03

 迎えた建国記念日当日、準備のためにとディアナの居室に呼ばれて向かうと、そこにはさすがのコルネリアも目を剥く事態が待ち受けていた。デビュタント用の純白のドレスを纏ったディアナが、化粧の真っ最中だったのだ。


 ディアナはすでに18歳になっている。彼女が16歳のころは、叔父が爵位を得ておらず、貴族の身分ではなかったため、王宮でのデビューはしていない。しかし、たとえ16歳のときにデビューしていなかったとしても、今夜の宴で純白を纏う資格があるのは、16を迎える子女のみだ。新たに貴族となった以上、どこかのお茶会か夜会で顔見せをすることにはなっても、それはいわゆるデビューではない。


 あまりのことにことばを失っているコルネリアに、付き添いのドレスを着せるようにと、ディアナの侍女が女中たちに命じる。これまで何くれとなく身繕いの世話を焼いてくれていた女中たちは、元「お嬢様」に対するこの扱いに鼻白んだ。けれどもコルネリアは黙って首を横に振り、視線で彼女たちを制すと、おとなしく付き添いの地味な濃緑のドレスに袖を通した。


 もとはコルネリアの使っていた鏡台の前で、いまはディアナが髪を結われている。コルネリアはといえば、時折、手鏡をさしだされ、ようすを確かめる程度。


「ねえ、コルネリア。どうかしら、あたしのほうが白は似合うと思わない? あんたが着たら、上から下までまっしろけの幽霊みたいですものね!」


 呼びかけられて、鏡ごしにかいま見るディアナは、ため息が出るほどうつくしかった。白い肌は触れずともわかるほどしっとりとしていて、ストロベリーブロンドの髪は手を伸ばしたくなる艶を放っている。同色の長いまつ毛でくっきりと縁取られた目元には、見る者を絡めとるような力がある。眉とくちびるには、自信が満ちあふれている。


 口ごたえする気は起きなかった。コルネリアの白金の髪を白髪扱いするのは、ディアナの口癖のようなものだ。おばあさんみたいとまで言わないだけ、今日のディアナは機嫌がよいらしい。


 宝飾品を身につけ終えたディアナは、コルネリアを近くは呼び寄せた。


「ねえ、コレ、つけなきゃダメなのかしら? せっかくの指環が隠れちゃうんだけど」


 視線で示されたのは、デビュタントの証とも言うべき白い長手袋だ。コルネリアは絶句して、何から説明すべきかと考えあぐねた。デビューのときのみならず、夜会に手袋は当然すぎて、つけないことなど思い立ちもしなかった。


「こちらを身につけないと、デビュタントの装いは完成しません。今夜は指環は控え、次回以降は手袋のうえから着けてはいかがでしょう?」

「手袋したまま指環するの? それじゃ、入らないわよ。薄ーい手袋をすればいいのかしら」


 すぐ不満げになるディアナには、常識を指摘するのも骨が折れる。手袋のうえから着ける指環と、じかに肌に着ける指環が同じもののわけがないではないか。装飾品というものは、身を飾り、ぜいを凝らすためのものばかりではない。それぞれの用途や時節、場面に合わせて必要なものを揃えておくのだ。


「……母やわたくしの使っていたものが残っているのではないでしょうか。大きさや意匠デザインの参考になるかと存じます」

「あんな地味なもの、どうせ、お母さまが売っちゃったわよ」


 切り捨てて、ディアナはこちらにむかって腕をさしだし、顎を上げた。手袋をつけろと言うのだろう。コルネリアは会話を諦め、従姉の細腕に手袋をはめてやりながら、先行きに不安を覚えずにはいられなかった。



馬車のなかでも、ディアナは初めての夜会に浮かれて話し続けていた。コルネリアは大半を聞き流し、慎ましく微笑むに留めた。ここで怒り狂っては、相手と同じに成り下がってしまう。それを堪えるだけの矜持きょうじは、コルネリアにもあった。


 王宮の宴会場にたどり着くと、ひとびとの視線は自然とディアナに集まった。それだけで彼女はご機嫌になり、友人を作ろうというのか、付き添いのコルネリアを無視して、デビュタントの群れに突進していった。


 ──うまくいけばいいけれど。


 父親こそ貴族の生まれだが、基本的にディアナは貴族の令嬢として育ってきたワケではない。マナーにも至らない点があるだろう。もし、友人ができなかったら、帰りの馬車で散々に八つ当たりされるかもしれないと思うと、いまから気が重くなる。


 付き添いたるもの、夜会に不慣れな令嬢を同性の先輩として導くのが役割だ。だが、本来はこの場でデビューするはずだったコルネリアでは、夜会での立ち回りまではディアナに教えられない。「デビュタントと付き添い」の形式に則っただけの、気休め程度の存在だ。


 コルネリアがその場を離れても、気にする者はないだろう。招待客の一覧に目を通すのは、主催者側ばかり。招かれた側はみな、装いで他人を判断する。コルネリアには、顔見知りと言える相手がほとんどいない。ほんとうは16歳でも、白いドレス姿ではないというだけで、はたからは、社交界に数年身を置いているくせに公の場で挨拶をする友人すらない陰気な女性か、はたまたデビュタントの世話を放り出した無責任な付き添いに見えるに違いない。


 事情も知らぬ他人から、そんな不愉快な勘ぐりを受けるのは、ごめんだった。コルネリアは宴を抜け出し、庭園へと足を向けた。


 夜会の最中は、警備の都合上、庭にも灯火があり、暗がりはない。そぞろ歩くには不自由しないが、昼さなかのように庭の景観を楽しめるほどの明るさはない。それでも、今夜を逃せば一生、王宮の庭には縁がないはずだ。デビューを兼ねる建国記念日を除けば、王宮の夜会に招かれるのは、伯爵位以上の高位貴族ばかりだ。前男爵の令嬢など、お呼びではない。


 濃緑のドレスの裾は、短く刈り込まれた芝に溶けこむ。大理石の床のうえでは高く響く靴音も、庭園に降りたとたんに会場から漏れ聞こえる音曲に紛れた。まるで、自分が空気になったような感覚で、コルネリアは足を進める。


 まばらな木立を縫うように設けられた散歩道をたどっていくと、やがて、水音が聞こえはじめる。胸が高鳴った。木立を抜けた先、腰高の低木の生け垣に囲まれて、求めるものは見つかった。

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