20
マダムはハンカチをとりだすと、化粧を崩さぬよう、目頭と目尻を押さえた。
「私どもも、
「オルド家?」
「はい。前男爵夫人のご友人でいらっしゃいます。コルネリア様と同い年のお嬢様がいらして、お嬢様がたにそれぞれお好みの出る前の、三つごろまでは、よく、おふたりに共布でのお仕立てを承っておりました」
オルド夫人は、我が子のデビューのために織らせていた絹布やレースの一部を、コルネリアのために使うようにと、内密に仕立屋に届けたという。先に召されたのが自分だったなら、きっと友人はうちの娘にそのようにしてくれたでしょうから、と。
「仮縫いの場には、コルネリア様はおいでになりませんでした。日常にお召しになるものならば、別布での仮縫いまではいたしません。しかし、夜会のドレスは仮縫いでの調整なしには美しく仕上がりません。オルド家の奥様からいただいた布類をご確認いただく必要もございましたから、コルネリア様にもおいでいただきたいと申しました。そうしましたら、お持ちした布やレースを見たディアナ様が気に入ったとおっしゃって、『こんな綺麗なの、コルネリアのドレスにはもったいないわ、あたしのほうが似合うから、あたしが着てあげる』と」
「そのような理由で、白いドレスをコルネリアから取り上げたのか!」
「ええ! 私も、コルネリア様のために頑張っていた針子たちももう、悔しくて悔しくて……!」
敬語も忘れてフェリクスに同調するように言い、マダムはもはや化粧も気にせずに顔を拭った。平民の仕立屋には、男爵令嬢に物申すことなどできない。言いなりになるほかなかったし、貴族に対する不平など、口にできる場もこれまでなかっただろう。そのうえ、自分たちがコルネリアを傷つける行為の片棒を担がされたのだ、怒りのやり場に困っただろうことは、想像にかたくなかった。
コルネリアが実の叔父一家から酷い目に遭っていたことを苦々しく思いながらも、フェリクスは泣き続けるマダムに同情し、彼女の気持ちが少しでも楽になればと、自分たち夫婦の馴れ初めを語ってきかせてやった。
デビュタントの白いドレスではなく、付き添いのドレスが結んだ縁に、マダムは涙の残る顔で、ぽつりと言った。
「お代は結構でございますから、私どもからご結婚祝いのドレスを贈らせていただけないでしょうか?」
その申し出に微笑んで、フェリクスは頷いた。
「気持ちだけ、ありがたくいただこう。金に糸目はつけないから、コルネリア好みの、彼女にとびきり似合うものを頼みたい」
「謹んでお受けいたします」
マダムは感謝を表して席を立ち、深々と頭を下げた。
オルド夫人に会うには、少々骨が折れた。
男のフェリクスが、会ったこともない貴族の夫人に手紙を出すには、知人から紹介してもらうほかない。それならば、どこかで偶然を装って出会うほうが幾分か楽だった。
まず、オルド家の属する政治派閥を特定し、同じ派閥の家を調べ、知人をどんどんと辿って派閥に近づいた。そのあいだに何度か紳士同士の集まりに足を運び、親交を深める。そうして、ようやく辿り着いた場に、フェリクスはコルネリアを伴って出かけて行った。
「今日はご縁があって、内々の集まりに呼んでいただいたのだよ。私も知人は少ない場だし、あなたには不自由をさせるかもしれない」
「構いませんわ。フェリクス様と出かけられることより嬉しいことはありませんもの」
にこにこと、上機嫌なようすでコルネリアは応え、フェリクスの腕を取る。正式な結婚披露もせぬまま人前に連れ出すのは、いささか気が咎めたが、披露宴を行うにしても、バロー家と保つべき距離感をきちんと確かめてからにしたかった。
今日の主役は、庭園の花々だ。とりわけ、四季咲きの薔薇はうつくしい。この花を愛でながらの立食形式の茶会である。
コルネリアは尖った花弁にそっと指先で触れ、興味深そうにする。
「ひと枝に一輪だけ咲くのですね。剪定してあるのかしら」
「
脇から自然に解説をしてくれたのは、今日の主催の夫人だ。手ずから薔薇を育てるだけあって、日焼けも厭わないようで、色白を好む貴婦人がたの中にあってはめずらしくは健康的な肌色をしている。
コルネリアは説明にうなずき、花弁を指さす。
「大きめの花は迫力がありますね。わたくしの知る薔薇は一重咲きの小さなものでしたが、このように八重咲きで花びらのかたちが異なるものもあるとは、薔薇はほんとうに奥深い花でございますね」
「そうなの! 香りも多種多様で面白いのよ? 最近ようやく、花の大きさだけでなく、様々に品種改良がされるようになったの。あなたは、まだ花形をあまりご覧になったことがないのね。でしたら、あちらのほうには波状の花弁のものがありますし、そちらにはまっすぐな花弁の八重もありますわ」
教えられたコルネリアは、パッと顔を輝かせ、行ってもいいかと乞うようにフェリクスを見上げる。その初々しい夫婦のやりとりに微笑んで、夫人は改めてコルネリアに呼びかけた。
「ドミティウス伯爵夫人は薔薇にご興味がおあり? もし、お好きな花がございましたら、一株お分けしますわ。きっと、お庭の賑わいになるでしょう」
「まぁ……っ! ぜひ!」
手を合わせて喜ぶコルネリアを、まるで娘でも見るように見つめ、夫人は他の招待客のもてなしに歩いていく。しかし、茶会の主人にいたく気に入られたことは周囲に知れたらしい。代わりに幾組かの客が近寄ってくる。
彼らを捌きながら、目当てのオルド夫人を探すため、彼女を直接知る人物に接触を試みようと、フェリクスはさりげなく視線を会場内にめぐらせる。
──と、見知らぬ婦人が、じっとこちらを見ていることに気がついた。
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