08
「……いえ、その、女神に会いまして」
「女神ぃ?」
「はい。結い上げた白金の髪が薄明かりに輝いて、月の精か女神のようで」
少し照れたようすで微笑みながら語るフェリクスに、信じられないものを見た顔で国王は目を
「女か! どこの令嬢だ? いつ出会った? 年は? 名は? 婚約者はいるのか?」
勢いに押されつつ、フェリクスはかぶりを振る。
「それが、名を聞く前に別れてしまって。建国記念日の夜会に出ていたバロー家のゆかりの令嬢だとはわかりますが、それだけでは」
「そこまでわかるなら、名もかんたんに調べられるではないか!」
側近が執務室の書架から紳士録を手渡す。開かれたページには、手書きで注釈がある。
「バロー家の息女はひとりだけだ。コルネリア。この生年なら、今年デビューか。──なんだ、フェリクス、おまえも案外めざといヤツだな。初々しいデビュタントに目をつけるだなんて」
にやついた国王に、フェリクスはしどろもどろに否定した。
「いっ、いえ、デビュタントではありません! 濃緑のドレス姿でしたし、バロー家のデビュタントに付き添って来たようでした」
「そうかそうか。……ただちに出席者一覧の写しを作れ。会議後にフェリクスに与えるから、急ぎでな」
後半を脇の側近に命じると、国王は満足げに指を組む。にんまりと笑って、顎を撫でるようすは、兄貴分とも年若い父親とも見えた。
「そうか、フェリクスにも春が来たか……。しかし、バロー家とは、なにやら聞き覚えがあるな?」
首を傾げる国王に、心得た風情で側近が耳打ちしてよこす。
「恐れながら、先日、前男爵の死去に伴い、新たにワレリア男爵位を与えた家柄かと。そちらの紳士録にも手書きで補記がなされております」
「ああ! あの家か!」
膝を打つ国王のようすに、フェリクスは
「前男爵と夫人が領地で狼に襲われて亡くなったのだ。前男爵の弟が家に戻り、爵位を継いだ」
「前男爵に
「
法的に問題はない。国王は爵位を継承する許可を与えただけで、家の事情には立ち入らない。執務室を後にしながら、フェリクスは考えに沈む。
──ひとり娘が男爵位を継がない理由とは、なんだ?
幼いならば、親族が一時的に爵位を預かることはあるかもしれないが、デビューできる年齢の令嬢だ。本人が拒んだか、適性が無いか。対外的には嫡子とされているが、実は血筋は庶子であるとか?
事務官の椅子に戻り、思い立って、隣の事務官に話しかける。
「バロー家の今年のデビュタントについて、何か知っているか?」
ふだんお堅い印象のフェリクスから投げかけられた女性がらみの問いに、事務官たちはにわかに
「ずいぶんと男好きのする容姿だと聞きましたよ。他の令嬢がやっかんで、嫌がらせしたほどだとか」
「へぇ、だれからの情報だ、そりゃ」
「カネパ家の三男です」
「あの面食いかー! あいつに狙われるなら、美人でしょうね!」
「世間知らずのデビュタントなんてきっと、美貌に群がる連中の手練手管に容易く引っかかってしまいますよ」
「競争率も高そうですけどね」
「デビュタントが気になるのか?」
同期の事務官に聞かれたフェリクスは、曖昧に微笑んだ。
「いや。一人娘が男爵位を継がなかったというから、どんな理由かと、興味がわいただけだ」
「ふぅん? じゃあ、話のついでにでも、知り合いに聞いておいてやるよ。フェリクスがぴっちぴちのデビュタントを気にしてたって言えば、喜んで話して……」
「やめろ! 気になってるのは、その付き添いのほうだ!」
うっかり大声で否定して、大臣たちまで振り向く。宣言してしまった内容に気づき、フェリクスは赤面し、あまりの羞恥に片手で顔を覆った。
周囲に散々にからかわれ、その後もどこか居心地の悪い会議が終わると、いつもどおり国王の退室を見送るため、席を立つ。みなの動きのなか、複数いる国王の側近のひとりが、すっ……とこちらに近づいてくる。何の用かと振り返ったフェリクスの手に、何も言わずに数枚の紙を手渡していく。
内容をざっと見て、思わず顔を上げたフェリクスに目配せをして、国王は楽しげに会議室を出ていく。大臣がたも部屋を出ていく。隣から、同僚がフェリクスの手元を覗き込み、首をかしげた。
「調査の頼まれごとか? 厄介そうだな」
表題もない貴族の氏名の羅列だ。そう見えてもしかたがない。だが、フェリクスにはこれが建国記念日の夜会の出席者一覧を写し取ったものだと、すぐにわかっていた。
全体を写してあるあたり、気を遣ってもらったらしい。バロー家のデビュタントと付き添いだけ抜き書きしてもらっても構わないが、そのほかの家の令嬢の可能性もないわけではない、ということだろう。
フェリクスは、同僚がそれぞれに職場に戻っていくのを横目に、立ったまま一覧を指でたどった。バロー家はさほど家格の高い家ではないらしい。男爵位のなかでも後ろのほうに家名を見つけた。
デビュタントの名は前男爵の令嬢コルネリア。付き添いは現男爵の令嬢ディアナ、とあった。
──なんというめぐり合わせか。彼女の名が
月の精と思ったのも、あながち間違いではなかったのか。ディアナ、と、口の中で何度も名を転がし、その響きのうつくしさにこころが高揚するのを感じた。
うわのそらで仕事を終え、屋敷に戻る途中で、馬車を止めさせる。あの夜会の日に身につけていた
──ディアナはミクラマをペレグリーニの品と知っていた。噴水の前でミクラマを身につけた私と出会ったことを喜んでいた。
出会いの記念に贈るのに、これ以上の品物はないように思われた。それに、もしディアナがあの日出会った当人でなければ、ミクラマのことなどわからないはずだ。
「ウルードおばさん!」
「おやまぁ、旦那さま。お帰りですか?」
呼びかけに振り返ったウルードは、馬車を降りたフェリクスのうしろに息子を見つけて、そちらにも声をかけた。
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