけるかと思ったのに、とルネは腕をブンブンと振る。


「まあな」


 胡椒と塩、調味料を混ぜ込む。まあ肉に胡椒と塩は妥当だろう。その調味料が隠し味かとワクワクした気分になってくる。

 次に大公は肉をしばらく放っておき、火のほうへ向かって、玉ねぎを手早く切って炒め始めた。バターとともに。


「うほほほほほ、玉ねぎのバター炒めですか、うほほほほ」


 ルネは身をよじった。牛肉に玉ねぎのバター炒め。これは最高になるに違いない。


「本当にそなた、侯爵令嬢か? 大公が侯爵令嬢を迎えるのは家格の面からもおかしくないという判断もあってこの偽装結婚に賛同したが……。淑女なのだからもっと慎ましやかにしたほうがいいのではないか……?」


 そう言いながら、彼は玉ねぎやその他ベーコンなどを、伸ばした牛肉を丸め、串で留めた。

 お? と彼女は興味津々になる。


「大公殿下もなんかこう、……料理をするのは下々の者〜、っていう方々が多いのに」


 言い返すと、「前にも話しただろう」と逆に言い返された。


「暗殺対策だ。先帝が崩御されて、私が摂政になってから、毒殺未遂に遭うことが多くなった。貴族の重鎮や、帝国魔法院の主席魔術師、あれやそれや。そしてとうとう、痣ができた」


 鍋に火をかけ、串で留めた牛肉を入れ、さまざまな材料とワインを入れて煮込み始めた。


「あのう、元上司の上司になるんでしょうが、アリスティド・ヴァタツェス猊下って本当に極悪ですね。不倫して妻を裏切った上に大公殿下を毒殺しようと企むとは……公私ともに最低……」

「いや。その前の、もふもふ魔法動物協会と癒着して札束風呂のなかで可愛い魔法動物の赤ちゃんたちをモフモフしていたほうの、史上最低といわれた主席魔術師だ」

「ぁ〜、あの人は最低でしたね。女性秘書に下ネタをかまし、執務室に小さなゴルフ場つくったり、週刊誌を執務室で読んでゲヘゲヘしたり、宴会でいきなり他人の唐揚げにレモンかけたり、長椅子に座るとかならず足開いてたり、若い女性魔術師にはしつこいくらい気を使うのに、男性魔術師の名前は平気で忘れたりするし、書類は唾つけてめくるし、くしゃみするときヴェクションフォイチクショウ! クハァァ! って地面に唾吐くし、怪しげな匂いの香水つけて怪しげな金色のブレスレットしてて、なんかギトギトしてるし」


 そうだ、と大公はその牛肉の鍋にそこらへんの籠に置いてあったローズマリーをちぎり、入れた。肉にローズマリーは風味を豊かにする、とルネはうっとりする。


「主席魔術師たちは私の独裁を恐れている。正確には帝国神聖騎士団を——、やっぱりやめておこう」

「え!? そこで話を止めないでください! 神聖騎士である以上、気になります」


 大公はそれ以上全く何も答えず、しばらくして煮た牛肉を皿に盛って串を抜くと、ソースを作って丸まっている牛肉の上にかけた。


「どうぞ」


 その丸い牛肉の盛り付けられた皿が目の前に置かれた。つまりこれは、牛肉のロール巻きだ。


「うおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 ルネはパンとともに牛肉をいただいた。


「うわーーーーーーー!!! ぐあああああああーーーーー!!! うまい! おいしいぞおおおおおおお!!!」


 噛みしめるたびに味がわたる。牛肉と玉ねぎとソースが混ざり合って、ルネの貪欲どんよくな舌を喜ばす。美味しすぎて涙が出てきた。


「ああああああああああああ、うわあああああああッ!  ワーーーン!! おいしいよおおお!!!」


 ひぐっ、ぐすっ、と涙を拭った。テーブルに突っ伏す。


「わたしは幸せ者です……。あなたの婚約者になれて……」

「そうか。それはよかった」


 大公はほとんど棒読みでルネに返した。だが、ふとルネの姿をぐるりと見回す。


「おい、はらへり魔女」

「なんです」

「そなた、私の婚約者というからにはその子供のようなかっこうはやめろ。このあいだ着飾らせたというのに」

「?」


 食事を終えると、大公の部屋に戻され、姿見の前に立たされた。

 裾が膝下までしかない、くすんだ灰色のワンピースドレスに、長靴。肩のあたりで切りそろえられた栗色の髪には服と同じ色のカチューシャ。

 横に並ぶ華麗なる大公と比べると、大公が犯罪者にみえてしまうほど幼い服装だった。しかも大公のほうが頭一つ分背が高い。これで婚約者同士ですなどと言ったら——。


 肩に触れられた。どきりとしていると、静かにささやかれた。


「私が少女趣味者ロリコンの変態に見えてしまうッ……」

「うっ、確かにそうですね」


 二人は目を見合わせ、繰り返しうなずいた。ルネとて、大公をこれ以上のすけべの変態にするのは望んでいない。


「明日、そなたの部屋に衣装を届けさせるようクロードに伝えておく。うん……、大人になれよ」


 大公は婚約者の小さな頭を撫でた。ルネはまた、繰り返しうなずいた。

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