§2-1

「いてっ」


シャワーをそっと浴びながらキラは鏡で自分の背中を見ようと頑張っていた。だが全体像は見えなかった。それでも彫ったばかりの龍の輪郭が自分が少し強くなったように感じさせた。俺はこの白い龍に恥じないような仕事をしてみせる。


―あいつらも同じ気持ちかな―


白龍はひとり忍び笑った。


ヒロ以外の三人はモデルの仕事を始めた。もともと目立ちたがりの三人だ。喜んでキラの命令を受けた。鬼咲の力は強大だ。あの三人と共にあっというまにこの会社の名前も売れるだろう。負ける理由がひとつもみつからない。

ヒロはどうしても四天王を作りたいらしい。白龍が四天王に入るという案は却下された。黒と白は両極に独りで立たなければ意味がないと言うヒロの意見に納得した。彼女は仕事的にはどっちかと言えば自分が黒だろうと思ったが、おそらく黒のほうがかっこいいとかいう理由でヒロは自分を黒龍に定めたのだろうと思った。白という色は好きだ。白は鮮血を美しく際立たせる。


ヒロたち四人は四天王に加えるもう一人をいろいろなツテから探している。既にそれぞれが連れて来た何人かがテストを受けていたが、あまり好ましい結果は出ていなかった。それもそのはずだ。テストの内容は彼女たちには普通でも、通常に生きてきた人間たちにとっては普通ではない。短期間で言語、経済、社会の仕組みや歴史から人間心理に至るまで徹底的に網羅し、それを応用できる程には身につけなければならない。期間が短いのでよほどの記憶力と理解力、適応力がない限り難しい。他にも格闘のテストがある。実践経験豊富なキラを相手にどこまで戦えるかを見るものだ。別に勝つ必要はなく、運動のセンスや判断力、精神力、スピードなどを総合的に判断する。だが、それにおいても誰一人いい成績は残せなかった。ひとり、自分は喧嘩慣れしていて負けた経験などないと豪語し、彼女に向かって「女相手に喧嘩する気はねぇが、どうしてもやれってんなら……あんた死ぬ覚悟はあんのか」と強気に聞いたものがいた。皆呆れつつも少しばかり期待したが、彼は一瞬でKOされた。弱い犬ほどよく吼える。目が覚めて彼は、手加減してやったんだなどと抜かし失笑まで買って帰った。


ある日、キラが鬼咲の道場でひとり瞑想をしていると、誰かが近づいてくる気配を感じた。


―ヒロか。……一人じゃないな―


そう思った時、道場の扉が開き、ヒロが入って来るのを感じた。キラが目を開けると、「テストを希望しているヤツがいる」
とヒロの声がした。ヒロは振り返り、後ろの人間に入るよう促す。キラは嫌な予感がして眉をしかめた。往々にして嫌な予感は的中する。


「……ショウ……」



嫌な予感は的中するのだ。


「……テストを希望?おまえがつれて来たのか?ヒロ」



キラが静かな怒りを含んだ口調で言う。ヒロは臆することなくキラを見た。


「いや、こいつがヒロって奴に合わせろって自分で来たんだよ。……追い払おうとしたらしいんだが、俺に合うまで動かねぇって言ってよ」

「……」

「最初は丁重にあしらったんだが、いい加減あいつらも頭に来て裏連れてって袋にしたらしい。それでもこいつは俺に合わせろって言い続けたんだとよ。抵抗もせずにボコボコにやられながらな」



チラとショウを見ながら続ける。


「で、あいつらが諦めて俺を呼びに来たんだよ。俺に会いたいっていう糞ガキが居座ってるんだがどうしましょうってな」

「……」



キラは言いたいことが山ほどあるような気がしたが、うまく口から出てこなかった。顔をあげヒロを見、ショウに目をやる。彼はまっすぐにこちらを見ていた。袋にされたというのは嘘ではないらしい。キラはもう一度ヒロを見ると彼に尋ねた。


「いつの話だ」


「1週間ほど前だ」



1週間前か。そして今俺の前にテスト希望だと言って連れてきた。それならおそらくもう他のテストは済んでいるのだろう。


「他の結果は?」

「こいつ相当出来がいいらしいな」



キラは何も言わずに立ち上がった。トーントーンと軽く飛び跳ね首を回し、ずっと同じ体制でいたせいで固まりかけた身体を整える。そしてジロリとショウを見据えた。


「来いよ。ヒロから話は聞いてんだろ。死なねぇ程度に手加減はしてやるよ。尤も……バカは死ななきゃ治らねぇらしいがな」



嫌味を含んだ口調で言う。ショウはスッと音も立てずに歩きキラの前に立つ。その顔は何かを決意したように見受けられた。ヒロに何か余計なことでも吹き込まれたのかとキラはヒロをチラっと見やる。遠くからバタバタと走るいくつかの足音が聞こえ、すぐにリュウ、ケン、リョウの三人が現れた。


