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 それもそのはず、伯爵家側はあくまでもディアナが嫁いでくると思っているはずだ。先手を打つように、コルネリアは膝を軽く折った。


「コルネリア・センプロニウス=バローと申します。前ワレリア男爵の息女にして、現男爵の姪にあたります」


 動揺が顔に出ていたのは、数秒のことだった。しかし、グイドはここで立ち話する内容ではないと判断したらしく、ひとまずは礼儀正しく胸に手を当て、頭を下げた。


「──ようこそおいでくださいました、奥様。本来は、閣下自らお出迎えの予定でございましたが、急を要する事態が起きたため、ご不在にしていらっしゃいます」

「わかりました。では、部屋に案内してくださる?」


 屋敷のなかは、外観とは違って、異国情緒にあふれていた。絵画の代わりに壁に飾られたタペストリーや、生花の活けられた花瓶の模様やかたち、香水とも花ともつかないかぐわしい香気。コルネリアは自分こそが異邦人として他国を訪れたような気分で階段を上がった。


 通されたのは、主寝室の隣にある女主人の部屋だ。主寝室を挟んだ反対側には、伯爵の部屋があるのだろう。


 部屋の内装は、控えめながら女性らしさに溢れていた。異国のふんいきは少なく、当代の流行を追っている。白地に薄青の花模様が描かれた壁紙が貼られ、床には毛足の短い濃紺一色の絨毯が敷かれている。長椅子のクッション部分には白のカバーがかけられている。裾のレースは繊細で可愛らしい。家具はどれも曲線が多く、細身だった。円卓も椅子も濃い色合いの木製で、つやつやに磨かれている。主寝室に向かう扉のほかにも戸がある。あちらは衣裳部屋だろうか。


 入り口に立ち止まったまま、全体をぐるりと確かめて、コルネリアはグイドに微笑みかけた。


「すてきね。落ち着いた趣味が好ましいわ」

「閣下が奥様に合わせてお選びになりました」


 ディアナに合わせて? 彼女がこんな慎ましやかな部屋を喜ぶだろうか。疑問がわいたが、そこはふたりのやりとりを知らぬコルネリアの考えが及ぶ範囲ではない。早々に思考を放棄して、グイドを見返る。


「お仕えする主人のために、お聞きになりたいことがおありでしょう? 説明しますから、何なりとおっしゃって?」


 よもやコルネリアのほうから、このように申し出てくるとは思わなかったのか、伯爵家の執事は面食らったようすだったが、ややあって、口を開いた。


「奥様とディアナさまは面差しや印象が似ておいでですか?」


 てっきり、騙し討ちにしたことについて問い詰められるものと思っていたコルネリアは、グイドの最初の質問に拍子抜けして、かぶりを振った。


「いいえ、ディアナは華やかな顔立ちをしております。髪も、わたくしはこのとおり白金の直毛ですが、彼女はストロベリーブロンドの巻き毛ですから、印象はかなり異なるはずです」


 グイドは目を伏せ、少し悩んだあと、次の質問の内容を捻り出そうというのか、婚姻証明書の写しを舐めるように見た。


「……署名に公証人が立ち会ったということは、奥様の生年月日はこちらのとおりなのですね?」

「もちろんですわ」

「では、今年の建国記念日の夜会には、デビュタントとして参加されたのですね?」


 即答できなかった。これは、肯定すべき問いだ。16歳を迎えた貴族子女なのだから、常識的には今年がデビューだ。でも、デビュタントの衣裳をまとったのは自分ではなく、ディアナである。


 コルネリアは迷った。うなずけば嘘になり、否定すれば、重ねて理由を聞かれるだろう。ワレリア男爵家の恥を婚家にさらすことになる。


 ほんとうのことを明かして、なんと酷い親族かと同情されても、同時に血族の非常識さを知られてしまうことへの羞恥にはかなわない。

 

 返答がないことをどう捉えたのか、グイドはあっさりと質問をかえた。


「閣下と面識はおありですか?」

「──はい。先日、建国記念日の夜会の日に」


 この返事にグイドは見るからに安堵し、もう聞くべきことはないとばかりに礼を述べる。その彼に、コルネリアのほうも尋ねたいことがあった。


「急用とのことですが、閣下のお戻りは遅いかしら?」

「そうですね、現場確認に向かっただけなので、夕刻には戻られるのではないでしょうか」

「……現場?」


 耳慣れぬことばに聞き返すと、グイドは説明不足に気づいたようで、補足してくれる。


「地下水路が一部崩落したとの知らせが入りましたので、技術者を連れて向かわれたのです。日帰りできる距離ですし、対応策を立てたら、すぐに戻られますよ」


 いつものことなのだろう。グイドの口調に緊迫感はない。しかし、水路の管理までドミティウス伯爵の仕事だったとは知らなかった。建設の技術が異国のものなら、その維持補修も異国の技術者たちが担わなければならないということか。だから、この家の敷地内には、いまだに彼らのための集落が形成されているのだ。


 フェリクスに関わるたび、自分の考えの浅さに気付かされている。視野がひらける感覚は心地よい。でも、彼はコルネリアのような女性など、求めていない。


 今晩の彼との再会を思うと、胸にはディアナの勝ち誇った顔ばかりチラついた。この屋敷にうまく居場所を得られても、深く傷つくだろうことは想像に難くない。まして相手は、慕わしく思うフェリクスなのだから。


 従姉に求婚した男との初夜を迎える不安から目を背けて、コルネリアはひとり、部屋に残った。




 フェリクスは屋敷に戻る馬車のなかで、気を揉んでいた。窓の外は暗くなりはじめている。このまま走らせれば、夜には帰り着くだろうが、夕食には到底間に合わない。


 今晩は、が初めて伯爵家で過ごす夜だ。結婚披露を行わない自分たちにとっては、初夜はこの日をおいて無い。特別な夜だった。


 屋敷に新妻を迎え入れるためにと、王宮での仕事は前々から調整してあった。本来ならば、休みを取れるはずだったが、急な地下水路の崩落が起きたのだ。損傷箇所や程度を見極めるのは、技術者だけにまかせておけない。自分が状況を正確に把握できていなければ、彼らの見積もりの正しさも甘さも判断できないし、補修工事の金策のために官吏や大臣と交渉するにしても、知識の下地の有無で説得力が違ってくる。


 フェリクスは、水路について人任せにして手を抜くことだけはするなと、祖父や父から教えられて育った。我が家は水路で身を立てたのだから、そこをおざなりにしては、世間に顔向けできないと。


 今回向かった現地では、漏水防止と壁の強度を増すためにはめこんでいた素焼きの壁材が大規模に剥がれ落ちていた。水路をさらい、壊れた壁材を撤去するにも、新たな素焼きを用意するにも、それを設置するにも、多くの人手と費用が見込まれる。経常的に用意してある資材や予算では賄えないことは、ひと目で明らかだった。


 そこまでのことを自分の目で確かめ、職人たちと検討したあと、近隣の村に泊まると言う彼らを置いて、馬車に飛び乗った。本音では一刻も早く馬で駆け戻りたかったが、乗馬でフェリクスについて来られる従者がいなかった。じりじりしながら馬車に揺られ続け、屋敷に到着したのは、夜も深まったころだった。


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