2、帰省はつらい(物理)、聖女に会おう

第5話 実家には元気な顔で帰省したい(※無理だった)

 トロペオルム宮の中庭の噴水は冬も凍らずに吹き上げている。


 豪奢ごうしゃな僧衣に身を包んだ、生真面目そうな黒髪のメガネをかけた男が、その噴水を見ながら舌打ちする。

 その側に控えていた、帝国神聖騎士主席のミルティアデスは、耳を疑った。同期として魔法学校に在籍していた当時から、一切彼の舌打ちなど聞いたこともなかったからだ。


「アリスティド猊下げいか……?」


 その声に、メガネの男はふと我に返り、微笑んだ。


「申し訳ない。少し行儀の悪いことをしてしまった」


 ミルティアデスはいや、と首を横に振り、上司と部下ではなく、魔法学校の同期としての顔に戻った。


「ラスカリス大公殿下のことか?」


「ああ」と黒髪の男はうなずく。「グリュケイア公爵殿下が失脚された。あの方は状況に応じてすぐ態度を変える嫌な性格の人だから、わが帝国魔法院はあまり関わりを持ちたくないなぁ、と思っていたが——」


 ミルティアデスは「あー、そういう性格の人とは付き合いたくないな」と答える。


「グリュケイア公爵家はかなりの大貴族。うまく動かせば、ラスカリス大公にとってよき掣肘せいちゅうとなったものを。……これではラスカリス大公の独裁が進んでしまう」


 男は腹立たしげに言う。舌打ちはしなかった。ミルティアデスは「御意」とうなずいた。


「時に、猊下。いや、その、アリスティド。いいのか?」


「なんだ?」


「そんなに仕事ばかりして、家庭のことをほっぽりっぱなしにしておくと、いい加減ヨメと嬢ちゃんに見放されるんじゃないか? 家に帰ってないだろ、最近。お前のヨメはかなりヤバいからな。なんであんなのをめとったんだが……」


 男は「オレだって、ふたりに会いたいよぉぉぉぉッ!」と震えながら、ブハッと目から涙を流した。涙の勢いでメガネが割れた。


 アリスティド・ヴァタツェス。全国にそれなりの数いる帝国魔術師を管理・管轄している帝国魔法院、そのトップ、帝国主席魔術師である。

 穏健誠実な性格で、妻と幼い一人娘について暇さえあれば自慢してくる以外は問題がない。

 前の主席魔術師がもふもふ魔法動物協会からの不正献金疑惑と、きゃわわ魔法動物連盟からの贈収賄疑惑で退任に追い込まれたので、清廉な人柄を買われ、歴代最年少の三十六歳で就任した。


 高位の魔術師であり、魔術師の名門たるヴァタツェス家の生まれながら、派手な暮らしをせず、妻子とつつましやかに暮らしている。


 ちなみに帝国神聖騎士団は帝国魔術師試験を上位でパスしたエリート帝国魔術師の集団であるから、帝国魔法院に所属し、帝国主席魔術師が直接管理している。

 つまり、この妻子愛にあふれたメガネのオッさんは、ルネの上司の上司にあたる。


 残念ながらルネとは廊下ですれ違う程度しか面識がないが。


 ***


 家路に着くと、目の前に豪壮な鉄柵門てっさくもんがあった。鉄柵門は主人の末娘ルネその愛馬テオの帰還を認めると、すぐに開いた。車止めまでテオは進んで、そこでルネを下ろした。豪華な玄関から、ムキムキの執事が迎えにやってきた。


「ルネお嬢様。お帰りなさいませ」

「もどりました」


 玄関の中に入ると、ムキムキな使用人フットマン侍女メイドがルネの外套や荷物などを受け取る。

 ルネはそのムキムキ集団の中では華奢で愛らしい姫のようだった。

 筋肉がつかない。彼女の密かな悩みであった。

 理由はわかっている。魔力の副作用である。筋トレ分が筋力ではなく魔力に行ってしまうのだ。


 事情を執事に話すと、執事はその丸太のように太い腕で涙をぐっと拭った。


「お嬢様……! それはパワハラでございます! ぐう! 私めがそこにいれば、そのアルギュロスとかいう男をぶん殴ってシチューの具にしているものを!! ……あ、お嬢様、今日の晩餐前の筋トレは、旦那様が高級バーベルスタンドをご家族分買い換えたとのことですので、試しにベンチプレスを一〇〇キログラムで、一〇〇回五セットずつ行うとのことでございます」


 晩餐ばんさん前の筋トレのメニューを晩餐のメニューのように執事は言う。


「……」


 今日は比較的楽なメニューだなと、ルネは少し救われた気分になった。


 自室へ戻り、制服を運動着に着替えてくる、と執事に告げる。

 ムキムキ使用人ムキムキ侍女がそれに付き従う。


 武門の名門・スキュリツェス侯爵家はみなムキムキでなくてはならない。

 自室へ戻る廊下には、先祖の肖像画がずらりと並んでいるが、全員服がはち切れそうなほどのムキムキである。


 家訓は「我が子孫よ、筋トレを怠るな」。

 

 筋トレを怠らず、ムキムキになったマッチョな歴代当主とその親族は、その優れた武勇もとい筋力で、帝国の危機を何度も救ってきた。

 スキュリツェス侯爵家の人間の進路はほぼ帝国軍人や筋トレ関係の実業家か、ルネのように魔力を持てば帝国神聖騎士のどちらかだ。極端に武人肌なのだ。

 反面、温和で一本気な人間が多い。「素直でおばか」とか「脳筋」とか陰口を叩かれることもあるが、そのせいだろう。大貴族のなかではめずらしく、皇帝に目をつけられていじめられることもなければ、他の貴族といさかいを起こすことも滅多にない。おだやかに血脈を保てている。


 ルネは一階の鍛錬室へと向かった。

 鉄製の重い扉を開けると、そこは熱気でむんむんしており、汗臭かった。

 消臭のために大窓を開けて換気をすると、突き刺すほどの冬の冷気が室内に入ってくる。


 鍛錬室にはありとあらゆる鍛錬器具がある。天井からつりさがるつり輪もあれば、腰に巻きつけて走る鉄の入った帯もあった。

 何はともあれ、新品の高級バーベルスタンドが、父、兄、姉たち、自分、祖母の分ある。



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