04

 馬車が数台、すっぽりと入りそうな大きな円形の水盤があった。ふちは腰掛けるのにちょうど良い高さで、側面に彫刻が施されている。中央には見上げるほどの背の高い女神像があった。彼女が片腕を伸ばして傾けるさかずきからは、途切れることなく滔々とうとうと水が流れ落ち、水盤を満たしている。


 ──これが、噴水。


 コルネリアは、初めて目にした噴水のうつくしさに息を呑んだ。

 庭園の淡い灯火に、水がきらめいていた。年月を経た銅製の女神像は少し酸化して緑青ろくしょうをまとっているし、水盤のレリーフも雨で風化している。それでも、本で読んだとおりの光景に出会ったコルネリアは、ほう……と感嘆の吐息を漏らして、その場に立ち尽くした。


 動力を使った噴水ならば他国にもあると聞くが、そちらは施設の維持と作動に莫大な金がかかる。常時動かすわけにはいかず、権力者の威信を示さねばならないときにだけ動かしてみせる。自然すら支配下に置けることを見せつけるわけだ。


 その点、およそ50年前に作られた我が国の噴水には、動力はいっさい用いられていない。かわりに当時の技術の粋を凝らしてあり、いま現在に至るまで休むことなく動き続けている。自然をねじふせるのではなく、その力を最大限に引き出し、人間の思いどおりの動きを取らせた噴水は、極めて優秀で優雅で経済的な代物だ。


 人目がないのをよいことに、コルネリアは膝を折り、ドレスの裾を手でまとめてかがみこんだ。噴水のレリーフを間近で見たかったのだ。いつか読んだ本によれば、ここにはぐるりと一周かけて、連続した情景が描かれているらしい。噴水ができあがるまでの経緯が文字なしで記されているというのだが、肝心の図案は本には出ていなかった。


 始まりの絵はどこだろう。しゃがんだまま見てまわったが、明かりが足りないせいで、うまく読み取れない。もどかしく感じていると、すぐ背後で葉擦れの音がした。ハッとして、立ちあがろうとしたコルネリアにかけられたのは、若い男性の声だった。


「失礼。驚かせてしまって申し訳ない。──何かをお探しですか、レディ?」


 レディと呼ばれるには、コルネリアの身分は低すぎる。見かけない女性に対するていねいな声かけに過ぎないことは、すぐ察された。けれども、完全な敬語も使われなかったことに、相手の身分の高さを感じとる。

 今度こそ立ちあがろうとしたところに、彼は思いがけない行動を取った。近くにかけられていたカンテラを外して、こちらに近づいてきたのだ。


「落としたのはどんなものですか? 指環? それとも耳飾り?」

「……違うんです」


 あまりの恥ずかしさに屈んだまま顔を覆って、消えいるような声音で答えたコルネリアのそばに膝をつき、彼は気遣わしげにする。令嬢らしからぬ振る舞いなのは承知していた。見られたばかりか、行動を勘違いされるだなんて、もう、どうしたらいいかわからなかった。でも、心配される時間が長引けば長引くほど、真実は打ち明けにくくなる。


 えい! と、気合いを入れて、コルネリアは顔を隠していた手をどけ、相手の顔を見上げた。


「わたくし、落としものはしておりません。どうしても、この噴水のレリーフの図案を近くで見たかったんですっ!」


 勇気を振り絞った告白に、返ってきたのは明るい笑い声だった。


「良かった! てっきり、家宝でもお探しなのかと思いました」


 そんなに必死なようすに見えたとは。恥じ入りながらも、馬鹿にした風ではなく清々しく笑い飛ばされたことで、少し気が軽くなる。コルネリアは、あらためて男性を見つめた。


 まず目についたのは、茶褐色の肌だ。異国の血が入っているのは間違いない。年のころは二十歳前後か。あまり、年齢差は感じない。きりっとした眉と通った高い鼻筋、薄めのくちびるが凜々しい顔立ちを形作る。目は青い。胸元まで長く伸ばされた直毛の黒髪は、うなじでひとつにまとめられている。


 髪留めの飾り紐が彼の肩に垂れているのを見て、コルネリアは目を見開き、ついポツリとつぶやいた。


「すてき、糸紐細工ミクラマだわ……」


 こちらの声に、彼の眉が寄った。不快そうな気配に、コルネリアは首を傾げた。


「ミクラマって、ペレグリーニの伝統工芸品、でしたよね?」

「それが何か?」


 とつぜんの警戒したような声音に戸惑いつつ、コルネリアは噴水を手で示して勢い込んだ。


「すばらしい偶然です! ご存じのとおり、王都の水は遠い異国、ペレグリーニの技術者を招聘しょうへいして作られた水路によってもたらされております。その水路の完成を記念した噴水の前で、ペレグリーニの工芸品をお持ちのかたに声をかけていただくなんて、そうそうない巡り合わせでございましょう?」


 同意を求めて青い目を覗き込むと、彼は呆気に取られたような表情をしたあと、くしゃっとした顔で人懐っこく笑った。


「そうだな、確かに。でも、水路建設がペレグリーニの技術だと、よくご存じでしたね」

「王国貴族として当然に知っておくべきことですわ。国の発展とあれほど密接に結びついた事業は、ほかに類を見ません」


 わずか数十年前までは、王都の人口増加のせいで、水は枯渇しかけていた。また、雇用が創出できずに貧困が広がりかけていた。その両方を救ったのが水路建設だ。王都には常に水がもたらされるようになり、人夫として雇われたことで技術を得た人々はいま、各地で同じように水路を掘り、遠くの町を潤している。


「この噴水ひとつ取っても、ペレグリーニの技術はずば抜けています。噴き上がる水は目に楽しく、装飾はうつくしく庭に調和していて、しかも実用的です。王宮の防火用水でもございますし、この噴水が止まるということは、すなわち水位不足が起きているということ。国の危機を宮殿に居ながらにして把握できるのです。人類の叡智えいちが詰まっておりますわ」


 力説したコルネリアに、彼はカンテラを差し出して問いかける。


「それで、レディ? あなたは何をごらんになりたいのでしたか。微力ながら、お手伝いしましょう」


 近くから照らされたことで、レリーフがはっきりと見える。申し出に喜んだコルネリアに、彼はやわらかな微笑みをみせた。

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