「あー!ショウじゃん!久しぶりー!」



ケンが嬉しそうに言う。他の二人もショウを知っているようだった。ショウは振り返ることもなくキラに向かって礼をした。次の瞬間キラが構えることもなくハイキックを繰り出した。ショウの左腕がそれを防ぐ。「ほぅ」と感心顔で防がれた右足を戻しつつ次の攻撃に入る。キラの基本攻撃は蹴りだ。華奢な彼女の身体では蹴りのほうが有効だと小さな頃から様々な足技を教え込まれていた。彼女は息つく間もあたえず右足での攻撃を繰り出す。ショウはそのほとんどを防ぐことに成功していた。キラが顔色も変えず顔面へのハイキックをもう一度繰り出した時、ショウはその足を捕まえた。その瞬間、キラは掴まれた右足を軸に飛び上がり、左足で彼の肝臓を突いた。掴まれた右足が放され、ショウが後ろに吹っ飛ぶ。


「がっ……はっ……」



吹っ飛んだショウは苦しげに蹴られた箇所を押さえながらもすぐによろっと立ち上がった。ギャラリーから、おお!と感心した声があがる。キラの攻撃はその見た目からは思いもよらないほど重い。彼女の素早い攻撃を素人が防げただけでも驚きなのに、モロにその的確な攻撃を食らって立ち上がれるとは。キラはすぐに次の攻撃に入った。ローキックで膝を崩し倒れかけたところで下から顔面に蹴りを入れる。彼のキレイな顔は血を吹いた。彼女は膝をついたショウの正面に立ち片手で彼の首を掴んだ。人間の身体については子供の頃に教え込まれている。どこをどうすれば人間が動けなくなるか−死ぬかは、よく知っていた。ショウが両手で彼女の右手を離そうとする。しかしうまく力が入らないようだ。キラは力を込めて彼の首の急所を押し続けた。ショウの顔色が変わっていく。

チアノーゼ寸前になってキラはようやく手を放した。ショウはそのまま横に倒れ咽込んだ。ヒューヒューと空気が通る音がする。キラは冷たい目でショウを見ていた。やがてヒロに目を移した、その瞬間。彼女は足首を掴まれ思い切り引き倒された。ショウの動きは速かった。さっと起き上がろうとしたキラより速く彼女の身体に馬乗りになり、両足で彼女の足を固定し片手で彼女の両手首を押さえ込む。ギャラリーが興奮している。彼らですらキラを押さえ込むのは難しかった。キラは表情を表に出さないままショウの目を見つめた。ショウの右手が振り上げられ思い切り振り下ろされると同時に彼女の耳元で大きな音がして固い道場の床が凹んだ。ギャラリーの興奮は最高潮だ。キラは目を閉じることもなくショウを見ていた。その目は少し悲しげだった。


「……何で来た」



押さえ込まれたままキラが言う。ショウは何も言わず彼女の手首を放し、身体をどけて立ち上がった。まだよろけている。


「合格だな」



ヒロがニヤリとして言った。他の三人は「おまえスゲぇな!」「文句なしで合格っしょ」とショウを取り囲み新しい仲間を歓迎している。キラは静かに起き上がった。ヒロがこちらを見て

「異存はないな」
と聞いた。キラは「ああ」とだけ答えると道場を出て行った。ショウの視線を痛いほど感じたが無視した。



四天王が決定し、ヒロはさっそく会社を設立した。前準備は済んでいる。会社の名前はBHカンパニー。ヒロたちがガキの頃に組んでいたBEASTというチーム名とヒロの名前から取った。会社名を聞いたとき、あのガキチーム、結構気に入ってたんだなと思い、思わずキラは笑ってしまった。安直な名前だが、覚えやすくていい。

キラは設立前に自分の情報を全て消去した。自分が何をすべきかよくわかっていた。自分自身を世間的に抹消することで動きやすくなる。現時点ではどこを探しても彼女の情報は手に入らない。

ショウとはあれ以来ほとんど口を聞いていなかった。尤も今彼は高校を辞め、鬼咲に居候しながら他のメンバーに追いつくために必死で物事を吸収している。同時に各方面への面通しをすませ、龍の刺青を彫り進めていた。彼の色は青。青龍だ。

さらにキラはショウにもモデルの仕事も始めさせた。写真に撮られるとき彼はいつも仏頂面だったが、それが逆に人気を煽った。お互いに忙しすぎてキラと会う事がほとんどないことが彼をほっとさせた。

テストの日以来キラの目線は冷たく、すれ違うときですら一切目を合わせなかった。きっと無理やり押しかけた自分に怒っているのだと彼は思った。二度と会わないと言い、おそらく彼女にとってはショウへの最大の秘密であったことを告げたあの日のキラを彼は忘れられなかった。二度目に会ったとき彼女は彼に「殺しはダメなんだって」と言った。何でそんな当たり前の事を言うのかその時のショウには理解できなかったが、今は理解できる気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

龍の紋 bakhka @bakhka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る