3、大公殿下と奇妙なことになりそうです……?

第11話 とんでもなく優秀すぎる魔術師と

 帝立図書館は、大きかった。

 天をも穿うがちそうな高い天井には、この帝国の創世神話をモチーフにした壁画が描かれている。

 その下にはやはり山のようにそびえ立つ本棚が無数にある。

 歩いても歩いても目的地まではたどり着けない。


「つ、つかれ、つかれた」


  大公の呪いの治療を密かに行うことになったルネはまず、叔母の指示でクロード・ゾナラスという上級魔術師をひっそりと訪ねることになった。

 それでゾナラス師から指定された場所が、帝宮に隣接する帝立図書館の、彼のデスクだった。

 どうやらゾナラスという男は、図書館に勝手に自分のデスクを作るという非常に迷惑な行為を働いているらしい。


 叔母のところでしばらく精神と魔力の修復を行なっていたら、もう季節は春の息吹をあちこちで感じる季節になっていた。

 図書館の窓から差し込む春の光はまばゆく、ルネは目をすがめた。


 刹那、音もなくふわりと目の前に人が立っていた。

 背中を覆う亜麻色あまいろの長い髪。緋色ひいろの瞳。静謐せいひつで知的なたたずまい。上級魔術師を表すラピスラズリのブローチ。


「クロード・ゾナラス先生ですか?」


 そのひとは頷いた。 だけれど——。


「あの、わたし、ゾナラス先生が男性だと聞いてここにきたんですけど!?」


 オリーブ色の女性用のジャケットにフリルのきれいなブラウス、裾の長いスカートを着た、清楚で上品な美貌の女性が、そこに立っていた。

 彼女はつつましやかに微笑を浮かべていた。三十後半くらいだろうか。


「女の子がいらっしゃるとお聞きしたので、が気楽かしらと思いまして」

「……え?」


 彼女はそれ以上は話に立ち入らせず、すぐにルネに確認した。


「帝国神聖騎士第六席、ルネ・スキュリツェス卿でらっしゃいますわね。わたくし、帝室官房局長ていしつかんぼうきょくちょうのクロード・ゾナラスと申します。よろしくおねがいします」

「ルネ・スキュリツェスです、よ、よろしくおねがいします」


 がばりと、勢いよくルネは頭を下げた。


「浄化と治癒がお得意だそうで。殿下も満足されていました。ですが——」


 声を落として、クロードはルネに言った。


「帝都内でもご家族にもご内密に。図書館を選んだのは、わたくしのアジトという側面もありますが、ほとんど誰もこないからです。面倒くさい話をするのにうってつけですもの」


 ルネはうなずいた。


 ふたりで図書館の廊下を歩く。すでに本棚がありすぎて、どこがどこだかわからなくなっていた。クロードにくっついていけばいいのだろう。


 クロードは静かに話し始めた。


「大公殿下にあざが見つかったのは一年ほど前。そのとき、わたくしはまだ大公殿下のおそばにはべっていなかったので、よくはわかりませんが、最初はどこかにぶつけでもしただろうか、とお考えになったようです」

「そばに侍っていなかった?」


 知的な女性はうなずいた。


「ええ、わたくしが帝室官房局長になっ——」


 クロードは少しだけ周りを見回すと、その緋色の目をいきなり見開き、「……いるな」と忌々いまいましげに細めた。

 ふとみれば、彼女は、三十後半の知的なの姿になっている。細身で、亜麻色の長髪がとても洒脱である。オリーブ色の女性用ジャケットにブラウスにスカートだったのが、同じ色のおしゃれな三揃みつぞろいに変わっていた。

 ルネは目をまたたかかせた。


「ええ。——が帝室官房局長になったのは半年と少し前のことなんですよ」

「大公殿下の側近なんですか?」

「側近と胸を張れないくらい、おそばに上がったばかりでして……。でも、ギュスターヴ殿下とは以前から個人的に親交がありましたし、殿下も僕を信用してくださいます。そして、職務には忠実に、帝国の安寧に努めて参る所存です」

