第13話 模擬試合②

「——〝我は森羅に均衡を齎す天秤なり〟〝我は万象に調和を齎す剣なり〟」


 開始の合図とともに、エルは右手に持つ白銀の剣を前に瞑目し、詠唱する。

 彼女の詠唱に呼応するように、剣が次第に青白い光を纏い、やがてそれは花弁のような形へと変わっていき、アンティルとエルの周りを包み込む。


 そして、青白い光の花弁は彼らの身体へと吸い込まれ、消えていく。


「いやーやっぱり爽快だなぁ! ‼」


「そんな事言っていられるのも、今のうちよ? ————フッ‼」


 エルは石畳を蹴って、アンティルの懐へと迅速に忍び込む。そして銀色の切っ先を急所へと向けた。この段階で、まだ一秒も経っていない。恐ろしい程に速く、恐ろしい程の殺意を前に、普通の人間なら既に死んでいるだろう。


 しかし、アンティルは悠然とした笑みを浮かべて、ナイフで彼女の剣戟を止めて見せた。


「その攻撃はもう慣れたって」


 ナイフで食い止めていた刃を弾いて、そのまま距離を取る。

 普段のアンティルなら、今の攻撃も防ぐことが出来なかったはずだ。それどころかエルの移動速度に対応し切れていなかったであろう。

 それが彼の契約で得た〝体質〟なのだから。


 しかし、今の彼にはその〝体質〟が顕在化していない。


 どうしてか? ——それは、エル=ブラキウムという少女だからであった。


「それにしても、お前も律儀なもんだよな。そのを使わないで俺をぶった斬れば簡単に勝てるってのにさ」


「私はね、弱い者いじめが嫌いなの。ただ一方的に殴りつけるなんて、強者がする事じゃないわ。……それに」


「それに?」


「本気を出さないあんたを気持ちよく成敗してやりたいのよ!」


 エルは左右に大幅に移動しながら接近して、アンティルの視界を惑わせようとする。そして魔剣で足首を切断しようとしたその瞬間——彼は跳躍した。


「本気を出さないって、お前! 俺の入会試験の姿見てから言えよ‼ 本気でやって見事にボコされまくってるんだからな⁉ そんな俺を滅多打ちにしようとか、相当性格悪いぞ⁉」


「その体質が無いあんたと、私は戦いたいのよ!」


 空中に回避したアンティルを追うように、彼女は魔剣を振り上げる。しかしアンティルはその攻撃をナイフで容易く防ぎ地面に着地しようとする。

 その隙を突いて、エルが脚を突き出し蹴りを入れる。

 彼女の蹴りは見事にアンティルの腰にヒットし、彼は体勢を崩してしまう。


「おっと」


 しかし彼はそんな状況でも焦らない。地面に尻餅をつく直前に左手で自分の身体を押し上げて、再び空中へと跳び上がる。


「相変わらず、動きが鬱陶しいわね……!」


「お前も、そんなちんちくりんなくせによく動くよなぁ!」


「誰がちんちくりんか!」


 エルが空中で華麗に舞うアンティルに魔剣で攻撃——をせず、腰に着けた鞘を思い切り投擲する。

 予想外の行動にアンティルは「うおっ」と驚きの声を上げるが、すぐに状況を理解して左足で鞘を蹴飛ばした。そして鞘の先には既にエルが待っており、刃がすぐそこまで迫っていた。


「……〝影縫いシャドウ・ソウ〟」


 ——流石に生身での回避は間に合わないな、これ。

 アンティルはそう判断して、魔法による回避に頼る事にした。


 彼の影から黒い鎖が現れ、背中に突き刺さる。そして、その黒い鎖はアンティルを地面へと引き寄せて、エルの攻撃の軌道から外れる。


「やっと魔法を使ったわね……今までは手加減していたの?」


「そっちだって、魔法を使ってないじゃん。……ま、俺の場合は久しぶりの本来の状態での試合だからリハビリをしてたからな」


「やっぱり手加減してたんじゃない!」


 地面に着地したアンティルに向かって突撃し、魔剣を振るうエル。しかしその攻撃を漆黒のナイフで受け止め、不敵に笑うアンティル。

 

