第6話 四角関係
凛さん。
洸太郎の実姉である。
僕らとは二つ違いの現在大学一年生、来年大学二年生だ。
背まで伸ばした明るい茶髪は毛先までまっすぐに伸び、夜明かりに美しく照らされ、何処か動揺に揺れる双眼は、猫のようにまん丸で可愛らしく無表情の僕を映している。
「盗み聞きなんてどうしたの? そんなことする人だったっけ」
「そ、それは……」
きまり悪そうに口籠る仕草一つでも、気品があるように感じる。流石モデル。
一体何処で聞いていたのか、せっかくの綺麗なコートに草が付いている。
「た、たまたま通りかかって……ごめんなさい」
「たまたま通りかかったらって、理由になってないじゃん」
「ご、ごめんなさい……」
少しイラっとしてしまったからか、棘のある言葉が出てしまった。
なんか今日はやけに謝られるな……大体僕が悪いか。
少し空気を変えよう。
「いつから聞いてたの? あと、草ついてるよ」
「え? ど、どこ⁉」
凜さんは素っ気なく言った僕の言葉に、顔色を変えると慌てて自分の体を見渡し始めた。
……まったく、そんなに焦っても仕方がないじゃん。
「わきの下だよ、凜さん。そそっかしいね」
「あ、ホントだわ……ありがとう」
「いいえー」
暗闇では分かりづらいけど、凜さんは恥ずかしそうにお礼を言ってくれる。
結局質問には答えてもらえてないわけだが、まあもういいか。
一気に緩んでしまった空気に僕も当てられてしまった。
葉を取った凜さんはあからさまにほっとしたように肩を降ろしている。
(ホント、わかりやすい人……)
変わらないものがあることに、少しだけ笑みを零してしまう。
「よっと……」
地面に座っていたら全く視線が合わないので、さっきまでなずなが座っていた滑り台に腰を下ろした。
「凜さんも座れば?」
「あ、うん……どこに?」
「…………」
考えてなかった。流石に凜さんに砂場に座らせるわけにはいかない。
「えっと……どうしようかな」
暗闇の中で所在なさげに土を踏み鳴らす音が耳朶を叩く。
「はぁ」
のぞき見をしていた手前凜さんからは何かを提案することはできないだろう。
別に話なんかないんだけど……仕方がない。
なんか気まずい空気が流れてるので、僕が言うしかないか。
「ごめん。話があるなら、ベンチに座る?」
「あ……うん。ありがとう」
嬉しそうに微笑む綺麗な顔が月明かりに照らされて僕の視界にも入ってきた。
見惚れるほど綺麗だ。ファンがたくさんいて当然。
でもホント、似てないよな、洸太郎。
「何気に初めて座るかも、このベンチ」
「そ、そう? 私は結構あるかも?」
「へぇ」
公園の入り口の近くにあるベンチに腰を下ろすと、凜さんが少し躊躇しながら僕の隣に腰を下ろした。
この椅子あんまりきれいじゃないし、何でそんなに座る機会があるんだろうか。
興味なさそうに返事しといてなんだけど、少し気になるな。
と、そんなことを考えていると、何やら隣で物言いたげにもじもじする凜さん。
「どうしたの? なんかずっと何か言いたげだけど。言いたいことがあるなら早くしてね。僕夕ご飯も食べてないんだ」
「そ、そうなの? もう十一時近くなのに……」
「そうだよ。そんな時間に揃いもそろって女の子が……」
「わ、私は仕事だったから……! 車で送ってもらったしっ」
「じゃあここまで来れなくないですかぁ? ここに降ろしてもらったの、わざわざ?」
「うっ⁉」
図星だったのか、うめき声をあげてバツが悪そうにそっぽを向かれてしまった。
ただでさえ盗み聞きしたことを気に病んでいるようなのに、追い打ちをかけてしまった。
……ホント、僕の悪いところだ。ひねくれてる。
そんな僕に、隣に座ってるだけでそんな赤い顔しないでよ……困るって。
(どこがいいんだか……)
内心をそんなことを吐き捨て自嘲に笑う僕。
唇をゆがめる僕に気づかず、せっかく変えた空気が元に戻ってしまった中でも帰ろうとしない凜さんは、膝の上でこぶしを強く握りしめていた。
「………話、そらしちゃったね。聞くよ」
「ううん、私が悪いんだもの……」
凜さんは小さく首を横に振ると、覚悟を決めるようにグッと拳を強く握った。
そして顔を俯かせたまま、その感情を隠せない声を零した。
「陽……なずなのこと、好きだったんだ、ね……」
「うん。そうだよ」
震えを隠せてないその言葉に、僕は何でもないことのように返した。
凜さんは酷く顔を真っ青に染めると、一層震えがひどくなった唇を動かす。
「い、いつから……?」
「十年前だよ」
「……十年。それって陽のお母さんが……」
「そう、離婚した時辺りだね。父さんの浮気で」
「…………っ」
凜さんは何かを堪えるようにグッと下唇を噛み締めた。
なずなのことをよく知る彼女のことだ。その時にどんなことが起こったのか、なずなが僕に何をしてくれたのか、よくわかるはずだ。
でも、貴方が何を思うが全部終わったことだ。