「……へ、へぇ」

「夏の人事異動ってあるじゃあないですか。あれで、職場復帰してからいきなり、帝国魔法院所属ではなくなりまして。帝室官房局長になっていたんです。夫と別居してから、まだ五歳の娘を食べさせないといけないと急いで上級魔術師資格を取って、魔法院の空いているポストに復職願いを出していたら、……笑うしかないですよねえ。出産と育児と家事が忙しく、五年ほどおいとまをいただいていたから、出世に響いちゃったのですって。あらまあ、って……」

「んん?!」


 ルネは何度も目の前の知的そうな三十後半ほどの長髪紳士を見た。

 あ、ああ、とクロードは淑女の姿に戻る。


「こちらのほうが今のお話に違和感ございませんか?」

「いや、あの……、ごめんなさい、それもあるんですけど、その」


 育児や別居騒ぎの片手間に上級魔術師資格を取れるものなのか。

 一生かけてなり、認定されたら喜びのあまり死ぬ高齢者が多いと聞く。


 つまり、この人は。

 とんでもなく優秀な魔術師だ。

 帝室官房局長などという、皇帝や摂政の身の回りの差配をする、つまり魔力のない人間でもなれるポストにふさわしくない。


「いえいえ、おかまいなく。そうですね……。僕は——わたくしは魔術書の内容を頭に詰め込むのには長けているのです。だから試験には強いんですよ! ……でも、その反面、性別が不安定なんです、生まれた時から。制御せいぎょが大変で。ようやく大人になって制御できるようになりました。読書や勉学に性別は必要無かったのが救いでした。恋人になった人が男性で異性愛者だったので、八年前に女性として結婚して、五年前に女性として子供を産みました。生まれた瞬間は男の子でしたが、生まれて三十分後に女の子に。三歳までそのまま女の子の姿でしたので、両親以外の実家の人間は、わたくしを魔術でたまに男に変装する女と認識しています」


 ふっと、クロードは洒脱な紳士の姿に戻る。

 ルネは「同じ人でも性別が違うだけでずいぶん印象が違うな」と考え込んだ。清楚な女性から洒脱な男性に。


「夫は、僕のどちらの性別も受け入れてくれるように見えた優しい人ではありました。でも、知らず知らずのうちに優しさに甘えてしまっていたのか、天の配剤なのか、僕が所帯染みて魅力がなくなったのか、それとも実際は女性としての僕しか愛せず、疲れたのか。……夫は他の女性と不倫関係を持ちました。どうにも行きまって、娘を連れて実家に帰り、つまり別居しているのです」

「……さ、さ、サレ妻」

「その通りです。スキュリツェス卿。俗語をよくご存知で。夫は、せめて娘には会わせてほしいといいますが、そういわれると胸のあたりがむかむかしてくるのです。夫は娘に対しては不実を犯していないわけですから、会わせるのが道理だとは思うのです。……でも、僕にはわからない」

「……娘さんの気持ちを聞いてみれば……」

「聞いたら、『ママの好きでいいよ』って。これはダメなヤツでしょう……。自分たちの勝手で、子供を傷つけてその意志を封じてしまっている……」


 娘も傷心であるらしい。上級魔術師とその娘を傷つけたクソ男(絶対チャラくて借金が山ほどあるだろう)を妄想し、ルネは脳内で滅多刺めったざしにした。


 ——ちり。


 嫌な予感がして後ろを見ると、誰かの裳裾もすそが本棚の影でひるがえり、急ぎ足でどこかへ向かう足音がした。ルネはクロードの袖を引く。


「あの」

「大丈夫ですよ。いつものことですから。夫です」

「えっ、気持ち悪い夫さんですね……」

「そう。僕は夫に後追いされています。危害は加えてこないので、カメムシの一種だと思ってやり過ごしています。それに、仕事上、あなたと僕が接触するのが不都合なんですよ。さてと、出来た——」


 ふと気づけば、本棚に扉があった。その扉をクロードは開けた。部屋に入る。何の変哲もない、どこかの客室のようであった。だが、微妙な違和感がある。


「ここなら誰にも聞かれずにお話しできます」

「ここ、異空間ですね?」

「そうです」


 今までの長い長いクロードの身の上話は、異空間を生成するための時間稼ぎだったらしい。


「さて、大公殿下について詳しくお話ししましょう」


 クロードは、非常に真剣な表情をした。

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