02

 コルネリアがワレリア男爵令嬢として生を受けたのは、いまから16年前だ。バロー家は古い家柄ではあるものの、決して豊かではなかった。男爵領の民は、主に農業で暮らしている。彼らのために、父はいかに領地経営をするかばかり考えている真面目な男で、母はいつも父を支えている穏やかで勤勉なひとだった。


 父母は長年子宝に恵まれず、遅く生まれたコルネリアには他に兄弟がなかった。いつかは婿を取るつもりだったが、さして裕福でもない田舎領地に来てくれる若者がいるのかと、父母はいつも不安そうだった。


 だから、コルネリアはこころに決めていた。15歳になったら、王都の寄宿学校に通い、学び舎のなかで優秀な婿がねを見つけるのだと。寄宿学校は、国じゅうの英才が集まる共学校だ。出自の貴賤は問われない。もしも選んだ相手が平民ならば、男爵家の跡目は自分が継げばいい。


 寄宿学校の入学試験に合格するためにと、日夜研鑽を積むなかで、コルネリアは思いがけず読書に取り憑かれた。家にある本は読み尽くし、ひとの家に招かれれば書棚にばかり目を奪われる。


 娘に甘い両親は、領地の収穫量が上向くたびに装飾品のかわりに高価な本を買い与えた。


 15歳になり、寄宿学校の入学試験を受けるため、コルネリアが家を留守にしているあいだに、悲劇は起きた。領地に野犬の群れが出たのだ。


 ちょうど視察に出ていた両親のすぐ近くで、農民の幼な子が野犬に襲われかけた。母はとっさにその子を庇った。父は徒手空拳でふたりの前に身を投げ出した。


 父はあっけなく噛み殺され、母は駆けつけた農夫たちのおかげで助かり、幼な子を守り切った。しかしながら、足には深い咬傷を負い、二度と床から起き上がることなく、傷口からの感染症で儚くなった。


 男爵とその夫人を失ったバロー家にいち早く駆けつけたのが、現男爵となった叔父一家だった。彼らは客室に陣取って年長者としての権限をふりかざし、喪主であるコルネリアそっちのけで二度の葬儀をとりしきった。そのうち、いつのまにか屋敷の主寝室と女主人の部屋に居座って、あるはずもない遺言書を手に、国王から男爵の爵位をいただいていた。


 コルネリアは日当たりの良い部屋を追いやられ、屋根裏に移り住んだ。かわりに、これまでの部屋は従姉のディアナが使い始めた。この家に住まなかったのは、騎士となった従兄だけだ。


 ドレスも宝飾品も調度も権利証書も、追い剥ぎのように奪い去った彼らが手を出さないものが、男爵家にはふたつあった。


 ひとつはいくらかの蔵書。そして、もうひとつは、早くに用意され、18歳までは財産管理人が運用を続けているコルネリアの個人資産だ。前者は叔父一家が価値を知らないだけだったが、後者はコルネリア本人でさえ手出しができない代物だ。


 コルネリアは数少ない蔵書を屋根裏に運びこんで守ると、あとは彼らに従順に振る舞い続けた。横暴な略奪者に、前男爵への忠誠心厚い使用人たちはこぞって鼻じろんだが、それを抑えたのもコルネリアだ。


「叔父さまたちに従いましょう。あなたがたを守れなければ、わたくしがお父さまに叱られてしまうわ」


 そう言って微笑んでみせると、女中頭は目を潤ませ、執事はうつむいてそっと鼻先のあたりをつまんだ。


「もし、わたくしに関することを命じられたとしても、抗ってはいけません。わたくしはあなたがたの本心を知っていますし、お父さまもお母さまもご存じよ。それでも辛いと言うのなら、紹介状を書いてあげるわ」


 三分の一が屋敷を去り、新たに補充されたのは、もともと叔父一家が雇っていた使用人たちだった。新参者の列に並んで、コルネリアは女中のお仕着せに身を包むことになった。


 正直に言えば、女中の仕事は身体的には辛くとも、楽しみの見出だせるものだった。


 掃除のときは、先人の知恵として口伝されている方法に、実際に汚れの成分を分解する科学的な根拠があることに感動したし、ときにはより効果的な方法を編み出して仲間うちで称賛された。


