「いらない」はずの神聖騎士ですが、このたび、「氷の殿下」 と結婚することになりまして (※ただし偽装)

ことり@つきもも

序 夜会前、結婚約束

 ——自分と同じ十七歳ぐらいの子なら、一度は夢に見たことがあるのだろうか?

 こんな風に着飾っている姿を。


 淡いブルーのバッスル・ドレスには、高級で繊細なレースとフリルがたくさん施され。

 肩のあたりで切り揃えられた栗色の髪を持つ頭には、花飾りとリボンのついた可愛らしい帽子が乗り。

 手には絹とレースでできた真っ白で優雅な手袋がはめられて。

 首には最上級の真珠のネックレスがかけられ、耳にも同じく輝く真珠のイヤリングがつけられ。

 化粧など一度もしたことのない唇には、薔薇色ばらいろの口紅が塗られ。

 いともうるわしい香りの香水を付けられている。


 ***


「わぁ、何って可愛らしいお方なんでしょうか。誰でしょう、この人」


 鏡の前で、ルネはその姿にため息をつく。

 自分で自分を褒めているわけではなく、まるで他人のようにしか見えない。鏡に映った可愛らしい少女が、自分だとはまったく信じられなかった。


「そなた自身だ。ふっ、そなたが自己愛者ナルシストだとは思っていなかった」


 後ろから冷たい声がかかる。振り向くと、華麗で傲岸そうな美しい男性がくすくすと肩を震わせ、奥のソファに優雅に足を投げ出して座っていた。

 彼はラスカリス大公。通称「氷の殿下」。ここ最近、ルネを振り回してばかりの人だ。


「見事に化けるではないか」

「化けてはしまいましたが、その言い方は不愉快ですッ!」


 ルネは振り向いて頬をふくらませた。

 がこの場にいれば、「可愛いーッ♡」と絶叫して気絶するほど鼻血を出しただろう、と思いながら。

 愉快そうに高笑いして、大公はソファから立ち上がり、ルネのそばにぴったりくっつき、つややかな低音でささやく。


「数時間前とはまるで違うではないか。まさに馬子まごにも衣装」

「馬子にも衣装、っておっしゃりよう、やめていただけます……?」

「令嬢にする物言いではないな、確かに。はらへり魔女になら大丈夫だろうが」

「帝国魔術師に対する物言いでもないと思います!」

「はらへり魔女。手を出せ」


 ラスカリス大公はルネの手をとる。彼はルネが高貴な貴婦人であるかのように、その手の甲にくちづける。

 ぎゅっ、と震えながら目をつぶる。こういうことに慣れていない。

 大公が吹き出した。


「手の甲に挨拶されるのは嫌いか?」

「嫌いというか、慣れてないんです。あと殿下を歌劇に出てくる極悪な悪役だと思っているので……。女性をもてあそんで殺しても良心に一切傷がつかないんじゃないかと」

「……このはらへり魔女が。舞踏会の一つも出たことがないのか?」

「ありません。小さい頃から魔力が変だったから、聖女を仰せつかっているリュディ叔母さまのいらっしゃるお御堂みどうで育ってい——」

「リュディ叔母さま……、あのひとのことをそう言っていいのはお前だけだな。……で?」

「育っていて、あとは魔術師の試験を受けるので忙しかったし、社交や何やらの知識は頭には入っていますが、実戦となるとどうにも」

「ふうん。あのひとのもとで。ふうん」


 大公のつややかな声が奇妙にトゲトゲしくなっている。


 言葉に出してしまうと、貴族の暮らしとは無縁な育ち方をしてきたな、とルネは大きくため息をついた。こめかみを抑える。


「やはり、こんな格好できません……。無理です。こんな派手すぎる格好」


 一瞬だけ、こういう格好をして日々社交をこなす姉たちを侮辱したなと反省する。


「無理と申してもな。魔女らしく黒いフードで夜会に出るか?」

「うう、それでもいいかも……」

「このかっこうが本当にイヤなのか? さすがはらへり魔女」

「イヤというより、恥ずかしいんです……、こんな華やかなの。耐えられません……」

「イヤではないのか。まぁ、私の知る大抵の女は、私が着飾らせると大喜びするものだ。そなたも喜んでくれて何より。ただ、残念ながら子供を相手にする趣味は私にはなくてな」

「喜んではいないです」


 このラスカリス大公はモテる。おモテ遊ばす。


 幼い甥皇帝の摂政として、隙のない聡明怜悧さにより確実に帝国を差配している。ラスカリス大公独裁などと影で危険視されるほどの実力者。

 それでお腹ポンポコリンでツルッパゲであれば愛嬌があるものの、そうではない。


 絶世とも讃えられるほど容姿端麗。

 すらりとした体つき、白金の輝く巻き髪、左右対称の顔立ち、アーモンド型の二重の涼しげな目、サファイア・ブルーの瞳、すっと通った鼻、すべてが完璧で究極だった。こんなに華麗な美しいひとは、ルネの人生で二度とお目にかかれないだろう。

