死なずにいたら知れたこと
それからはお互いの趣味とか他愛もない話をしたり、知り合いが結婚したりした話なんかをした。下世話な話もしたし、まるで高校の頃に戻ったみたいだった。
そのまま居酒屋を出て、ラーメン屋に入って、たらふく食った。
ユタカのオススメだったが美味かった。
酔い覚ましに全員で外に出る。
秋の夜風は冷たさを増して、指先が冷える。
そのまま煙草に火をつけて吸い込めば、穏やかな気持ちが広がる。
ユタカは煙草をやめたらしく、ケイゴも律儀に付き合ってくれている。
ずっと喋ってばかりだったし、全員が何も言わずに夜に浸っていた。
夜空を見上げる。
雲はありながらも、その隙間からは星々が覗く。
久しく夜空を見ていなかったなとぼんやりと思う。
東京でも夜空はあるし、星も見える場所がある。
でも、今見上げている星空は一段と綺麗に見えた。
普段はイヤホンをつけて外の音を遮っているのに、今ばかりはそんなことしたくなかった。完全な静寂じゃないけれど、煩わしくない。仄かな酔いと見上げる空はこんなにも良いものだったか。
「……今日、ありがとな」
しんみりとした気持ちになって、感謝を伝えたくなった。
「ん。楽しかったし」
「んだね、またやっぺ」
「そうだな」
誰も茶化す奴はいなかった。
時間がどれだけ経とうとも、変わらないものがあった。
冥王星が太陽系の一つから外れたように、変化は少なからずあるだろう。
でも、大きく変わることはそうそうない。
星空は星空のままだし、こいつらはこいつらのままだ。
当たり前のことにこんなにも感じ入る日が来るとは思わなかった。
失わなければその大切さに気付かない。
その言葉の意味を身に染みて理解しているつもりだ。
だからこそ、こいつらとこれからも一緒にいたいと思う。
きっと、あの時死んでいたらこんなことさえ分からなかったはずだ。
どうしようもない出来損ないだけど、それでも死ななくて本当に良かった。
きっと、これからも鬱に苦しむだろう。
死んだ方がマシだと思う日もあるだろう。世間的にはダメな奴だろう。
でも、死ななかったから、今こうして多くのことを感じていられる。
死ななかったから、まだ多くのことを知れる。
死ななかったから、またやり直せる。
死ななかったから、こうして笑える。
死ななかったから──。
「よし、帰るべ」ユタカの声。
「時間も結構いい感じだしな」ケイゴが続く。
「ん。待たせて悪いな」
三人揃って車に乗り込んだ。
そのまま言葉少なに、俺の家の前に辿り着く。
「んじゃ、ありがとな、ケイゴ」
助手席の窓から挨拶をする。
「あの約束忘れんなよ」
「んだ、俺たちへの奢りな」
「ったくわーってるよ、好きなもん食わせたる」
「よし、そんじゃ次は焼肉ってことで」
「良いところ行くべ」
「はいはい、手加減頼むぞ」
それじゃあ、と互いに挨拶をして別れる。
走り去る車を見えなくなるまで見送って、家の中に入る。
時刻は1時過ぎだから、音を立てないように静かに動く。
今日の時間は人に誇れるほどのものじゃない。
けれど、どれほど高級な場所であっても味わえない最高のものだ。
世界中を探したって、他にはない。
障子戸を開けて部屋のベッドに潜る。
心地よくて、そのまま安らかに眠れそうだった。
明日が怖くないのはいつぶりだったか。
わからないけど、そんなことはどうでもよかった。
今はこの幸せな気持ちのまま眠りたかった。
何度か深呼吸して、そのまま沈む意識を手放した。
翌日、母親の声で目が覚めた。
「テツ、おはよ」
「……ん、おはよ」
時計を見れば、6時半だった。
「朝ごはん準備すっけど食べっか?」
「ん」
「どっちや」
「食べる……準備する……」
「ほだか、んじゃ起きて」
寝ぼけた頭のまま、のそのそと部屋の目の前にある台所へ辿り着く。
「朝ごはん何にする?」
「……卵焼き、しょっぱいの」
「んじゃタマゴ取ってきて割って」
「……ん」
少しずつ目覚めがやってくる。
「昨日楽しかったが?」
フライパンやらを準備しながら母親が聞いてくる。
「ん、楽しかった」
「何話したんや」
「色々……。あ、あと一つ言わんなね事あった」
「ん?」
あいつらと話をして、前に進まなければと思ったから。
お前らのお陰だって、ちゃんと伝えたいから。
「バイトしっちぇがら兄貴さ聞いてみてけんにが?」
冷蔵庫を開けて、内心ちょっとドキドキしながら話してみる。
「自分で聞かんにんが?」
……まあ、答えは知っていたけど。
けれど、もうちょっとだけ勇気を出して。
「聞きづれえ、ちゃんと真っ直ぐ生ぎった人だし」
兄貴が苦手だって口にしたことはなかったけれど、それでもそれが一歩だろうから。冷蔵庫を閉じながら、抱え込んだ後ろめたさも少しだけ吐き出して。
「ふーん、わがった」
返事は案外に軽かった。
「よろしく……」
気が抜ける俺とは反対に、しっかり言えと言わんばかりにわざとらしく。
「……はあ? なんて?」
耳に手を当てながら。
それが我が家のいつものやり取りで。
「……よろしくお願いしますぅ」
ちょっとばかり声を張って返すのも昔からで。
卵をもって隣に並ぶ。
「はいはい。んじゃ」
「ん。ちょっと待ってけろな」
そして、朝は始まっていく。
なんでもない朝が、でもちょっとだけ色づいた朝が、生きてなきゃわからなかった毎日が、少しずつ始まっていく。
死なずにいたら知れたこと 星野 驟雨 @Tetsu
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