第4話 君が
◇
小学校のころまではよく一緒に遊んでいた公園に、何処か虚ろに見えるなずなの手を引いてやってきた。
滑り台の平坦なところに座らせ、僕はその目の前の砂場に立つ。
なずなは手を引きながら出なければ、ふらふらと道路にでも躍り出そうなほどに憔悴しているように見えた。
今も僕が目の前に立っているというのに、ぎゅっと握った手を意味もなく握りしめている。
僕は何となく居心地が悪く感じ、小さく堰をすると話を切り出す。
「いつもならあんな軟弱男軽くひねるのに、どうしたってのさ」
「うん……」
無遠慮な僕の問いに、なずなは苦く微笑む。
答えになっていないただの返事に、相当やられてるなと頭を掻く僕。
「…………」
何処か乱れた髪を頬に垂らし、表情に暗い影を落とすなずなは、口を何度か開こうとして、閉じてしまう。その度に何かを思い出すように泣きそうになっている。
こりゃどうしたものか、と思うと同時に流石の僕でも「ふられてやんの!」などというわけにもいかない。
普段ならともかく僕がのぞき見していたことを知らず、一人傷心する彼女にそんな空気の読めないことはできない。
「…………」
「…………」
そのまま微妙な空気のまま、二分ほど経過。体感十分だ。
話を聞こうとしたのは僕だけど正直地獄。
(何が悲しくて好きなことの失恋話を聞かにゃならんのかね……)
内心そう愚痴りながらも、仲のいい幼馴染がこんな死にそうな顔しているのに放置は逸れこそおかしいというものだ。
すると、微妙な空気を裂くように、ぽつりとなずなが口を開いた。
「………ごめんね」
「……なにが?」
「……」
ようやく吐き出したその謝罪は僕にはあまりに色々な意味が込められているように感じた。
なずなはそれ以降また口を閉ざし、その真意を言おうとしない。
(二人でいてこんな気まずいのは久しぶりだ……)
関係性の変化の序章のようで、僕にはすごく嫌だった。
いや、僕が勝手に思ってるだけでなずなは勇気を出そうとしてくれているんだろうけど。
まぁ、今は僕のことはいい。なずなの覚悟に水を差すわけにもいかない。
僕は待つさ。
「よいしょ……」
あまり威圧感を与えないように、彼女より視線を下げるべく砂場に座り込む僕。
寝巻なんだが……ま、いいか。
すると効果覿面だったのか、それとも目が合ったからか、彼女は再び震える口を動かした。
「陽介、あのね……」
「うん……」
「私、洸太郎に、告白したの……」
「そう、なんだ……」
知っていた。その結末も答えを聞かずとも僕は予想できた。
そんなことを思う僕は一体どんな顔をしていたのだろうか。
なずなは僕の表情に虚ろだった視線を送るとはっと瞳を揺らし、泣きそうな顔を隠すように、いつもの陽気な笑顔を張り付けた。
「お、驚いたでしょ! 私が洸太郎のこと好きだったなんて……!」
何でもないことのように、僕に心配させまいとするように、健気だ。
でも、知っていたよ。
君がいつだって隣を歩く僕じゃなく、少し前を堂々と進む洸太郎に熱い目を向けていたのを。
僕と手を握ることよりも、洸太郎と少し手の甲が触れることを喜んでいたのを。
僕に見せる溌溂とした笑顔は、洸太郎と会う時は恋に溺れた少女のように潤んでいたのを。
全部、知っていたよ。
「うん、驚いた」
それでも僕は、嘘を吐く。
なずなのためではなく、僕自身のために。
目じりを下げ、微笑んでみせる僕に、なずなは心なしか安堵したように息を吐く。
「そ、そうだよね。がさつな私がバカ真面目な洸太郎のこと好きになるなんておかしいもんね」
あはは、と愛想笑いを浮かべて茶化すなずな。
らしくない、そう思ってしまった。
彼女が自分のことをがさつだと思っているのは知っている。でも決してそれを欠点だなんて思うことはなく、自分らしく、彼女らしく生きている。
それが僕の知る、なずなという格好のいい女の子だ。
でも今の彼女は自分を恥じ、悔いているようにすら感じる。
乾いた笑みの裏に堂々と張り付ける、泣きそうな顔。
「バカだなー、私。釣り合うわけなのにね、あはは……」
それは答えだよ、なずな。
きっとそこまでは言うつもりなかったんだろうけど、誰かに聞いてほしかったんだろう。
