第8話 絶望の黒い牙
「おい、どうして魔獣が……それも、第一級の魔獣がこの迷宮にいるんだよ⁉」
眼前で四人を睨み付ける漆黒の異形の獅子を前に、ジェイルは叫んだ。
ここは中迷宮〝行方知れずの工廠〟——ゴーレムしか敵がいないはずの危険度的にはそこまで高くない、中堅者向けの迷宮のはずだ。
それにも関わらず、どうして魔獣が……それも最上級な強さを誇る
彼らには分からない。分かるはずも無い。強いて分かるのは——
「と、とにかく逃げるべきです! 皆さん、緊急脱出を!」
オスカーがそう声を上げる。すぐに三人はバックパックに入れていた緊急脱出用の転移スクロールを取り出し、使おうとする——が。
『——■■■——』
〝蹂躙の眼のキスト・エルス〟は人類では聞き取れないような意味不明な「言葉」を放つ。すると、ジェイルたちが持っていたスクロールが一瞬にして塵と化す。
ソレの背中についている八つの紅眼が、彼らを見据えていたのだ。
「す、スクロールが……っ」
「くそっ! あいつは背中の魔眼で視認したモノを自在に分解できるんだ! まずはあいつの目ん玉を潰さないと……!」
ジェイルは剣に魔力を流し込み、魔法を放つ準備をする。
まずはあの魔眼をどうにかしなければどうする事も出来ない……四人の認識は同じであった。
「精霊よ、彼の者に降り注ぐ災厄を払え——〝
オスカーが状態異常を一時的に防ぐ精霊術を全員に付与する。これで恐らく〝蹂躙の眼のキスト・エルス〟の魔眼は防げるはず……。
『——■■■——』
そう思っていたが、その僅かな希望は一瞬にして潰えた。
魔眼が、オスカーの展開した精霊術を容易く打ち砕いたのだ。呪詛や魔法の類を寄せ付けない為の精霊術をも突き破る力に、皆が茫然とした。
「ど、どうすれば……」
ティノの額から冷や汗が伝う。このままでは自分たちは殺されてしまう……そんな恐怖と不安が彼らの心を染め上げる。しかし——
「殿は俺がやる。オスカーは精霊を使って【
ジェイルが三人を背にそう告げた。
するとエミリーはいつもの満点な笑顔の面影を消した焦燥の表情で、
「そんなのダメだよっ! 囮になるなんて……そんなのやだよ‼」
と、涙を溜めて叫んだ。それでもジェイルは自信満々な笑顔を浮かべた。
「囮じゃねぇよ。あくまでも時間稼ぎだ、すぐに追いつく」
「あんなバケモノ、ジェイル一人じゃ抑えきれないよ‼」
「やってやるんだよッ‼」
ジェイルは裂帛の声を上げた。
——ここで引き下がったら、間違いなく全滅だ。せめてこいつらを……こいつらだけでも逃がして、少しでも生存者を増やす! その為なら、どんな大怪我もしてやる。だけど……死んでやる気はさらさら無い‼
無謀かも知れない。無駄かも知れない。それでも、誰かがやらなきゃ最悪な未来しかやってこない。
「いいから逃げろッ! リーダー命令だ‼ 頼む……俺の勇気を、無駄にしないでくれよ、な?」
エミリーは反論する事を止めた。そして、踵を返す。
まだ迷宮の再構築は起きていない……六階層に辿り着くまではある程度の余裕がある。オスカーも彼女に続いて背を向ける。
「……絶対、絶対助けるからね、ジェイル‼」
「ええ、そうです。必ず生きてください」
二人はそう言い残して、全速力で疾走していく。
——これで安心して時間稼ぎができる。皆、無事で…………。
「おい、ティノ。どうして逃げないんだよ⁉ 二人とも行っちまう——」
何故か黒魔法師のティノがジェイルの隣に立っていた。
「それでいいの。どうせ、死ぬ覚悟で残るんでしょ? だったら、少しでもその覚悟を負担してあげようかな……って」
「…………いいんだな? それで、本当に」
「うん、覚悟は出来てる」
ティノの瞳は、まだ光が宿っている。希望を持っている、諦めていない瞳の輝き。
ジェイルはそんな彼女の姿を見て、少し安堵した。
「よし……全力で食い止めるぞ‼」
「うん!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おらあああああぁぁぁぁ——ッ‼」
ジェイルは先刻、
黒い異形の獅子は、雄叫びを上げるジェイルを睥睨し、口腔を露わにする。
——来る!