 だが、氷でできた彫像よりも冷たい無表情を通し、ついでに傲岸そうではある。


 世の女子はこういう貴公子にグッとくるものらしい。取っ替え引っ替えされている。


 世事せじうといルネでさえ耳にしたことがある。淑女たちの声を。


 ——あの子、氷の殿下の御心を溶かしたと思ったのに……。捨てられてしまったのですって。

 ——ああ、氷の殿下の御心を手にしたいものだわ。

 ——あの殿下の氷のような表情を溶かして愛される女性は、どれほど幸せなことでしょう。


 けれど何故か、大公は魔術師のルネなんぞに目をつけた。

 一夜の遊び相手ではない。

 氷の殿下と呼ばれるひとは、ルネの左手の薬指に、指輪をはめてきた。ダイアモンドの光り輝く指輪を。


「さて、ルネ・スキュリツェス侯爵令嬢。数日前からお話ししていたが、私と結婚して頂きたい」


 侯爵令嬢、と言われるのはだろう。


「……うう、少しだけお待ちを……」

「もう待てない」


 逡巡しゅんじゅんしていると、大公がルネを抱擁ほうようしてきた。押し返すこともできず、そのしっかりした腕と分厚い胸のなかにすっぽり包まれる。耳元でまた囁かれた。


「もう待てない」


 大公が指を鳴らす。すると部屋の扉が開き、侍従がワゴンを引いてきた。


「侯爵令嬢、どうぞ」


 侍従はワゴンの上の銀の大蓋クローシュを開ける。


 ルネはその蓋の中身を見ようと、「……あっ、あ……」とあえぎながら、大公の腕の中でもだえた。


 腕のなかから解放されたのでワゴンの上を見ると、深皿に大きなバニラスフレが乗っていた。ほどよく膨らんだ黄色い生地は、触れれば溶けてしまいそうな柔らかさ。ところどころ焼き目があってそれもまた良いだろう。一番最高なのは、上に粉砂糖がかかっていること。


「……スフレ!」


 彼女は頬を真っ赤に染めた。


「そなたが結婚を承諾し終えたら味見して欲しい。作ってみた」


 大公はルネを見下ろし、まるで恋人のような優しげな笑みを浮かべた。


「わーっ、すごーい!! 遠慮なく頂きます! このルネ・スキュリツェス、ふつつか者ですが、よろしくお願いしま……ぁあ!?」


 うっかり胃袋がルネの脳内を操り、返答を返してしまった。

 大公は下品にも派手に吹き出し、むせこんだ。

 侍従が目をぱちくりさせている。氷の殿下が吹き出すなど珍しいと思っているのだろう。彼は目を皿のように見開いたまま、機械仕掛けの人形のようにその場から去った。


 ——なんって自分はバカなんだろう。


 そう思いながらルネはソファに座り、ソファテーブルに置かれたスフレを口にした。大公はソファから離れた、チェスの盤の置いてある小テーブルに移動し、椅子を引いて座った。駒をいじりながら、あきれかえるように小さく肩をすくめる。


「こちらへ来て召し上がらないんですか? 五つもスフレがありますけど」

「はらへり魔女から獲物を奪う命知らずがどこにいる。そなたが、ひとつだけじゃ物足りないですぅ〜、というだろうから嫌がらせでたくさん作ったのに、何も効いていないとは。あのひとの姪でなければ大食い罪という罪を作って投獄しているものを」


 なら遠慮なくいただきます、とルネは五つちゃんとペロリと食べた。

 食後、胸の前で祈るように両手を組み、「おいしゅうございました」と微笑む。

 大公が「左様か」とチェスの駒を動かしながら、無表情でルネを見た。


「さて、今日の夜会は私とそなたの婚約のお披露目会だ」

「はい、……そうですね」


 ラスカリス大公は少女であるルネに、為政者の威厳ある顔をして命じた。


「……貴下きかに一時的にラスカリス大公妃の位を与えるにあたり、些細ささいな疑惑さえもあってはならない。スフレ並みにあまあまラブラブを演じるぞ。

「はい」


 ルネ・スキュリツェス卿。そう言われた彼女は今までの生き生きした少女めいた顔から、無機質な人形のような顔になり、うなずいた。


「かしこまりました、殿下」


 しかし、まさに帝国神聖騎士といった表情のルネの頭の中は、「あまあまラブラブってなんだろうなぁ〜」、という疑問で頭がいっぱいだった。

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