第5話 妄執 執念 醜悪な

「僕に君を縛り付ける資格はないよ。僕のために、諦める必要も後悔する必要も、ない」

「——っ」


 はっと、なずなはぐちゃぐちゃな酷い顔を僕に向けた。


 何も知らずに君が告白した場面を見てこの場にいたのなら、きっとこの言葉は言えなかった。


 知っていて、全部知って、見てみぬ振りを止められたから、やっと言えた。


「今まで、ごめんね、なずな」

「よ、陽介……?」


 なずなはいつしか涙の枯れ、赤く腫れた双眼を呆然と向けてきた。

 

 そんなあり得ないものを見るような目で見ないでよ。


 君が告白をしてしまった時点で、もう僕の望みは既に壊れてしまっている。


 それなのに、僕がいつまでも怯えて縋っていたから、君は自由に恋をすることができなかったんだ。


 それが、ようやくわかった。


「僕が臆病だったから、ずっと足踏みさせてしまったね」

「——」

「今も、次に進もうとしていたはずの君を、やっぱり僕が留めていたみたいだ」


 君を恨むのは筋違いだった。


 君に告白をする勇気を持てなかったのは僕で、この関係をいつまでもと、わがままを言っていたのも僕だ。


「君は、悪くない。だからもう、謝らないで。君は、何も悪いことなんてしてないんだから」


 知っているのは僕だけでいい。僕らの関係がもう元には戻らないことを知るのは、僕だけで。


 君は、君らしくいてくれれば、それが一番嬉しい。


「どう、して……! だって私のせいで、今まで通りにはいられないんだよ……⁉ 陽介、また、一人になっちゃう……!」


 感情が溢れ、再び目尻に涙を浮かべ、悲痛に訴えるなずな。


 優しい君のことだ、僕が何を言っても僕のことを気遣って、後悔を続けてしまうんだろうね。


 だからこそ、僕がちゃんと言ってあげないと。


「………僕は、もう大丈夫だから」


 自然と眉を下げ、呟くように。


 もういいんだ。僕さえ全てを捨てれば、諦めれば、君は自由だ。


 優しい君は今みたいに僕を心配して泣いてくれるんだろうね。


 でも僕はもう、それを望まない。望んじゃいけない。


「君はまた、自分らしく進んでいけるよ。そうしてほしいんだ」

「じゃ、じゃ、陽介は⁉ 陽介は、どうするのっ」

「僕も好きにやるさ。皆、そうやって生きている。自分大事、自分一番でいいじゃないか」

「で、でも私は陽介のことだって——っ」


 咄嗟に顔をぐっと近づけて、嬉しいことを言ってくれるなずな。


 でも僕は酷いけど、ゆっくりと首を横に振った。


「ううん、それは違う」


 諦めなければ、代わりに君に縋れば、僕は一人にはならないのかもしれない。


 伝えれば、きっと君は拒まない。


 でも、彼女が僕を気にかけてくれているのは、好きだからじゃない。


 ——憐憫だ。

 

 それを、十年、痛感してきた。

 なずな自身は気づいていないだろうけど、君が僕を見る目はいつだって同情の色が宿ってる。

 

 拒まないけど、君を苦しませ続け、僕の望みは修復不可能なほどに粉々になる。


 だから、足を引っ張り続けた僕が、君にこの想いを伝えることはできない。


 君は僕と皆を同じようには、見ていない。そんなこと、言えないけどね。


「ち、違くない! 私は、洸太郎だけじゃなくて、皆のこと……みんなの、こと……」


 僕の理由のない否定に、咄嗟に大きく否定を叫んだなずなだが、その痛々しい叫びは次第に尻すぼみになっていった。

 

 きっと今の君に浮かんでいるのは、洸太郎だろう。


 僕と凜さんと洸太郎では、君が抱く想いはそれぞれ違う。

 

 そんなのは当たり前だ。当たり前だからこそ、普通の人間はそこに優劣をつけるんだ。


 僕は君に思いを伝えることよりも皆を選んだだけ。

 君は、洸太郎をもう選んだんだ。


 だから、


「言ってよ。僕に君の背中を押させておくれ。君は、どうしたいんだい?」

「————」


 その時、なずなの乱れた顔に浮かんだのは、後悔と、未練だった。


 嫌じゃないのか? 辛くないのか?


 嫌に決まってる。辛いに決まってる。

 何よりも誰よりも大切な人が他の人を好きだなんて、辛かったよ。


 辛かったけど——。


(なんて、皮肉なんだ……)


 洸太郎に好かれるために、真っ直ぐ進む君は僕が君を好きになったあの時よりずっと、魅力的だったから。


 それでも臆病者でしかない僕が、君の足を引っ張って、君の美しさを汚すわけにはいかない。


「でも、私はもう——」

「僕は、いつもの幼馴染四人が好きだから、皆が好きなんじゃないよ。皆が好きだから、一緒に居たいって思うんだ」

「あ—————」


 それだけは嘘じゃないよ、なずな。


「君は考えなしだけど、自分のしたことや自分自身に負い目を感じない。いつだってバカみたいに実直に自分に正直でいてくれるからそれが君の一番の魅力で、皆君が好きなんだよ」


「陽介——」


「みんなや、僕の手を引いてくれる明るさが僕のことも救ってくれた。君には、そのことを後悔してほしくなんだ」


 自分のしたことが四人のキズナを壊すことに繋がるなんて、思ってほしくない。

 僕に温かい思い出をくれたことを後悔してほしくない。

 

 それだけは絶対に。


「言ってくれ、なずな。君がしたいことを」

「わ、私、は……」

「うん」


 舌を縺れさせながら抱いた思いを紡ごうとするなずなを焦らせないように、静かに頷く。


 そして、顏を跳ね上げたなずなは、いつものように強い光を宿した瞳を揃えていた。


「私は——っ!」


 わかってるよ、なずな。


 君のことはなんでもわかってる。

 君は一度振られたくらいで諦めるような人じゃない。


 君はまた、一直線に進んで行ってくれる。


 それを思えば胸が痛いのを無視できないけれど、もういいんだ。

 

 僕のことは、もうどうでもいい。僕の事情など忘れてしまえ。


 だって僕は、この望みだけは絶対に捨てはしないのだから。


 一度、君が壊したからなんだ。ずっと前からわかっていたことじゃないか。


 全部が元に戻ることは、決しない。この関係に戻ることはあり得ない。


 でも、諦める必要は全くない。またみんな一緒に居られるはずだ。


 でも、君が自分のしたことに後悔してしまったのなら、君が再び立ち上がることは無くなる。


 それじゃあだめなんだ。それじゃあ本当に四人はばらばらになってしまう。


 僕らがもう一度一緒に居られるには、君が自分の思いを叶えるしかない。


 それだけが、まだ僕らが一緒に居られる条件だから。

 

 願わくば、洸太郎の思いを変えて、どうかまた一緒に居たいから。



 ———そうだ、そのためなら、僕は全てを捨てられる。




 なずなが走り去った公園で、僕は一人、呟いた。


「——そんな君が好きだったから、一石二鳥だね」


 その声が少し震えていたことは、僕だけが知っていればいいことだ。


 その、はずだった。



「何で……何で、ずっと嘘ついてるの……陽」

「ああ……」


 砂場に一人、力なく座り込む僕に向かって歩いてくる覚えのある姿に、疲れたように笑みを零した。


「聞いてたんだ……凜さん」



——————————

はい、前話で言った通り、自分のためでした。すみません。


一応あと一話で終わりにするつもりです。

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