魔眼による攻撃がくる前兆だと察知して、更に加速して右側へと逸れる。
すると正面には既に魔法の起動準備を終えたティノが立っていた。
「——〝
刹那、暗闇に覆われた鋼鉄の空間に白い閃光が爆発する。その閃光はたちまち黒を掻き消し、視界をも塗り潰しにかかる。
当然その閃光は〝蹂躙の眼のキスト・エルス〟の魔眼にも直撃し、視界を潰す。
「ナイスだ、ティノ!」
ジェイルは魔法を起動する事をあらかじめ分かっていた。だから一瞬だけ目を瞑っていたので、彼女の魔法の影響を受けていなかったのだ。
その好機に乗じ、彼は腐蝕の魔法を付与した剣を振り翳す。
「死ねえええええぇぇぇ——‼」
——ジェイルは忘れていた。この戦いはあくまでも時間稼ぎであり、救援が来るまで耐えるのが本来の仕事だ。
それなのに、彼は目の前の敵を殺す事を優先してしまった。
その罪が今、下る——
『——■■■——』
————ザッ。
それは一瞬の音であった。たった一音、何の変哲も無い砂が落ちる音。
ジェイルの動きが止まる。異変に気付いたからだ。
「…………あ? え?」
彼が異変を感じたのは、左腕であった。
視線を落として、視認する。その時に気づいた——左腕の感覚が無い、と。
消えていたのだ、自分の左腕が跡形も無く。
更に視線を落とすと、地面に錆色の塵が積もっている事に気づいた。
ようやく理解した——自分の左腕が魔眼によって消し飛ばされた事に。
「ああああああああああぁぁぁぁぁああああぁぁあああああ————⁉」
絶叫。身体的な痛みは無い。しかし、精神的な痛みは途轍もなかった。
自分の腕が消し飛ばされた事、そして冒険者として半分終わった事への絶大なる負担が彼を内側から押し潰していった。
「ジェイル、早く逃げて! 時間は稼ぐから、早く‼」
ティノは必死に撤退を促す。
——このままではジェイルが死んでしまう……せめて、さっきの閃光魔法と雷撃魔法でどうにか逃げる隙を作らないと!
杖を構えて、魔力を練る。すると——
「は、はは……まだ、終わっちゃいないよ……!」
ジェイルは強気に立ち上がり、剣を握る。
他者から見れば恐らく「冒険者として、戦士としての意義を失った」と大袈裟に思われるだろうが、本人は違っていた。
そう、左腕が無くなっただけなのだ。
まだ戦えると、ジェイル=フォルトーナは考えているのだ。
「こうなったら奥の手だ……! ——〝
ジェイルは体内に残存するありったけの魔力を絞り出して、暗黒騎士として——否、ジェイル=フォルトーナとして使える最大級の闇魔法を発動する。
剣に纏わる漆黒の劫火が闇に溶け込む。しかし、この空間内の魔力を喰らい、燃焼し続けている。
「こっちは左腕を失ったんだ……お前も、左足を失ってもらうぜッ!」
まるで餓狼だ。そう、失ったならば相手にも同等のモノを失ってもらう。
そんな執念が、彼に剣を取らせたのだ。
漆黒の劫火を纏った斬撃が〝蹂躙の眼のキスト・エルス〟の左足を捉え、堅固なる皮膚を——断ち切った。
「よっしゃあ——ッ‼」
一矢報いたと。ジェイルはひたすらに歓喜した。これなら足止めとして十分な成果だろう。彼はそう思い、迅速に距離を取る——否、取ろうとした。
『——■■■——』
しかし彼の異形の黒獅子は足を一本失った程度では動揺しなかった。
またしても奇妙な言語を吐き、そして——
——今度はジェイルの左脚を見据え、灰燼と成す。
「くっ…………⁉⁉」
体勢を崩し、その場で倒れ込む。
——マズい。このままじゃあ間違いなく死ぬ……逃げる手段が無くなったようなものだ。これで……これで終わりなのか?
ジェイルの脳裏に浮かんだのは、自分の死とそして——背後にいるティノの死だ。
彼女はただの魔法師。あんなバケモノを前にして逃げ切れるとは思えない。
「いやぁ……ジェイル、ジェイルぅ……‼」
——ったく、いつもすまし顔してるくせに、どうして今になって泣くんだよ。そんなの、反則だぜ……。
あぁ、クソ。身体が上手く動かせねぇ……。せめて
嫌になる程の絶望。
冷たい鋼鉄の迷宮に佇む魔眼の黒獅子を前に、ジェイルは願った。
——誰もいいから、誰か俺たちを救ってくれよ……ッ‼
————そう願った、刹那。
——光が、見えた。
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