第17話 聖女様、ある真相に辿り着く

 帝都、そして帝宮へ来るのは月一回の定期報告の時のみ。


 それ以外は毎日御堂で怪物の調伏に当たったり、帝国の結界を織り、そのほつれを修復したりしている聖女リュディヴィーヌは、「ふああああ」とあくびをしながら大きく両腕を伸ばした。

 帝宮の、誰もがかしこまる謁見の間の前の廊下で。


 彼女は帝国魔法院への定期報告の後、幼少の皇帝と、幼少の甥を補佐する摂政大公にご機嫌伺きげんうかがいをしてきたのである。


 肩をぐるぐる回すと、ゴキゴキといった。


「やーね。もう肩こりと腰痛に苦しむ歳になっちゃったのねぇ」


 かつてのリュディヴィーヌが張り裂けそうなほど望んでいた「普通の暮らしをする人」であれば、愛する人と家庭を築き、子供の学力が伸びないとか、友人と仲良くなれるかなどと頭を抱えている歳だ。


 唯一の恋、今でも未練たらしく恋している彼女はもうすでにこの世にいない。

 夫に尊厳も存在価値も存在理由も心の安寧も全て奪われた傷だらけの彼女と駆け落ちして。

 彼女と過ごしたのは二年半程、半年くらい急速にこの世から消えていく彼女を引き止めるための看病で。

 変わり者の自分なんかに振り向いてくれた優しい彼女は、この世から理不尽にもいなくなった。同性同士に子供ができるはずはなく、よみがえらぬ死人たる彼女と家庭を築けるはずはなかった。

 生命という壁に唾を吐いていた頃、聖女に選定されていた。

 聖女という役目は窮屈で、最愛の姉どころか親の死に目にもあえなかった。

 

 でも、自分の人生に納得して生きなければいけない。

 だって、自分は自分の人生しか生きることができない。

 記憶に鮮やかに残る彼女は、自分との暮らしを幸せだと言ってくれて、その死に顔は美しい笑顔だった。

 優しい父母と姉とがいてくれた。姉の子供たちもいてくれた。姉の死を見なくて正解だった。見ていたら、姉と彼女のところへ逝こうと喜んで旅立ったろうから。


 そして、聖女の仕事というのは考えていたより全く退屈なものではなく、かなり面白いものだ。

 太古の昔から、歴代の聖女たちが織り上げた結界。その美しさを間近で見ることの喜び。とんでもない怪物を調伏した後、地上に降り立った時、庶民たちがそんなことも知らず笑顔でいると胸が安堵で熱くなる、その澄んだ気持ち。

 これは聖女でないとわからない喜びだ。


 ただ、ルネが結婚するということが気にかかる。

 最初その話をクロード・ゾナラスから聞いた時、目をひん剥いてのたうち回った。

 ゾナラスは予期していたらしく、お気に入りのシュークリームやケーキ、うまい酒、高級なつまみなどを用意していた。

 詳しく話を聞くに、期限付きの同居と本質的には同じではないか、と思い至り、少し落ち着いた。結婚という大事なものをお互い軽々しく扱う暴挙に出ているが。


 ——ま、いいでしょう。


 姪は高貴な貴族の令嬢として複数の家庭教師から勉強を教わり普通の学校をでていない。魔法学校に入る頃の年に母親が亡くなり、その衝撃から一時的に魔力が使えなくなり、魔法学校に入学さえもできなかった。

 言い換えるとルネは、小さい頃から一人が当たり前で、友人作りというのをあまりしたことがない。

 保護魔法により知り得たことによれば、神聖騎士たちとも表面上しか仲良くできていなかった。

 その中でのアルギュロスとかいう男のあの発言。

 それはルネはひどい孤立感を感じるだろう。

 もっと別の種類の他人を知れば、あの子が「自分は必要だ」と感じる機会を増やすことができるかもしれない。

 だが、なにより。


 ——うう、ルネちゃん、とうとうニセモノとはいえ花嫁さんに……。 


 感動でむせび泣く。


 涙を拭っていると、声をかけられた。


「聖女猊下げいか、お久しゅうございます」


 帝国主席魔術師、リュディヴィーヌの名目上の世話係であるその男が、声をかけてきた。

 アリスティド・ヴァタツェス。相変わらず生真面目そうな黒髪野郎だ。

 彼のマホガニー色の瞳がするどく聖女を見つめていた。


「今回のご婚約、後ろで手を引いていたのは貴女あなたでしたか」

「ミルティアデスにいじめられて泣いている姪に、素敵な出会いの場所を提供しただけよ。悪い? ね、ミルティアデスにタイプライターを使う羽目になる呪いをかけておいたの? 使ってる?」


