第9話 おなかいっぱい
スマホを渡されたあの日曜日から週に一回、私たちは話し合いの時間を持ってきた。
週末のたびに傷つき心で血を流しながら、その間に私は幾つかの約束と条件を提示して夫は少しづつ応えようとしている。
苦しい時間は日曜日の夜と決めて、平日の朝は夫を起こし夕方に帰宅を迎え、一緒に静かに軽い夕食を摂る。生活を変えなかったのは、海外暮らしで居を移すことが現実的でなく、私自身が誰にも相談することができず心身共に不健全な状態にあったためだ。
苦しみの元凶だけが話し相手というのは皮肉だが、痛みを忘れたくない私には合っていたかもしれない。日本へ帰る先がないのだから。
月曜日、夫は肩を落とし浮かない顔で帰宅した。仕事で何かあったか具合が悪いのかと訊けば、私を失うことが辛過ぎる、そんな人生には耐えられないと、猫たちが逃げ出すほどの大音量で咽び泣いた。
漸くそんな言葉が出たか。一回目から、離れたいと伝えているのに。
そういう人なのだ。何かの問題や局面や調整に取り組んでいるときに驚くべき集中力を発揮して周りの一切が見えなくなる。だから事件のとき寄り添われなくともいま自分の仕事への影響ばかりを考えているのだろうと解釈してしまったのだ。
泣いてすっきりしたのか目下は、Jのことをどう続けていくか、にCPUが取られている。
話し合いを始めた直後にも夫が50万円を送金したことを私は知っている。その翌週には新しいアプリでまた繋がったことも、私には数日前に向こうから連絡がきたんだと言いながら、ほんの二時間前買いもの中に夫がメッセージを送っていたことも会話がずっと継続していることもまた写真を送らせていることも把握している。Jと家族を呼び寄せるためのレターを大使館に送ったり、職を探してやったり、保険を買ってやったりと、ご苦労なことである。
もうだめだ、力を振り絞ってもこれ以上は飲み込めない。おなかがいっぱい。
出会って以来、一番の飲み友だち、並んで用意をし一緒に過ごす食事の時間は楽しかった。新しい味を知り、それを語り合う幸せを知った。この時間に支えられて私たちは違いを乗り越えていけるのだと思っていたけれど、女が働く店を夫が初めて訪れた150日前から、私たちが共に過ごした時間はなかったのだ。
二人の平和な食卓は、もう片付けよう。
ごちそうさまでした。
消えた私の150日 BUDDY @BuddyPittySophie
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