第2話 人間は表と裏があるという

 実行したのもオーレリアンで、トロールを焼き尽くすよう考案したのもオーレリアンだったはずだ、とルネは自分の記憶と尊敬する同僚の言葉の食い違いにひどく混乱する。

 だが、自分が浄化魔法と治癒魔法を取り違えてしまったから、あの事態を引き起こしたので……。


 混乱が有翼馬のテオにも伝わってしまったらしい。その馬のつぶらな瞳が少しするどくなる。耳もぴくりと動いている。

 テオはこっそりと二人の視界に入らないよう旋回し、木の枝にかかったハンカチを取ろうとした。


「——何者だ!」


 オーレリアンと話していた団長のミルティアデス卿の大音声だいおんじょうが響く。剣のつかに手をやって。


 ルネはびくりと跳ね上がる。もちろん小心者であるつもりはないが、帝国神聖騎士首席で団長であるミルティアデス卿の一喝いっかつ臓腑ぞうふに響く。


 愛馬に「いい」と指示し、その場を急いで去った。

 オーレリアン・アルギュロス卿がそのあおの瞳をルネの後ろ姿へ向け、その唇に笑みをいたことに一切気づかず。


 ルネは大貴族であるスキュリツェス侯爵家の末娘ではあるが、スキュリツェス家のきょうだいのなかで唯一魔力を持って生まれてきた。スキュリツェス家では彼女を一人前の魔術師として育てるために、他のきょうだいとは別の道を歩ませた。


 なので、ルネの住まいはスキュリツェス家本邸ではなく、魔術師を統括する帝国魔法院ていこくまほういんが用意した、帝都の西通りに面する寮にある。


 職場である騎士団本営——帝国魔法院第三課のある建物と寮は直結している。


 寮から出て、出勤したルネはまず一番にうまやおもむく。有翼馬のテオの様子を見に行くからだ。

 きちんと厩務員が面倒を見てくれるが、自分の愛馬の様子は確認しておきたい。


 栗毛の愛馬は、目を細めて頬ずりしてきた。

 これが癒しの時間だ。

 厩を涙ながらに離れ、もう一度テオのところへ戻り、また離れ、またテオのところへ戻り、また離れ、また戻り、厩務員に追い出され、また戻ってきて彼に頬ずりした。


「報告書を書くんだって、テオ」


 厩務員がルネごと厩の掃除を始めたため、とぼとぼと厩から離れ、厩に近い裏口から入っていった。


 失敗をしたことになるのだから、かなり詳細に書かなくてはいけないだろう。ただ、どうにもオーレリアンが変なことを団長に吹き込んでいたのが不審だ。どうしたらいいのだろう。


 二階にある詰所へ向かおうと階段を登ろうと足をかけると、当のオーレリアン・アルギュロス卿が降りてきた。

 階段の踊り場の小窓の光がこちらに差し込んで、逆光になっていて表情は見えないが、口元は微笑んでいた。


 体が固まる。


「スキュリツェス君!」


 ルネは挨拶だけして去ろうと思った。いろいろ問いただしたいことは山ほどあったが、それよりも、彼を避けよと本能が警告する。

 しかし、予想外にも、オーレリアンはガバッと頭を下げてきた。


「……?」

「申し訳ない、スキュリツェス君」

「あの」

「昨日は申し訳なかった。君の行状について、団長に虚偽を報告してしまった」

「……」

「さすがにトロールを丸焼けにするのは、あれしか方法がなかったとはいえ、やりすぎたと認めるよ。君の功績になればと思っていたんだが、団長は、君の欠点のほうをより重要と考えていてね……。その、火に油を注いでしまったようだ」


 大きいが切れ長の碧眼へきがんが困ったように細められ、形の良い唇も弧を誠実そうに描いた。

 さらに彼は、懐から大きな皮袋を渡してきた。

 ずっしりと重い。これは、——お金だ。しかも、重さから考えてかなり高額な。ポンと出せるような値段ではなさそうな。


「これで許してくれないだろうか」


 お金を渡されたらなんともいうことができない。ルネもおずおずと頭を下げた。


「い、いえ、アルギュロス卿がおっしゃったことは自分の修練の足りない面でもあります。気をつけます」


 オーレリアンは、少しその唇にまた笑みを刷いた。誠実そのものだった先ほどとは違った笑みを。酷薄こくはくな笑みを。


「——あぁ、やっぱり聞いてたんだね? あのとき」


 なぜだか冷たい殺気のようなものを感じて、ルネは二歩後ろへ下がった。

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