 アリスティドは咳払いする。


「……最近タイプライターでの報告が多いなと思っていたら、貴女のいたずらでしたか」

「そう。私の配下に神聖騎士団を置くにあたっては、無駄なものを廃します。羽ペンとか、ミルティアデスとか」

「ずっと彼らは私の配下ですし、羽ペンはまだしもミルティアデスは廃さないでください。優秀なヤツです」

「神聖騎士団が私の姪を手放したのを、後悔するときがやってくるわ」

「それはわかりませんね」


 お互い、睨み合って一歩も譲らない。


 神聖騎士団は怪物の討伐や帝都の結界の修復に当たるため、似たようなことを行う聖女の配下に置いたほうがいいのではないか——、という意見がある。

 聖女は歴代それに賛同してきた。だが一方、実際に神聖騎士団を統括している帝国主席魔術師は神聖騎士団を手放したがらない。

 それゆえ、聖女と帝国主席魔術師は立場上、裏ではあまり仲がよろしくない。歴代。常に。ずっと。


 だが、ふっ、とリュディヴィーヌは何か思い出したように目をゆるめた。


「あー。そうそう。あなたねえ、頼まれてた占いだけど」


 アリスティドは目の色を変えて、聖女にすがらんばかりに手を合わせた。


「あの、大変言いにくいんだけど、……星見でも、カードでも、くじでも、水晶でも、クロードちゃんとあなたが復縁する確率は〇.〇一%がいいところだったわよ。あきらめて、搾乳ごっこやってた不倫相手と再婚したら?」

「何故そこまで透視なされたぁぁぁ!? やめてください! 私は不倫なんかしていません! ……ただあれは、その、どうしても、一回だけ。ですが、妻を心底から愛しています! 妻が私をこき使ってくる瞬間、生きてる実感が湧きあがるんですッ」

「じゃあなんで不倫したんだよドMめ。人妻と不倫していた私がいうのもなんだけど。役所から離婚届をもらってきてあげるから、クロードちゃんに独身になってもらいましょう。……そのう、そうすればあなたもいっぱい搾乳ができるし、あの子は鍛えれば聖女候補になれる。そうだと、私も安心して死ねるわ」


 聖女候補、と帝国主席魔術師の目が見開かれた。


「……はい!? 離婚もしませんよ! 彼女とは冷静に話し合って、丁重に謝罪し、……」

「無理じゃない? あなた、昨晩もカノジョと搾乳をたのしんできた匂いを感じるもの。魔力もド派手に使ったわね。カノジョの歓心を買うために、搾乳しながら派手な魔術でも見せてやったの?」

「聖女猊下、それはご見識違いです。昨晩は遅く帰ってきて、妻子もいない淋しい家で、一人で眠り……」


 リュディヴィーヌは、おや、と思った。その声色に、嘘を感じない。でも、なまなましい逢瀬の匂いや魔力の異常な放出を感じるのは本当だ。

 矛盾する。おかしい。何かが。

 

 ——こいつ、ひょっとして、アレか?


 思いついたことがあり、あることを確認するため、通りすがりの侍従の肩をつかんだ。


「ねぇ、神聖騎士第一席のエヴラール・ミルティアデスを呼んできてくれない? 本当は、帝室官房局長のクロード・ゾナラスが一番いいんだけど、夫のデリケートな話をいまあの子に切り出すのはさすがの私でも気がひけるのよねぇ」


 侍従は聖女のお言葉に震え上がって、ちょうど暇をしていた神聖騎士第一席を連れてきた。

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