第12話 模擬試合①

 中迷宮〝行方知れずの工廠〟にて〝蹂躙の眼のキスト・エルス〟が出現した日から三日が経ち、エルフェスは何ら変わりの無い日常が続いていた。

 市場は相も変わらず賑わい、子供たちが楽しく遊び回っている。冒険者たちもいつも通り近場の迷宮へと行こうとしていた。


 まるで三日前の出来事が無かったかのように穏やかな風景の中、アンティルは街の一角——魔導具屋『ノーフィスの軌跡』の中で寛いでいた。


「いやーやっぱりここはいいなぁ。何て言うか、落ち着いてる雰囲気? というか、無性に眠くなる感じ?」


「また仕事抜け出してきたんでしょう? 別に僕は何も言いませんけど、アリアさんの怒る姿はあまり見たくないので、サボるなら程々にしてくださいよ」


 この魔導具屋の店主であるエメスは端的に言えば「平和主義者」である。

 迷宮に潜りたくもなく、ただ漫然と人生を謳歌する事を信条とする男であり、魔導具屋として活動しているのも、ただの趣味の延長線に過ぎないのだ。


「ま、今日は仕事って程の仕事はないから安心さ! それに、あと一時間くらいで出かけるしね」


「へぇ、珍しいですね。何処かへ視察でも?」


「それは仕事だよ、エメスさんよ。俺はあくまでも、軽くね」


「遊ぶだけ、ですか。これが帝国を牛耳る大規模ギルドの長の発言とは思えませんね。相変わらずですね、本当に」


「お褒めに与り恐悦至極ですよっと」


 アンティルは店内の木製の椅子に掛けて、天井の魔石燈を眺める。

 そんな暇そうな彼を横目に、エメスは商品を棚に陳列していく。穀潰しと働き者が今、この場に同時に存在している。


「じゃあ、そんな偉大なギルド長さんにお願いなんですけど。そこに置いてある腕輪をこっちに持ってきてほしいです」


 雑用としてアンティルを扱うエメスに対して、彼は溜息を吐きつつ立ち上がる。


「俺、ギルド長だよ? こんな雑用させるとか、ほんと見た目によらず豪胆なんだから……はい」


 アンティルは不本意そうな言葉を並べたてつつも、言われた通りのものをエメスに渡す。そして彼は戻って椅子に座り、再び寛ぎだす。



   ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「さーてと! よく眠れたし、とっとと会いに行きますかぁ」


 一時間が経過し、『ノーティスの軌跡』を出たアンティルは伸びをしながら街道を歩きだす。目指す場所はエルフェスの門の近くにある噴水広場だ。

 彼がどうしてそんな場所に向かっているのか?


 それは、ある人と定期的に会っているからである。


「どこにいるかなーっと……あれ? 見当たらない……おかしいな」


 広場に着いて辺りを見回すが、目的の人の姿が見えず、首を傾げた。

 時間を間違えたかな……そう思って広場の時計に視線を向けるが、時刻は集合時間ぴったりだ。


 ——俺がいつになく集合時間に来たってのに、あっちが遅刻してるのかよ。

 これはいい話のタネになるな……へへ。


 なんて企み顔で考えていると、背中からつんつん、と誰かが触れている感覚を覚えた。やっと来たか、と思いながら振り返るが、誰もいない。


「あれ? どこにいるんだ?」


「……何処を見ているのよ、こっちよこっち」


「…………??」


 声がするのに、姿が見えない。アンティルは更に首を傾げた。

 すると、脛に途轍もない激痛が襲い掛かる。


「いったあ——ッ⁉」


「馬鹿にしてるの? 此処にいるって言っているじゃない! 毎回毎回、私の身長が小さいからって意地悪くとぼけて……ほんと、殺すわよ?」


 アンティルの視界の下に、彼女はいた。


 蒼穹色のツインテールは黒いリボンで括られ、氷結色と夜空色の異彩眼オッドアイは宝石のようだ。十代前半と思えるような華奢な体躯は、妖精を髣髴とさせる。

 白と黒を基調としたコートを身に纏っており、彼女の腰には一本の剣が携えられている。


 洗練された十字架のような形状の片手剣には鮮やかな青薔薇の装飾が施され、鞘には古代言語が刻まれている。


「いやいや、俺だってわざとじゃないんだって!」


「なおさらタチが悪いわよっ! ……それにしても、今日は珍しく早いのね」


「そっちこそ、今日は珍しく俺より遅いじゃん、エル」


 彼女の名前はエル=ブラキウム。

 ディルクラネス帝国の冒険者界隈を統べる十二の大規模ギルド【十二星芒】の一つ ——【蒼裁庁】のギルドマスターである。


 どうして【魔蠍の尾】の統治下シマであるエルフェスに別ギルドの長がいるのか。それは、二人の間に——否、エルが一方的に剥き出しにしている〝執念〟が関係していた。


「まぁいいわ、どうせ今日も私が勝つわけだしね。集合時間を守ったいい日なんでしょうけれど、勝たせてもらうわよ? アンティル」


「おいおい、前々回は? それに、トータルだったら俺が240勝で、お前が237勝だろ? 俺の方が勝ってるのに、よくまあまあ……」


「捏造しないでくれる? 私が! 240勝で、あんたが! 237勝よ! 前々回は確かに僅差で負けたわ。でも、今の所私の連勝よ?」


「だからどうしたって話だよ。俺は勿論、お前の連勝記録を全力で潰すぜ? 泣きべそかいても、俺は一切合切関与しないからな!」


「こっちも、あんたが泣き喚いて土下座したら全力で蹴り飛ばしてあげるわよ」


 一触即発、と言わんばかりの怒涛の会話に、噴水広場が熱を帯びだす。

 次第に周りの人間も二人の存在に気付き始め、砂糖を見つけた蟻のように観客たちが群がっていく。


 二人はそれぞれ持っている武器を抜く。


 アンティルは入会試験でも使っていた漆黒のナイフを構え。

 エルは腰に佩いた青薔薇の鞘から剣を抜いて、構えた。


「あーそうだな……そこの剣士くん!」


 アンティルはふと何かを思い出して、観客の一人である剣士の青年を指さした。

 青年は「え? 僕?」と困惑しながらも、二人の前に出る。


「開始の合図係を任せる!」


「え? わ、分かりました……」


 実感が湧かないまま、彼は二人の間に立って右手を掲げた。

 アンティルとエルの表情に、殺意が宿る。緊張感が滲み出る中で、青年は咳払いをする。


「そ、それじゃあ……か、開始っ‼」


 気の引き締まらない声と同時に、右手が振り下ろされた。


 ——【魔蠍の尾】ギルドマスター・アンティル=レスタス。

 ——【蒼裁庁】ギルドマスター・エル=ブラキウム。


 二人の模擬試合の火蓋が今、落とされた。

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