09

「グイド! たまにはウチへ帰ったらどうなの?」

「忙しくてそんな暇はないんだよ」

「何言ってるんだか! お屋敷とウチは目と鼻の先じゃないの」


 水路建設のころに招かれてきたペレグリーニ人の技術者たちの家は、まとまって村を形成している。いまではその村も含めて、伯爵家の邸宅の敷地として大きく囲ってあり、立ち入るには門を通る必要がある。初めて屋敷を訪れる客はみな、見慣れない光景に驚く。なにしろ、ふつうは前庭のあるあたりに、ペレグリーニの伝統的な日干しレンガの家が建ち並んでいる。


 花壇や芝生、木立に混じって建つ家からは子どもたちが駆け出し、水汲みのかめを持った女性が現れ、炊事の煙がたちのぼる。風に洗濯物がひらめき、異国のスパイスが香り、二か国語の音律が耳を打つ。


 ウルードの家は、その「村」にある。息子であるグイドは、フェリクスにとって幼馴染だ。グイドの父は水路技術者で、妻のウルードとフェリクスの母が親しかったことから、グイドとは赤ん坊のころからの遊び相手だと聞いている。フェリクスが後継者教育を受けるころには、グイドはフェリクスの従者となることを決めていた。以来、公私問わず、よく助けられている。


 フェリクスにとっては、生まれたときからともにあるものが、多くの自国人の目には奇妙に映る。そのことを自覚するのに、長い時間など要らなかった。


 この国の貴族は、ペレグリーニを蛮族の国と評すことが多い。国王や、水路の経緯を知る者を除けば、偏見は根深い。肌の色が違えば、どうしても目立つ。自分や周囲と異質なものを自然に排除しようとするのは、生物に備わった防衛本能であって、しかたのないことだ。


 フェリクスは幼いころから思い知っていた。水路建設を支援した篤志家の祖父は、伯爵位を与えられる前にすでにペレグリーニ人の妻を得ていた。孫のフェリクスは、生まれたときからペレグリーニ人特有の褐色の肌をしているし、顔立ちも異国風だ。


 新興の貴族であることも、見た目に特徴があることも、ふだんから水路建設の技術者ら平民と多く関わることも、集団から弾き出されるにはじゅうぶんな理由らしかった。


 王宮に勤めを得て、国王の側に仕えるようになると、少ないながら理解者も増えたが、やっかみも増えた。そうなって、やっと気づいた。自分の評価は、自分が決めるものではないのだと。他人の考えなどこちらにはどうにもできないことなのだから、せいぜい好きに生きよう。


 ふだんから気に入っていた糸紐細工を夜会にまで身につけていったのは、あの建国記念日の夜が初めてのことだった。ウルードが編み上げた細工が気に入ったからだ。


 緑、黄、赤、薄青。草木や香辛料で染めた糸は、深みのあるやわらかな色をしている。細い糸を用いて平結びをいくつか組み合わせた髪紐は、実りを思わせた。水の貴重なペレグリーニで最も尊ばれるものだ。


「ウルードおばさん、先日のミクラマの糸は、まだありますか? もう一本同じものを作ってほしくて」

「そうですねえ、少し足りないけど、また染めればいいわよ。いつごろまでに欲しいの?」

「なるべく早く。贈り物にしたいんです」


 ウルードは、やや目を見開き、グイドを見やった。肩をすくめ、かぶりを振るグイドのようすで何を読み取ったか、彼女は楽しそうに胸を叩いてよこした。


「よし、おばちゃんに任せておいで! すぐに取り掛かりますからね!」


 請けあって、猛然と家に戻っていくウルードに面食らい、フェリクスはグイドを見る。グイドは呆れたようすで主人を見返した。


「いい歳して、おまえに女っがないから、みんな心配してるんだよ」

「──私には、アウレリウスの者として、水路とみなを守る義務がある。跡目は従兄弟のだれかに譲ってもいい。結婚にこだわる気はない」

「いいかげん、立ち直れよ。フェリクスを見た目で判断するような女なんか、はなからお呼びじゃないんだ」


 いくつかの古傷を指摘されて、わかっていると、軽く流す。脳裏に浮かぶのは、楽しそうに笑うの姿だ。


「……で、おまえがいま熱を上げてるのがどんな女なのか、俺もまだ聞いていないんだが?」


 若干、ねたようすで言うグイドに、フェリクスは屋敷に着くなり、あらかた白状させられたのだった。




 ウルードに頼んだ糸紐細工は、フェリクスのものとそっくりの出来だったが、それぞれの色味が少々違った。聞けば、自然の染料には個性が出るし、材料を煮出してから染め液をどのくらい置くかでも色合いが変わるらしい。今回、ウルードは早く作ることに主眼を置いたので、やや浅い色になったそうだ。


 隣に置いて見比べなければ気付かないほどの差だ。それに、黒髪の自分と、白金の髪のでは似合う色も違うはずだ。こちらのほうが、妖精のような彼女には合うかもしれない。


 贈り物をバロー家へ届けさせるまでも、フェリクスはかなりやきもきしたが、届けてからも返信がいつ届くか、よもや届かないのかと、そわそわした。


 けれど、名もわからなかったころのように、仕事に身が入らぬほどではなく、落ち着きを取り戻してきていた。そんなころだ。王宮内の事務室までの道のりで、自分の会議室での醜態が話題になっているのを耳にしたのは。


 普段ならうわさなど気にも留めないが、相手のいることに、さすがに決まりが悪くて、フェリクスは廊下の角から出ていけなくなった。立ち聞きしてしまえば、さらに動けなくなるだろうと思ったが、羞恥に足は動かなかった。

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