07

 糸紐細工ミクラマの髪紐だった。あの日見たものと同じ細工に思えたが、暗がりのこと。細部や色味まで同じかはわからなかった。


 紐を取り出した箱には、小さなメッセージカードがついている。つまみあげて開くと、流麗な文字で短く添え書きと署名があった。


『出会いの記念に

     フェリクス・アウレリウス』


 アウレリウスは、例のとく家の家名だ。めまいがした。ディアナに粉をかける年頃の男性が、同じ家から他に夜会に参加していた? いや、きっと、このフェリクスなる人物こそが、コルネリアと会話したあの青年そのひとだろう。


 いつのまにか理想化しすぎていたのか。てのひらにのせた髪紐をしげしげと見つめる。ディアナと彼とは、どんな話をしたのだろう。こうして贈るからには、相手がミクラマを喜んで受けとると思えるような会話を交わしたのだ。


 ──わたくしに贈ってくれたら、ディアナよりずっと喜んだのに。


 パリュールよりも、こちらのほうが好ましい。国内では需要のないペレグリーニの糸紐細工を、自分と揃いの意匠いしょうで作らせる。一週間あれば、糸から作れるかもしれない。完全にこのために用意された贈り物だろう。


「これ、ほんとうにもらっていいかしら」

「勝手にどうぞ。あたしは使わないもの」


 ディアナの返答を聞いて、髪紐を小箱に戻し、胸に抱く。


「このかたに、礼状を書いてもいい?」

「そんなに嬉しいの? じゃあ、ついでに、そっちのゴミのもお願い。ぜんぶ、あたしの名前でね!」


 あらたに押し付けられた仕事を嫌がりもせずにまとめて引き受ける。ゴミと示された贈り物の数々にこころが痛む。宝石は金にあかせただけの品だったけれど、このなかにはむしろ、真心のこもった品があるかもしれないのに。


 女中頭のもとへ行き、事情を説明して、仕事を振り替えてもらうと、コルネリアは屋根裏に引きこもり、ディアナへ届けられた品々や便箋びんせんを前に、久方ぶりの筆をとった。ひとつひとつの贈り物を確認し、ときには屋敷のどこかに飾られた花束を探しに降りた。


 フェリクスへの礼状を書くのは、最後と決めていた。それまでにこころの整理をつけるつもりだった。便箋を広げると、もう一度髪紐を取り出して、机上に置く。書きたいことは、筆先を通じて、紙に落ちていく。


『このたびはお心尽くしの品をお贈りいただきまして、ありがとうございます。ペレグリーニの糸紐細工は、先日初めて拝見いたしましたので、こうして手元で見られることに大変感激しております』


 つづりながら、コルネリアにしか書けないことをうっかりと書いてはならないと、自分をいましめる。これはディアナの署名をして送るのだ。他に宛てた礼状と大差がないように当たり障りない内容をと努めて、未練を断ち切る。


『建国記念日には、お陰様で快い時間を過ごせました。楽しさのあまり、時が矢のように過ぎ去り、少し名残惜しい心地さえいたしました。このたびいただいた品をよすがに、これからも折りに触れ、大切な思い出を胸に振り返りたく存じます』


 遠回しに、これで最後のやりとりにしようとしたためて、筆をおく。息をつくと、喪失感が押し寄せる。コルネリアは自分の気持ちを見ないふりをして、便箋をたたむと、他とまとめてディアナの侍女に託した。中をあらためられたあと、礼状はそれぞれのもとに届くだろう。


 ゴミと称された品の贈り主には、フェリクスに宛てたものと同様に、やんわりとした断りの文句を入れてある。彼らには、これ以上ディアナに関わって、無駄に神経をすり減らして欲しくなかったからだ。