 ——しかし、事実リハビリではある。

 アンティルの〝体質〟上、魔法を使うのはほぼ不可能に近い。身体能力のみならず、魔力量にも弱体化の影響が及んでいるせいだ。


 だが、今の彼にはその弱体化による制限が消えている。


 その原因は彼女——エル=ブラキウムの有するにある。


 ——均衡剣エストラルク——


 それはかつて存在した大迷宮〝愚神の法廷〟を支配していた大悪魔エス=カマリが有していたとされる〝秘宝〟であり、現存する数少ない〝魔剣〟でもある。

 悪魔や魔神の途轍もない魔力と異能を封入した〝秘宝〟の一部であり、太古には数多く存在していたが、『破魔のディスファー』が勃発して以降はその本数を減らしている。


 そんな生き残った〝秘宝〟こそが均衡剣エストラルクである訳だ。

 その魔剣が有する異能は——「眼前の相手の能力値を自身と同じにする」というものだ。

 つまり、戦う相手の身体能力や魔力の容量を全て使用者と同じ状態に引き上げたり引き下げたりする強制効果だ。


 エルよりも弱い人間は本来よりも強い力を、逆にエルよりも強い人間は本来よりも弱くなる。言葉にすると微妙な力だ。

 本来簡単に倒せるはずの存在をわざわざ強くすると言う行為は、自殺行為に等しい。負ける可能性が増える訳だからだ。


 しかし、彼女はそんなハンデをも押し退けて今、【十二星芒】の一席に名を連ねている。

 それが、エル=ブラキウム——〝均衡の裁定者バランシア〟の強さだ。


「……でも、もう魔力の出し方は慣れたからよ、こっからは本番だぜ?」


「そう? それじゃあ……こっちもそろそろ本気で行かせてもらうわ」


「え? 今までのが本気じゃないのかよ? 必死に動いて……」


「そう余裕こいてられるのも、今のうちよ! ……〝白霜路フロスト・ロード〟」


 直後、エルの靴底から白い冷気が湧き出してくる。そして姿勢を低くして、思い切り地面を蹴った。すると、彼女の通った地面が純白の薄氷に変わり、それに連動して加速していく。


 ——踏んだ箇所を氷に変える魔法、か。

 もしかして俺の為にわざわざ魔法を禁じていたのか? おいおい、どんだけ律儀な女なんだよ、お前は‼


 アンティルは楽し気に笑みを浮かべて、地面を蹴って彼女の方へと接近する。

 互いに激突しようとする、その直前で二人は動き出す。


 エルの方は均衡剣に冷気を付与する魔法をかけて、アンティルに斬りかかろうとしていた。

 一方でアンティルの方は足下に魔力を注ぎ、再び影から鎖を放とうとしている。これによる足止めで確実に決めようと言う算段だ。


 互いの魔法を交えた一撃が————交わる‼


 ——アンティルの漆黒のナイフと、エルの均衡剣がぶつかる。

 ギリギリ、と刃が軋みを上げて、拮抗している。実力としては互角も互角、【十二星芒】の長というだけある。


 次の一手はどうするか……思考を巡らせる二人の間に、音がした。


 ——ゴーン、ゴーン、ゴーン…………。


 正午を告げる鐘の音が、エルフェスの街中を埋め尽くす。どうしても耳に届く大きな音に、アンティルたちは一斉に己の武器を納めた。


「あーらら、珍しいな。時間切れとはな」


「はぁ、興醒めだわ。此処からがいいところだったって言うのに」


「今日で490試合目で、240勝237敗で、13回目の引き分けかぁ……」


「ちょっと待って? その240勝は当然私の事よね? そうよね?」


「へ? そんな訳ないだろ、俺の240勝だって」


「これは審議が必要ね。次虚偽の申告をしたら、こっちで裁かせてもらうわよ?」


「お? いいのかそんな事して。もし不正したら、皇帝陛下に密告してやるからな! そしたらお前、二度と俺に悪さできないからな!」


「……はぁ、なんて言うか、あんたに誇りって無いの?」


 エルは堂々と他者に頼ろうとする彼に対し呆れた視線を向ける。そんな彼女の問いにアンティルは能天気に笑って、


「そんなもん、こんな〝体質〟の前じゃゴミよゴミ」


 と返した。エルは「それもそうね」と納得して、背を向ける。


「次は多分、四日後の【十二星会】になるわよね。今度はそこで会いましょう」


「そうかぁ、あと四日後かぁ……帝都行くのめんどいなぁ」


「ほんと、これの下にいる冒険者たちが不憫でならないわ……」


 エルは情けない言葉を吐くアンティルに対し二度目の溜息を吐く。

 そうして彼女はこの広場から去っていき、アンティルも用事が終わったに対する解放感に浸りながら、歩き出す。


「よーし! 取り敢えず食うか。久しぶりに身体を動かしたからなぁ、腹ペコだぜ」

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