1、わたしは「いらない」存在らしい

第1話 それはうそではないですか?

 なぜルネが、女を取っ替え引っ替えする大公の婚約者・妃となり、着飾る羽目になったのか、これは季節を一つ前にさかのぼらなくてはならない。


 鉛色の空からは、冬だとしても、異常な量の雪が吹きすさんでいた。


 帝都を守る三重の城壁。その北に面する一角に、黒に染めた軍装をつけた騎士たち七名が集結していた。


 帝国神聖騎士団。

 帝国魔術師試験を上位で突破し、その上で人並外れた戦闘能力を有する、騎士号を与えられた魔術師たちの一個小隊である。定員は十三名。


 彼らは首席であるエヴラール・ミルティアデス卿指揮下のもと、少数精鋭を誇り、帝国を様々な面で守護してきた。


 地平線の向こう側から、異形の怪物が飛び出してきた。白雪のごとく白く長いあごひげに覆われた老人のような毛むくじゃらのモノが数匹、息を荒げながらこちらへ向かってくる。その息が、あちこちを結氷させていた。

 決して可愛らしくはない。なにせ一軒家ほどの背の高さがあるので。 


 帝国神聖騎士第六席にして十七歳という最年少であるルネ・スキュリツェス卿は、離れた場所で、城壁の陰に伏せ、狙撃銃を構えていた。もちろん銃弾に魔術が仕込んである。

 彼女の若芽色わかめいろの瞳、いや、その代わりのスコープが、無機質にトロールの頭部を捉えた。トロールに立ち向かっているのは、エヴラール・ミルティアデス卿その人。


 ——団長が弱らせてくれてる。言う通りにしないと。怪物たちを、


 ミルティアデス卿がハンドサインを出した。

 風の様子をみて、トリガーを引く。

 トロールの頭が瞬時に撃ち抜かれる。血が吹き出す。その血からあふれでた瘴気しょうきが騒ぎ出した。すぐに銃弾に込めていた得意の浄化魔法が効き、瘴気は消える。——この間三秒ほど、そして爆発音。


 魔術は基本的に物理法則を無視しわけのわからない現象を引き起こすが、着弾と着弾音の差、つまり光は音の八十八万倍の速さで伝わるという物理法則は無視しない。


「クリアー」 


 ルネは二頭目のトロールに照準を合わせた。

 今度は別の騎士がそのトロールに立ち向かっていた。同じようにトリガーを引き、トロールの頭を撃ち抜いた。


「……クリアー」


 彼女はまったく無機質に三頭目のトロールに照準を合わせようとした。

 すると、隣にするりと人が笑顔を向けて割り込んできた。明るく優しくて爽やかで、優秀な帝国神聖騎士第二席、オーレリアン・アルギュロス卿。炎魔法を得意とする、通称『炎の術者』。


「よくやってるじゃないか」

「……ありがとうございます」

「少し疲れたろう? わるよ」


 でも、と思ったが、オーレリアンはルネの肩に手を置いた。


「君に無理してほしくないんだよ」


 にっこりと甘い笑みを浮かべてくる。ルネは機械人形オートマタのように立ち上がり、うなずいた。


「……任務を中断してアルギュロス卿におまかせしろということでしょうか?」

「そう。優秀な後輩を持てて幸せだよ」


 肩のあたりで切り揃えられた髪をわしゃわしゃされたルネはこのとき、まったくオーレリアンを疑ってなどいなかった。ガラス玉のような若芽色の瞳が、彼を見、そして彼女は無駄のないしぐさで敬礼する。