そう……たった今、今日、全部が終わったことだ。
「でも聞いてたなら知ってるでしょ? なずなは洸太郎が好きなんだ。あの子は一度振られたくらいで諦めるような子じゃないよ」
「それでいいの……? 好きな子が、他の人のところに行っちゃうんだよ……?」
自分は耐えられないとでも言うように、まるで自分のことのように眉を顰める凜さん。
「いいって、何が?」
何を言っているのかまるで分らない。
全て僕のためにやってことだ。
いいも何も、僕はなずなのことを心の底から思ってやったことじゃない。
「好きな人に幸せになってほしいって思いは、間違ってるのかい?」
「間違ってないっ! ……間違ってないけど……」
悲し気に笑ってみせると、凜さんは咄嗟に身を乗り出して否定するが、僕の顔を見ると眉を下げベンチに座り直した。
「……それは、嘘よ」
そして、顏を俯かせ、独白するように。
「意味が分からない。何も嘘はないよ。僕は本気でそう思ってる」
「絶対嘘! 本当にそう思ってたら……そんな悲しそうな顔してないよ」
凜さんは悲痛に嘆いた。
悲しそうな顔……? そんなわけない。
確かに好きな人が好きになった人であってほしいというのも、みんな一緒に居たいというのも僕の事情だが、極めて自然な願いのはずだ。
何よりなずなに、なずなのまま幸せになってほしいという思いに嘘はない。
それをどうして、貴方が嘘だなんて言えるのか。
「こんなに頬が緩んでるのに何でそんなこと言うんだい? 何を以て?」
「そんなの、見ればわかるよ……わかるに決まってる」
「…………」
断言。凜さんはわかりやすく微笑む僕を確然とした目で見た。
わかるに決まってる、か。
答えになってない。なってないけど……。
「ホントは、ショックだったんでしょ……? なずなが洸太郎に告白して……」
「そんなことはないよ。もう何年も前から知ってたからね。覚悟もできるさ」
「覚悟ができることと実際に見て感じることは別でしょ……?」
気遣うように柳眉を寄せる凜さんは、飄々と肩を竦める僕に騙されてはくれなかった。
……そこまで見られていたとは、思わなかったな。
なずななんて馬鹿みたいに正直に信じて走っていったのに。
それでも突き放さなければならない。そうでなければなずなにしたことの意味がなくなる。
「それで? だから何? もしそうだったとして凜さんにはあまり関係ないでしょ? もう終わったことじゃないか」
およそ心配してくれる友人に言う言葉ではない。
凜さんは僕のろくでもない発言に、一瞬傷ついたように悲し気に口を歪めた。
「それは……」
きっと何かを言おうと思っていたのだろうが、口籠り視線を彷徨わせる。
凜さん、貴方も僕と一緒だよ。
結局何も言えない。関係が変わることを恐れて本音を出せない。
そう、思っていた。
「——ッ」
凜さんは、何を思ったのか突然立ち上がると、僕の目の前に立った。
「どうしたの?」
「………さっき言ってたでしょ? 好きな人には、幸せなってほしいって」
真っ直ぐ僕を見る凜さんとしっかりと目を合わせると、彼女は一瞬動揺に瞳を揺らし、頬を紅潮させていく。
「うん、言ったけど……」
「わ、私だって陽には悲しい顔してほしくない……っ」
「——っ⁉」
凜さんの緊張で強張りながらも必死に吐露したその言葉に、僕は大きく目を見開いた。
……うそでしょ。
そう思っても、もう止められない。
真上に上がった満月は明るい彼女の髪を照らし、はっきりと僕に凜さんの表情を叩きつけてくる。
目尻に涙を浮かべ、紅が指した頬をぐっと持ち上げ、そして凜さんは、
「だって、私は———貴方のことがずっと好きだったもの!」
咄嗟に手を伸ばした僕に、はっきりとそう叫んだ。
「うん———」
凜さんは一転して真っ赤に染めた表情を浮かべ潤んだ瞳を揺らし、その中に表情を無くした僕を映していた。
———ねぇ、なずな、洸太郎。
もう、無理のようだ。そして、淡い期待だったようだ。
四人一緒はやっぱり絶対に無理だよ。
だって、なずなが洸太郎を好きでも洸太郎が受け入れることは、どうしても考えづらい。
何故なら、洸太郎は実の姉である凜さんのことを、愛してるのだから。
そしてその凜さんが僕のことを好きでいる以上、この歪んだ関係が明確になった時点で綺麗な姿を失い、ドロドロとした気味の悪い何かに変じていく。
(ああ、ほんと、余計なことをしてくれたね、なずな、凜さん)
こんなことを思う僕は、きっと地獄に落ちるだろう。
「凜さん、僕はね———」
——————————
一旦ですが、これにて完結とさせていただきます。
陽介が何と答えたかは皆様のご想像のままに、とさせてください。
一方通行な四角関係~好きだった幼馴染が親友に告白した。そして親友の姉に告白された、僕が~ テスト @noblel89
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