4、せめて、婚約者らしく

第16話 我が家が筋力をふるえる良い機会

 婚約披露目の夜会の会場は、帝宮の大広間であった。

 突然の婚約発表であったことから、皆は、「どういうことだ、その女を見せろ」と詰め寄った。

 それで、緊急に夜会を設けたらしい。少なくとも一月、通常は三ヶ月ほど余裕を持って夜会などの準備をするのに。

 クロードは自分が発案したせいか、徹夜で必死に手配していた。


 大窓からは濃紺の夜空が見える。

 消えゆく西日に思うのは、ルネにとってはただ「緊張」という言葉だけだった。

 足が震えるほど緊張している。横には華麗に巻き髪を整えた大公がいて、自分は信じられないほど着飾っている。こんなに着飾るなんて生まれてこのかたなかった。

 それに、人の数。会場がまるで膨れ上がって破裂してしまうのではないかというほど、人が大勢いた。ルネは怪物が大勢いることには慣れているが、人が大勢いるのには慣れていない。


「緊張しているようで」


 大公に囁かれた。当の彼といえば、愛人たちとの別れを惜しんだり、愛人たちの乱闘をなだめたり、政治家と思われる人々と難しい政治の話をしたりしている。ルネはこくりとうなずいた。


「緊張しています。こんなところ初めてだから。晩餐に生きる望みをかけています」


 大公は吹き出す。肩をぽんと叩かれた。


「もう少しそなたが大人になれば、この人員配置から、自分がどう動けばさらに権力を獲得できるようになるか算段できるようになる。それは至高の暇つぶしで、保身術だ」


 誰か人がやってきたのでビクッと肩を震わす。見れば、懐かしい筋肉集団——実家のスキュリツェス侯爵家の家族だった。父が母の肖像画片手に丸太より太い腕で自らの涙を拭っている。


「ぐっ、ルネ、数日ぶりに再会したが立派になって……天国のヨガスタジオの母上も喜んでおられるだろう……」


 そういいながら気絶した。周りに助け起こされる。兄は父を助け起こしながら、野望を口にする。


「父上、しっかりなさってください。大公殿下と外戚になり、我が家が力をふるえるよい機会ではございませんか!」


 ——いま、筋力っていった? 権力ではなく!?


 ルネは目をまたかせる。兄は続けた。


「私は修練し、この帝国の最高力者になりたいのです! 大公殿下をもムキムキにしたい!」


 ——いま、筋力っていった!? 権力ではなく!!?


 ふたたびルネは目をまたたかせる。確かに権力と言ってくれないほうがありがたい。野心家が大公に取り入ったとみられるかもしれないから。ただ、たぶん父と兄はこう周囲に印象付けただろう。


 ヤッベェ一族が大公殿下に取り入ったぞ。 と。 ムキムキな姉たち二人は、まるでルネを引き立てるように嫉妬の言葉を放った。


「う、うそでしょ!? ルネがー! ギリギリギリ。悔しいわー!」

「筋肉がないのに一発逆転して!」


 全てが棒読みだし、上の姉などは手からカンニングペーパーがはみ出ている。

 これは姉二人がいたずらで妹をいじっているのだろう。

 ここで「うるさい!」と、いつものように突っ込んでいくと、「大公妃様なのに子供っぽい振る舞いを」とからかわれるから、ぐっとここはこらえる。


 姉二人にいたずらし返してやろうと偽装の婚約者を小突いた。


「なんだ?」

「スフレ並みのあまあまラブラブをやりましょう」

「そなた、その言葉の意味をわかっているのか」

「調子に乗って妹をいじめてくる姉たちを見返したいのです。お姉さまたちを『ぐああああ』と言わせたいのです」


 大公は少し咳払いをすると、心をぐいっと掴み取ってくる、とろける微笑みを浮かべてきた。ルネは恥ずかしさのあまり一歩下がる。その腰を引き寄せられた。


 ——えっ。


 羞恥しゅうちが身体中を焼き焦がす。

 だが、大公はその反応すら愛らしいといった余裕の表情を浮かべる。 頬に口づけを落とされる。びくりと身体が反応する。


 ——やめて、やめてやめてやめやめやめわあああ恥ずかしいぐあああああ!


 指が絡められ、心のすべてをほどけさせるように、優しく甘いバリトンで囁かれた。


「愛しい可愛いルネ。今日はようやく私たちの婚約をみなさまにお伝えできるね……」


 ルネはその瞬間、心臓が破裂し、脳みそが焼け焦げ、怪物から攻撃を受けたように、


「うわああああああああああああああああああああああああああ」


 と断末魔をあげた。無事に泡を吹いて気絶し、大公に受け止められた。


「……おお、魂が飛んだな」


 大公は偽装の婚約者を揺り起こす。

 大公の力を使って姉たちに仕返ししようと大望を抱いた娘は、大公の大きな力に耐えられず自ら爆死する道を選んでしまった。

 姉たちは「ウブだから」と哀れな妹に向かって失笑する。


 大公の婚約者が名門であるスキュリツェス侯爵家の出身だとわかり、社交界の面々は震え上がった。場にいた面々がスキュリツェス侯爵家の一門きんにくしゅうだんにすぐ道を譲った。

 名門の威容に屈したのではない。筋肉の威容に屈したのである。


 奇しくもルネの父がいった言葉、保身など考えない。筋肉さえあれば、皆が道を譲るのだ——、それを体現した。

 しかもスキュリツェス家は武門の名門ではあれども筋肉にしか興味がない、ある種穏健な家。しかも聖女の姪。これほど妥当な縁談もあるまいと皆が噂した。


 政治家たちがささやく。 


 ——聖女猊下ですか。

 ——大公妃は神聖騎士出身だ。とうとう聖女猊下が、主席魔術師猊下から神聖騎士団を奪って配下に組み込もうと新しい一手を打たれたのでは?


 ルネは気絶していたため、その言葉が耳に入らなかった。大公がじっとその会話に耳を傾け、うっすらと笑んでいたにもかかわらず。



 しばらく後、すっきりした果汁を飲んで、ルネはなんとか復活した。


「死ぬかと思いました」

「耐性がないな。心配になる程だ」


 大公はルネに向かって鼻を鳴らした。ルネを見下ろしていた彼は、ふと何かに気づいたように視線を移動させる。ルネもそれにつられる。


 大公によく似た白金の巻き毛の美しい女性がいた。


「イザベル、私の妹よ。私の幸運を喜んでほしい」

「もちろん。兄上、ルネ嬢。このたびはおめでとうございます。見ればとても愛らしいお方。仲良くしてくださいませね」


 皇女である、エウテュミオス女大公イザベルが、にっこりとたおやかに微笑んできた。ルネにも。上品なお方だ、とルネは急いでぎこちなく挨拶を返す。兄皇帝が崩御した今、大公には今、甥皇帝と妹姫しか家族がいない。大公の父帝と母后は早くに亡くなったのだ。


 つまり、大人ではこの妹姫が大公の唯一の身近な親族だ。相手側の家族に一応、おめでとうございます、と言われた。とりあえずよかったのだろうか、とルネは胸をなでおろす。


 あまりの突然の幸運に、自分の家族が乱痴気筋力騒ぎを繰り広げている声がする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る