06

「足をくじいただなんて、心配ね。せっかくのデビューの宴だけれど、早めに失礼して、医師に診てもらいましょうね」


 おとなしい令嬢を装うディアナの演技に乗っかってコルネリアが言うと、うつむいて泣き真似をしていたディアナの頬がピクリと引きった。そこへ有無を言わさずたたみかけるように、控えていた侍従に声をかけ、馬車を呼んでもらう。


 名残惜しそうにするご令息がたと語らう従姉の姿を目の端に捉えながら、コルネリアはコルネリアで、先程よくしてもらった男性と結局名乗りあえなかったことを残念に感じた。


 馬車の用意ができ、長椅子から立ち上がるディアナに手を貸すと、ヒールで踏みにじるように無防備な足の甲を踏まれた。ドレスの裾に隠れて行われた行為に、気づくひとはいない。入れ替わりでデビューしたことも、いまのことにしても、騒げば、父母が築き上げたバロー家の誇りにきずをつけることになる。コルネリアは黙って痛みに耐え抜いた。


「二歳くらいごまかしたところで、たいしたことじゃないのに。たった二歳の若さと、この美貌とを天秤にかけられるとでも思うのかしら」


 馬車の戸が閉まるなりの発言に、コルネリアは静かに反論する。


「デビューは婚姻可能になったことのお披露目ですもの。結婚は家同士の契約よ。婚姻証明書に書かれた生年月日がこれまでの説明と二年違えば、それだけで立派な契約違反だわ」


 諭されたところで、ディアナには響かないようだった。小馬鹿にした調子で、うつくしくないって大変ねと笑うので、コルネリアは淡々と、女性の年齢が二年違うことで相手の家が被るかもしれない「損害」について数え上げる。


「貴族の結婚は、子を産むことが第一義なの。女性側の結婚が二年遅れれば、産める子の人数が違ってくるのよ。それに、年齢なんて基礎的な条項に嘘がわかれば、そのほかだって疑われる。この嘘つき女の腹から生まれるのは、ほんとうに我が家門の血を引く子なのか、とね」


 美貌なんて、二の次、三の次だ。あれば喜ばれるが、無ければ無いで、よほど醜い場合を除き、気にも留められないだろう。そもそも、庶民よりも裕福な貴族が、体裁を保てる程度に身なりに気をつけているのだ。多くの女性は、多少なりとも見られるようになる。


 そんなことに構うよりは家政に関する知識を身につけているほうが尊ばれるし、教養があれば、社交に役立つ。コルネリアは母にそう叩き込まれてきたし、その意見には父も賛同していた。


 ディアナはなおも聞く耳も持たずに不満げに何か言っていたが、コルネリアは聞き流して屋敷に戻った。


 屋根裏に戻る前に、ドレスからお仕着せに着替える。髪を解き、化粧を落とすと、魔法はあっさりと消え去る。けれど、記憶は失われない。


 身支度のためにと、めずらしく湯と灯りを与えられていた。湯を使ったあとで、その火が尽きる前にと、急いで屋根裏に上がる。蔵書を一冊手に取ってページをめくると、おぼろげだった知識が鮮明になっていく。


 水路建設の詳細な歴史のなかに、今夜の出会いが夢でなかった証拠が記されている。建設事業はひとりのとく志家しかの手によって始まり、それが国の事業とされて拡大化していく。篤志家は、あの記念噴水が作られたときに爵位を与えられている。


 ──ドミティウス伯爵。きっと、あのかたのおじいさまね。


 白黒の版画の挿絵があった。不思議なかたちに見えた技術者の帽子は、やはりペレグリーニの服のようで、彼らがドミティウス伯を囲むように測量を行う場面が描かれている。


 コルネリアに人探しのできる伝手はない。ドミティウス伯爵とあの青年の続き柄を知る資料は、貴族録くらいしか思いあたらないが、貴族録があるのはいまや叔父のものとなった父の書斎に違いなかった。


 青年の名を突き止めたい気はあったが、書斎はコルネリアの割り当てられた仕事の担当範囲外だ。貴族録は忍び込んでまで読むものではないとも思った。


 翌朝目が覚めたときには、コルネリアはすっかりと女中としての日常に戻っていた。叔母やディアナの部屋の掃除をして、手分けして敷布を洗い、台所の手伝いに入る。屋敷で使う水は、井戸から汲み上げている。王都の水路とは無縁だ。


 日が経つと、あの出会いが夢だったような気になる。けれど、屋根裏部屋で書名が目に入るたびに面影を思い出す。ほんの少しの時間を共に過ごしただけなのに、執着しすぎだ。それなのに、忘れられない。


 建国記念日から一週間経ったころ、不意にディアナから呼び出された。いつもの八つ当たりかと、身構えたコルネリアに、彼女は得意げな顔でいくつかの小箱を示して見せた。


「あんたもやっぱり、あたしが妬ましかっただけなのね! ほら、見なさいよ。みんな、あたしに夢中なのよ!」


 小箱はどれもディアナ宛ての贈り物らしい。

 揃いの真珠の首飾りと耳飾り、花を象ったブローチ、派手な意匠の首飾り。どの品をとっても、そこまで値が張るものではない。揃いの装飾品はパリュールにしては点数が少ない。ブローチの中央の黄水晶は、さいきん鉱山が増えて安価になってきたと聞く。派手な品は、小さな石で煌めかせているだけだ。もう少し工夫が欲しい。


 黙って見定め、そっと息を吐く。話しぶりを聞くに先日の夜会で出会った男性たちから贈られたようだが、このようすでは、ディアナは軽く見られている。パリュールは特別に注文して、時間をかけて作らせるものだ。一週間やそこらで手に入るなら、出来合いの品を寄せ合わせたに過ぎない。ブローチも値崩れしたものだろうし、最後のは論外だ。でも、そんな考察はおくびにも出さず、コルネリアは微笑んだ。


「それは良うございました」


 にっこりと流されたのが気に食わなかったのか、ディアナは他にもあるのだと、侍女に命じて取ってこさせる。どうやら、宝石のついた贈り物だけ見せてよこしたらしい。花束についていたという手紙やら何やらのなかに、ひとつだけ、目に留まるものがあった。


「ああ、それ? そんなもの贈ってよこすなんて、ふざけてるわよね。でも、あんたにはお似合いね。どうせ捨てるつもりだし、欲しけりゃどうぞ?」


 めざとくコルネリアの視線に気づいて、ディアナが笑う。コルネリアは言い返すことばも忘れて、小箱のなかから、贈り物を手に取った。

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