05
レリーフの始めの情景は、どこにあるのだろうか。地道に探そうとしたコルネリアを導いて、彼はある一点をカンテラで照らし出した。
噴水の女神像が視線を向けている方向だ。
「はじまりはこちらです。ここから、時計回りに読み進めていけばいい」
言われるがまま、腰をかがめる。描かれていたのは、山と平野の交わる地形と、草、不思議な帽子を被った男だ。
「この草、葉あざみかしら……」
ギザギザの葉と先の丸まった草模様は、特徴的だが、ただの装飾だろうか。コルネリアが図案を読み解こうとするのを手助けして、彼は隣から指を伸ばす。
「そのとおりです。地下水路の建設は、起点となる
つまり、この帽子の男は、地下水路の源流をどこにすべきか検討しているわけか。
「よくごらんなさい。アカンサスの下に、
言われるまで、ただの穴にしか見えなかったものが、彼のことばとともに意味を持ちはじめる。コルネリアは、レリーフを少しずつたどりながら、彼から教えをうけ、地下水路の成り立ちを把握していった。彼の声は低くやわらかで、耳に心地よい。いつのまにか近づいた距離のせいで、身体の片側にほんのりと体温を感じていた。
長い時間が過ぎたのだと思う。遠く聞こえる音曲は次々に変わっていったが、彼の解説に退屈さはなく、こころが弾んだ。まるで、本に没頭しているときのようだった。自分のペースで過ごした時間ではないはずなのに、それがかえって快いというのは、コルネリアにとって初めての経験だった。
「ほんとうにお詳しいんですのね! わたくしひとりでは読み解けなかったことでしょう。有意義な時間を過ごせました。まことにありがとう存じます」
彼の手を取って立ち上がり、こころからの礼を述べると、彼はまぶしそうな顔でこちらを見つめ、それから、噴水の女神像を見上げた。
「水路建設を後押ししたのが、私の祖父だったので、子どものころからいろいろと耳にしていただけのことです」
謙虚に述べて、カンテラを元の場所に戻すと、彼は改めてコルネリアに手をさしのべた。
「遅くなりましたが、よろしければ、ご挨拶しても?」
「──ええ、もちろんです」
応えて手を差し伸べようとしたのを無粋に遮ったのは、複数の靴音だった。
ふりかえると、王宮の侍従が幾人か、何かを探しまわっているようなようすが目についた。そのうちのひとりがこちらに気がつき、小走りに向かってくる。
「ご歓談中のところ、失礼をいたします。バロー家のかたをご存じないでしょうか?」
侍従の口から飛び出してきた家名に驚きを隠せずに、コルネリアは慌てて侍従に申し出た。
「わたくしがバロー家の者ですが、何かございまして?」
「……実は、デビュタントのお嬢様のご気分が優れないごようすで、休憩室にご案内したところなのでございます」
「まあ!」
あのディアナが、体調不良? 酒でも飲み過ぎたか、それともだれかとケンカでも起こしたのだろうか。ともかく、たかだか男爵家の令嬢ひとりのために、これだけの侍従が家の者を探しまわることなど、ふつうの状況ではない。
頭が痛くなりながらも、事態を一刻も早く収束させねばならないと気が
「ご挨拶は、また後ほどにしましょう。今日の主役はデビュタントたちだ」
「恐れ入ります。……休憩室まで案内してくださいます?」
正直なところ、かなり後ろ髪を引かれる思いだったが、しかたがない。軽く膝を曲げて礼をして、コルネリアは侍従に顔を向けた。行きは迷いながらの道のりだったが、帰りは王宮に慣れた侍従のおかげで、瞬く間に庭を抜け、会場に戻った。
他の参加者の邪魔にならぬように端を足早に通り抜け、到着したのは見るからにしつらえのよい部屋だった。下位の貴族のための休憩室ではなさそうだ。やはり何か粗相があったのかと気を揉むコルネリアの視界に入ってきたのは、年若いご令息がたに取り囲まれて涙ぐむディアナの姿だった。
あきらかにこちらより身分の高そうな男性陣に
歩み寄ったコルネリアを仰ぎ見て、ディアナは柄にもなくしおらしい表情になった。
「足をくじいてしまったの」
ディアナが話しかけたことで、こちらが彼女の付き添いだと理解したのだろう。ご令息がたが口々に話す内容を聞いて、コルネリアは状況をおおむね察した。
「デビュタントのご令嬢のひとりが彼女を突き飛ばした挙句、暴言を吐いたのですよ」
「同じデビュタントのなかでも、群を抜いた麗しさに嫉妬でもしたのでしょう」
「『あなたのドレスは白ではないはずだ』などと騒いでいましたね」
「確か相手は、オルド家の令嬢だとか。付き添いの夫人がそばにいたのに、たしなめることもしなかった。まったく、マナーがなっていない!」
怒りも
──お母さまのご友人の家だわ。
母の葬儀にも参列してくれたのだとは思うが、コルネリアはあのとき、外部のだれかと接触する機会を叔父に奪われていた。円滑に爵位を手に入れるためには、コルネリアの後見をと言い出しかねない両親の知人たちを遠ざける必要があったのだろう。
きっと、付き添いだと言う夫人が母の友人で、その娘がデビュタントだ。互いに面識というほどのものはなく、うっすらと存在を知る程度のだれかが、バロー家の異常事態に、今日この日招かれていたはずのコルネリアがデビューしていないことに、気づいているかもしれない。
そう考えると、たとえ直接の手助けは得られないにしても、貴族としての自分が無きものと扱われている現状に、一条のひかりがさしこんだような心地がした。
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