第3話 落とし穴 ああ落とし穴 落とし穴

 そのとき、事務員が通りかかった。

 オーレリアンはそれに気づくと、ルネの手に金の詰まった皮袋かわぶくろをしっかり握らせて、何度も大げさに謝罪し始めた。


「スキュリツェス君にそう言ってもらえるとは……ありがたい! すまない!!」


 押し付けられた皮袋を返し、ルネは「大丈夫です」と返答してしまった。


「し、失礼します」


 急ぎ足でその場を離れると、オーレリアンの声がルネの背中を追いかけてきた。


「報告書は事実の通り書いてくれてかまわないから! 俺が団長に事実をきちんと伝える!」


 本当だろうか、と彼女は疑いながらも、「ありがとうございます」と詰所へ向かって小走りで逃げた。


 詰所には何人かの神聖騎士が来ていた。みなルネを見て、微妙な顔をしだす。何かひそひそ話をする神聖騎士もいた。


 ——?


 自分に与えられたデスクに向かう。手書きのほうがいいのか、タイプライターのほうがいいのか、数秒ほど迷ったが、とりあえず無難に手書きにしておく。

 ミルティアデス卿は、「手書きにこそ心がこもっている♡」といい、タイプライターを使うのをなるべく避ける性質だからだ。ルネはさほど読めない字を書くわけでもなく、タイプライターも全く使えないというわけではないので、心底しんそこどちらでもいい議論だった。


 タイプライターのキーをカタカタと叩く音や、ペンが紙をこする音が聞こえるなか、ルネは一生懸命羽ペンと紙で経過を書く。

 帝国神聖騎士の報告書は、内容秘匿ひとくのためにインクに魔術が使われている。

 以下の話はみな首をかしげるのだが、インクをペン先に浸して使う羽ペンはそのまま魔術が使える。だが、万年筆はインクを入れた途端、インクから魔術が消える。一方、タイプライターのインクリボンには魔術を込めることができる。

 どういう原理なのか今後の研究が待たれる。ルネも是非ともその真相を知りたい。


 何はともあれ、ミルティアデス卿おすすめの羽ペンにインクをつける。

 報告書は先日聞いたオーレリアンの報告通りにした。

 浄化魔法を込めた銃弾でトロールを退治していたが、追いつかなくなり、ついには浄化魔法と治癒魔法を取り違え、たまたま様子を見にきてくれたオーレリアンにトロール退治を依頼した——、と記しておいた。


 きっとオーレリアンはミルティアデス卿に事実を伝えないだろう。ルネもそのくらいの察しはつく。「先ほどの言葉は誤りで……」といって相手を信用させるのは、よほどの話術の使い手でないと無理だ。さらに、第六席で後輩の自分より、第二席で先輩であるオーレリアンの伝えたことのほうが信憑性しんぴょうせいは高い、と見るだろう。

 報告内容に食い違いがあってはならない。


 結局、朝に出勤して、夕方報告書を書き終えた。げっそりした気分になって退勤ついでにうまやへ向かう。


「テオ〜」


 自分の栗毛くりげ有翼馬ゆうよくばがこちらを向いた。彼の首筋を撫でる。


「疲れた。叔母さまに会いたいなあ」


 ぶるる、と有翼馬は返事をした。——それがよろしいでしょう、というふうに。

 帰ったら叔母に手紙を書こう、とルネは決めた。もちろんタイプライターで。叔母は文字が読めれば気にしない。



 数日後。

 非番だというのに呼び出しをくらった。

 久しぶりに外に出て、書店のたくさんある大通りで魔術書をあさりに出かけようとしていた。ついでに近くの喫茶店で開催されていたフォンダンショコラ大食い選手権に出場しようかとヘラヘラしていたとき。

 自分の机の上に置かれた羊皮紙に文字が浮かぶ。魔術電報だ。


 ——ヨビダシ。スグニダンチョウノモトヘ。


 久しぶりに生き生きとしていた若芽色わかめいろの瞳がガラス玉に戻り、スイッチが入ったようにするどくなる。毛糸でできた帽子をベッドに投げ捨て、黒の制服に着替え、職場へと向かった。


 職場へ着くと、同僚の帝国神聖騎士がルネをにらんだ。


「団長が呼んでる。ていうかお前、あれだけ団長を激怒させるとは、どういう報告書を書いたんだ? タイプライターで書いちゃったのか?」

「ちゃんと羽ペンで書きましたが」


 どういうことだと、団長の執務室へと急いで赴いた。

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