 これで、終わり。そう思っていた。

 だが、数日後、コルネリアがディアナの部屋でお茶の支度をさせられているときのことだ。一通の書状が届いた。


 ふだんならば、ディアナ宛ての手紙は侍女が数通まとめて盆に載せて運ぶものだ。しかし、その日はなぜか、手紙は叔母が手にしていた。叔父までいっしょに顔を見せたことに驚いていると、叔母は部屋に入るなり、満面の笑みで叫んだ。


「すごいわ、ディアナ! デビューの夜会だけで、玉の輿を掴むだなんて! さすが、わたしの娘ね!」


 求婚者が現れたらしい。それも、格上の家からとなれば、叔母が浮かれるのもうなずける。求婚は親に打診するものだ。今日の手紙は叔父宛てに届いたのだろう。だから、夫婦揃ってやってきたのだ。


 ディアナの年齢詐称に付き合わされる相手をおもんぱかりつつ、茶の支度をどうすべきか迷っていると、会話から手紙の内容が漏れ聞こえてくる。


 求婚者の名を聞いて、コルネリアは胃の腑が冷える思いがした。


 ディアナに求婚したのは、あの糸紐細工の贈り主、フェリクスだったのだ。




 国王の執務室に程近い会議室では、各事業の進捗しんちょくを報告するための御前会議が行われていた。列席するのは諸大臣とその事務官のみの小規模なものだ。


 長机の短辺の席に国王が座り、両側の長辺を大臣が埋める。事務官は壁際に並べられた椅子に腰掛けている。


 定例の会議ゆえ、新規の話題は少ない。大臣がおのおの短く簡潔に状況を説明する。国王や他の大臣の質問や意見には、事務官が直答することも許されているし、事務官を名指しで回答を求めることさえある。他には聞かせられないざっくばらんな意見も出るような場だ。


「次は、ノール炭鉱から王都までの馬車鉄道の敷設ふせつに関して」


 議長を買ってでた国王の目配せを受けて、大臣が話しはじめる。


「現状、鉄道の敷設に適した用地の選別と買収とを並行して行っております。選別は八割、買収は六割が完了しており、いまのところ、計画軌道に変更はございません。年内には用地取得を終え、着工できる見込みです」


 国王は頷き、全体を見渡した。


「これについて、外交筋より興味深い話を耳にした。隣国では、蒸気機関を積んだ車を開発していて、すでに試験走行に至っているそうだ。蒸気機関を動力に用いれば、運河や馬車によるよりも大量の荷を一度に運べる可能性があるらしい」


 会議室に感嘆の声が響き、挙手や指名によらない発言が飛び交った。


「蒸気機関って、最新式の製糸工場にあるという機械だろう?」

「確か、フェリクスが経営している工場になかったか?」


 列席者の声を拾い、国王が大臣を飛び越えて、事務官のひとり、フェリクスに声をかけた。


「フェリクス、そなた、蒸気機関の技師を貸してくれないか。一度、我々も仕組みを学んでおいたほうがよさそうだ。他の事業にも転用できるやもしれん。併せて、蒸気機関車の技術者を招聘するか、こちらの学生を留学させるために、隣国へ使者を立てようかと思う」

「……はい」


 生返事としか言いようのない返答に、周囲の目が集まる。だが、当のフェリクスは、こころここにあらずといった顔である。見かねた隣席の者が肘で小突いたおかげで、我にかえったのか、視線に気づいてガバッと頭を下げる。


 謝罪を口にしようとするのさえぎって、国王は笑いながら声を張った。


「……よし! 長引いてきたことだし、案件も半分は片付いた。ここで一旦、休憩を取ろう」


 侍従によって会議室の扉が開かれ、大臣に茶や菓子が振る舞われるなか、国王はフェリクスを手招きし、執務室に場所を移した。


 長椅子に向かいあって腰掛け、気兼ねなく話せる状況を作ってから、国王は身を乗り出し、友人にでも問うように声をかけた。


「どうしたんだ、フェリクス。おまえらしくもない」


 たずねられたフェリクスは言い淀み、目をさまよわせた。




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