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 その婦人はコルネリアを見て、信じられないと言った顔をしていたが、やがて、おずおずとした足取りで近づいてきた。視界の端に婦人の姿が映ったか、コルネリアが振り向いて、礼をとった。


 あれがオルド夫人であれば、伯爵夫人となったコルネリアのほうから話しかけても良いだろう。だが、コルネリアは年長者への礼儀を重んじたか、自分からは口を開かない。相手がだれだかわからないのは困る。フェリクスは妻の代わりに一歩前に出て、婦人に声をかけた。


「初めてお目にかかります。私はフェリクス・アウレリウスと申します。こちらは妻のコルネリアです」


 にこりと笑って、胸に手を当て、型通りの挨拶を述べる。婦人はすぐに自分も名乗りかえした。

 

「アガタ・オルドでございます。……お久しぶりね、コルネリア。元気な顔が見られてうれしいわ」

「アガタおばさまも、ご健勝で何よりですわ。両親の葬儀では、せっかくいらしていただいたのに、ご挨拶もできず、失礼をいたしました」

「とんでもない! わたしのほうこそ、会いに行けずにごめんなさいね。そのうえ、結局、何の力にもなれなくて。天国のカタリナに顔向けできないわね」


 他人の耳目を気にして詳細を濁しながらの会話だが、コルネリアとオルド夫人のあいだではこれで通じるようだった。


 会話にいささか取り残されたフェリクスは、軽く咳払いをして、会場内にいくつか設けられた休憩用の丸テーブルへと、ふたりをいざなった。


「私は外したほうがいいかい? 積もる話もあるだろう。ひとを探して、軽食や飲み物を持ってこさせよう」


 気を利かせて席を離れる素振りを見せると、コルネリアは小さく首を振り、行こうとするフェリクスの袖を掴んだ。知人がいっしょにいるとは言え、パートナーの自分がいなくなると、やはり心細いのだろう。この反応を狙っていたものの、我ながら小狡い手を使ったと思う。


 フェリクスは堂々と話を聞く権利を得て、ふたりと同じテーブルに着いた。コルネリアはまず、オルド夫人を安心させるように微笑んだ。


「いろいろと、ご心配をおかけしたことと思いますが、いまはドミティウス伯爵に娶っていただきまして、幸せに過ごしております」


 報告が遅れて申し訳ないと告げるコルネリアに鷹揚に否定を返しながらも、オルド夫人は鋭くこちらを見た。


「披露宴は、いつのご予定でございますの? ご結婚されたのはしばらく前に見えますけれど、お披露目が遅くはないかしら。閣下は、コルネリアを日陰者にする気ですの?」


 いきなりとんでもない流れ矢が飛んできた。フェリクスは両のてのひらを見せて弁明を試みる。


「──現ワレリア男爵一家のことを知るのに、少々時間がかかってしまいまして」

「コルネリアに直接聞けばよろしいでしょうに」

「話したいことや話すべきことは、必ず私に教えてくれるはずです。けれども、妻が敢えて口にしたくないことならば、私が自分で調べるしかない」


 腹を割ったフェリクスの発言に、コルネリアが目を大きく見開く。オルド夫人はフェリクスを見て、コルネリアを見た。


「あんな連中、調べるだけ時間の無駄ですよ。カタリナやカイウス様の葬儀のあいだも、弔いよりも、如何いかにして兄一家から爵位や財産を奪い取るかを考えていたに違いないわ。わたしも他の友人たちも、何度もコルネリアに会おうとしましたし、正当な遺言書を探すようにと訴えたけれど、そのたびに追い返されてしまったの。あのとき、だれかひとりでもあなたに会えて、彼らから保護することができていたら、ワレリア男爵位もあの屋敷も、コルネリアのもとにあったでしょうね」

「──そういう事情だったのですか」

「ええ。貴族として育った娘がいるのに、わざわざ家を出た弟に財産を相続させる必要など、ありはしませんでしょう? わたしも夫も、訃報を聞いたとき、『直ちに駆けつけて、コルネリアを後見してやらなければ』と思いました。カタリナから、常々、ご親族の状況について聞いていましたから」


 これまで黙っていたコルネリアだが、オルド夫人のことばを聞いて、やわらかな表情を保ったまま、口を開いた。


「わたくしは、アガタおばさまや皆様が気にかけてくださっていたことを存じております。建国記念日の夜会では、ディアナをたしなめてくださったかたがいるとも聞き及んでおります。わたくしは、そうした出来事を伺うだけで胸がいっぱいになりました。いまは、こうして幸せに過ごしておりますし、バロー家のことが表沙汰になることは望みません。両親の名に瑕をつけたくないのです。できましたら、叔父たちのことはそのまま胸に留めていただければと存じます」


 淡々とした口ぶりだった。だが少し、怒りが含まれているようにも思えた。その怒りは、自分が蔑ろにされてきた過去に対してというよりは、コルネリア自身が必死に隠してきた恥辱を人前に露わにされたことに対する──つまり、口の軽いオルド夫人に対するもののように、フェリクスには感じられた。


 コルネリアは、叔父一家の横暴を野放しにするしかなかった己の無力をも恥じているのかもしれない。これがもし自分だったら、愛する妻にこのような過去を知られたいと思っただろうか。


「──悪かった、勝手に探るような真似をして」

「いいえ、フェリクスさまが婚家について知りたいとお考えになるのは、当然のことです。婚家の風評は、ご自身の事業にも、いずれ影響してしまうかもしれませんもの。わたくしがわがままでございました」

「そのように言われては、逃げ場が無くなってしまうな」


 苦笑して、フェリクスはオルド夫人に向き直った。


「後日、結婚披露の場は必ず設けるつもりです。そのときには、ご招待してよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんです。喜んで伺いますわ」


 請けあったオルド夫人は、先程のことばに秘められていたコルネリアの怒りには、とんと気づかなかったらしい。にこにこと席を立ち、用は済んだとばかりに他の者のもとへ向かっていく。幸せなことだと呆れながら、フェリクスは妻の手を取る。


 やっと荒れの治まってきた小さく華奢な手。このひとに酷い扱いをした現ワレリア男爵一家については、もう聞くまい。ただひとつだけ、最後に知りたいことがあった。

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