 城壁から見れば、死にゆくトロールはもがき苦しみながら、瘴気を吐き始めた。


 奴ら——怪物——の面倒なところは、闇に囚われて瘴気を吐くところだ。

 通常の魔法動物であれば瘴気は出さず、人間と普通の動物のように共存したり、あるいは人間とは違った空間を過ごしたりしている。


 急いでルネは浄化魔法を放った。ルネは呪いや瘴気からの浄化魔法を得手としており、「浄化の魔女」といわれる。


 だが。

 倒れていたトロールがのそりと動き出す。さらに瘴気を吐き始めた。復活してしまったようだ。


「……浄化魔法を放ったはずですが」


 ルネは治癒魔法にも長けていて、たまに浄化と治癒のコントロールが不能になる。まだ幼いためだ。


「誰だ! 退治したトロールを復活させたバカは! どうせ浄化と取り違えた第六席チビだろう!!」という叫び声が聞こえる。


 オーレリアンは指を鳴らす。トロールが全て焼けた。

 トロールたちは悲鳴をあげ、容赦ない火に囲まれもがく。血の匂いがあたりに充満した。

 トロールのそばにいる帝国神聖騎士たちもいたが、騎士たちは冷静に急いでその場を離れ、火事に巻き込まれぬようにした。


「え?」


 ルネはまばたきをして彼を見た。

 確かに怪物は危ない。だが、全て焼き尽くすのは戦闘として一般人にも被害があるため望ましくないのでは——。だが、彼が窮地を救ってくれたし……。


 彼はまたルネの肩で切り揃えた髪をわしゃわしゃしてきた。


「この方が効率がいいだろ?」

「……痛みいります」


 ルネはさまざまな思いを飲み込みながら、頭を下げた。



 城壁を降りるために石畳の階段をオーレリアンと降りていく。ルネは大事そうに銃を抱えて。オーレリアンは気さくな笑顔を浮かべながら。


「君は本当に人形みたいだね。あぁ、君は魔法学校、出てないんだってね。誰から魔術を教わったの?」

「叔母です」

「へえ。叔母さんが魔術を教えてくれたんだ。さぞかし甘やかしてくれたんだろうね」

「優しい叔母さまですが、魔術に関しては厳しくはありました」

「へえ。そうなんだ。脳筋のかたまりみたいなスキュリツェス侯爵家に魔女がいたとは」

「あっ。違、……父の妹ではなくて、母の妹なんです」

「へえ」

「……あの、聖女猊下なんです」

「……ふぅん」


 叔母が帝国で最も至高で、その魔力と祈りで国家の安寧と鎮護を担っている魔術師——聖女であるということは周囲にはあまり告げていない。おおごとにしたくなかったからだ。だが、オーレリアンには話してしまえた。そんな雰囲気が彼にはあった。


 

 そういうふうにルネはオーレリアンを考えていた。考えてしまっていた。

 というのに。


 階段を降り切ると、エヴラール・ミルティアデス卿が立っていた。


「アルギュロス卿とスキュリツェス卿。援護射撃に大変痛み入る。——スキュリツェス卿。また怪物を復活させてどうする。貴下はもう少し魔力のコントロールを身につけよ。ま、若いうちは誰だってそうだがな……。しっかり経験を積め。しかし、その埋め合わせにトロールを丸焼きにする戦術はいただけなかったな。火傷やけどをした仲間がいる」

「……」


 オーレリアンのほうを見た。すると、彼はルネの背中に手を当てて押し、一緒にミルティアデス卿に頭を下げた。疑問に思ったが、確かにここはオーレリアンのミスを止めなかった自分の責任でもある。

 現に、オーレリアンはミスを認めた。


「申し訳ありません、ミルティアデス卿。私のミスです。……この後、お時間ありますか?」


 ミルティアデス卿は頷く。オーレリアンはルネを見下ろした。


「大丈夫だ。帰りなさい」

「……はい」


 従順にその場から離れる。城壁の中にある厩へ赴き、荷物をまとめて、自分の栗毛の有翼馬のテオを引いて、本営まで帰ろうとした。

 荷物をチェックしていると、ある異変に気付く。


「あれ? ハンカチ」


 先ほどの場所に置いてきてしまったのだろうか。

 横で同じく有翼馬を引いている帝国神聖騎士が、「貴下きかはたまに抜けている」と大笑いしてくる。ルネは抗弁した。


「上着のポケットにハンカチを入れた記憶はないし、この寒さで、上着を脱いだ記憶もないのですが……」

「人はくし物をするとき、たいがいそういうふうに思い込むものだ。小さい第六席くん?」


 そうかもしれないけど、とルネはうつむいた。

 有翼馬で元いた場所まで飛翔する。

 確かに、ハンカチが先ほどの城壁の近くの木に引っかかっていた。


 まだ、ミルティアデス卿とオーレリアンが立ち話をしていた。

 オーレリアンが表情を曇らせていた。ミルティアデス卿も同様。

 何だろう、と思って耳をそばだてる。


 端正な容貌の帝国神聖騎士第二席は重苦しそうに唇を開いた。


「実は、先ほど、スキュリツェス卿といたのは、彼女を注意していたからなのです」

「……ふむ」

「実行したのは私ですが、。ミルティアデス卿もご存知のように、彼女は自慢癖があり、自己本位で、他者への配慮に欠けている——」


 ——え?

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