 ディアナのもとにお茶を運べば、コルネリアのときだけぬるいと叱られるので、湯を冷めにくくする方法に頭をひねった。


 つくろいものは特に楽しく、仕着せのかぎ裂きの穴を刺繍で隠して人気を得たが、叔母に糸の無駄遣いだと、こっぴどく言われたこともあった。


 どうしたら、より多くのひとが喜ぶだろう。どうすると効率的だろう。常に頭を働かせて思いつきを実行に移してみるコルネリアは、女中のなかでは異質で、異端だった。


 寄宿学校から合格通知が届いても、通わせてもらえる気配はなかった。仕事さえすれば、食事は他の女中と同じものをもらえた。部屋に戻ってからは藁の敷布団のうえで泥のように眠り、まだ皆が起き出す前の朝陽を頼りに何度も本を読みかえす。日々はその繰り返しだった。


 やわらかかった指先にはひび割れが目立つようになり、爪のツヤは消えた。使用人の入浴に高価な固形石鹸を使わせるほど、叔父一家は寛容ではなかった。冷水浴ばかりのせいで、艶やかだった髪はすぐにごわごわにふくらんで見る影もなくなった。


 コルネリアは暖炉と厨房の灰を集め、灰と廃油から液体石鹸を作っては、こっそりと使用人たちに配った。一度目は火起こしが大変だったが、二度目からは料理長がかまどを使わせてくれるようになった。庭師が剪定したハーブをくれ、次の石鹸からはずいぶんとにおいがマシになった。それでも、髪や肌の艶は戻らなかった。


 16歳になる貴族子女は、建国記念日に王宮で開かれる宴に招かれ、社交界にデビューするものだ。父に代わり、叔父が爵位を継承したからと言って、貴族でなくなったわけではない。だが、コルネリアは自分が宴に招待されるとはちらとも考えてもいなかった。


 招待状が届いたことも知らずに過ごしていたところに、思いがけずディアナからお呼びがかかった。癇癪かんしゃく持ちの彼女を怒らせぬようにと、慌てて部屋に向かうと、そこには顔見知りの仕立て屋のマダムと針子たちが勢揃いしていた。


「あなた、今年デビューでしょ? あたしが付き添いをしてあげるわ」


 頭ごなしに言われて、返事もできずにいるコルネリアを、マダムたちが気の毒そうに見つめている。よもや、先代男爵の令嬢が同じ屋敷で使用人をさせられているとは思いもよらなかっただろう。


 視線を浴びて恥じ入っているうちにも、ディアナはまるで自分の衣裳でも仕立てるように、デビュタント用の白いドレスのデザインについて注文をつけていく。


 袖のかたち、襟ぐりの深さに、裾の広がり具合、レースの質に生地の種類。並べ立てられる内容に、コルネリアは意外な気持ちになった。ディアナは自分のうつくしさを誇っているし、自分以外に金をかけるのが大嫌いだ。それなのに、コルネリアのデビューのためにこんなに良くしてくれるだなんて、思わなかった。


 付き添いのドレスは、デビュタントの衣裳より色味も飾りも控えめにするものだ。意見を求められたコルネリアは、王宮でのマナーに反さないような提案をして、その場を辞した。

 仮縫いには呼ばれなかったが、仕立て屋にはコルネリアの寸法はすでに知られている。少しは痩せてしまっているかもしれないが、許容範囲だろう。


 楽観的に過ごしているコルネリアの周りで、うわさを聞きつけた女中仲間たちは、暇を見つけてはせっせと「大切なお嬢さま」を磨き上げようとしてくれた。肌に良いという化粧水を分けてくれたり、ディアナの使い残しの香油を集めては髪の手入れをし、髪の結いかたを研究したりと余念がない。

 コルネリアは見た目に頓着しないほうだったが、女中たちの楽しみを邪魔するのも悪いかと、されるがままにしていた。

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