(そんなことない、とか、言ってあげたいけど……)
自分の思いにすら蓋をし、わかっていた結末を止められなかった僕にはできない。
いつ壊れてもおかしくなかった四人の仲を守るために嘘を吐き続け、見てみぬ振りをし続けた僕は持ち合わせる言葉がない。
「や、やだ、そんな顔しないでよ! まだどうなったかも言ってないじゃん!」
「そう、だね……」
やってしまった。感情が顔に出ていたらしい。
彼女も本気で言ってるわけがないと分かっている。
しかし、弓なりに曲がった目は何かを耐えるように震え、奥歯を強く加味しているのか唇も痙攣していた。
……ここまでくれば、もう誰でもわかるよ。
何も慰めは言ってあげられないけど、せめて話を聞いて少しでもすっきりさせてあげよう。
「……じゃあ、答えは聞かない方が良い?」
「あはは……ごめんね。陽介頭いいから、わかっちゃうよね……ごめんね」
「うん、わかるよ。ずっと一緒に居るんだから」
そうじゃない。僕はそんなんじゃない。
頭がいいなんて、ついでだよ。
ただ、君のことを、君たちのことを誰よりも見続けていただけだ。
だから余計に、なんだろう。なずなは酷く気に病んだように唇を噛んだ。
「……ごめんね、陽介」
なずなは、少しの沈黙の後にまた僕に謝った。
申し訳なさそうに眉を下げ、目尻に涙を浮かべ、小さく頭を下げるその姿に、僕は理由をわかっていながら問わずにはいられなかった。
「さっきから何で謝るの? 辛かったのは君じゃないか」
「だって、陽介……」
そんな泣きそうな顔しないでよ。
振られて傷ついたのは君だ。それなのに会った時から君は僕に謝り続けている。
(なら……君も、わかってたんだね。僕の気持ちに。わかってて、告白したんだ……)
そう思った時、僕の心臓がきゅうっと縮まるような感覚がした。
それは僕が、僕ら四人の関係を何よりも大事にしていたということだ。
それを、彼女の一言が壊した。いや、彼女にとっては「壊すかもしれない」か。
「それは、君が謝ることじゃないよ」
「だって、私が告白したせいで、洸太郎、もう私に話しかけてくれないよ、きっと……っ。大学生にもなっちゃうし、余計に、私達とは会ってくれないよっ!」
「——?」
僕は思わず彼女の言動に首を傾げる。
……さっきからやけに「らしくない」行動がが目立つな。
弱気になることはあっても、自分のことに関しては前向きであることは絶対に忘れないのがなずなだ。
そのなずなが、やはりずっと後悔したような言動をしている。
その違和感を覚えつつ、宥めるように彼女の震える肩に手を置いた。
「確かに僕はみんなが好きだよ。皆と一緒に居られる時間は僕の人生で、これほど幸運に思えたことはない」
「だったら——っ」
「でも、それは君も含まれてる。僕は君と出会えたことも嬉しく思ってるんだ」
目を真っ赤に腫らすなずなに、優しく語り掛ける。
一つのものを守り続けるために、少ない自分の感情を捨て続けた人生だった。
父の不倫、母の育児放棄、祖父母の不干渉。
父がいなくなってから多少はマシになったとはいえ、依然母は滅多に家に帰らない。
そんな僕が一人で寂しくなかったのは、皆が一緒に居てくれたからだ。
暗い部屋で一人膝を抱えていた時は、なずなが引っ張って外に連れ出してくれた。
家族問題に悩んでいた時は、洸太郎が一緒に悩んでくれた。
お腹が空いて辛かったときは、凜さんがご飯をくれた。
皆の両親も事情を知った上で優しく僕を迎え入れてくれた。なずなのお母さんなんて母の僕への仕打ちを知って本気で怒ってくれた。
本当に、本当に、こんなに幸せな人間関係を築けたことは、僕のこれから先の人生で上回ることにない幸運だ。
この結末はいつか来るべきものだったんだ。
僕が君を好きでも、君が洸太郎を好きで、洸太郎が、君を好きでない限り、いつか絶対来ることだった。
その覚悟は君の気持ちを知ったあの日から、持っていたつもりだ。
それでも、僕は——
「皆には、感謝してもしたりない。たくさん、一緒に居てくれたから。でもそこから君を省くつもりは——」
「陽介……」
僕の言葉を遮るように、なずなは一筋に涙を真っ白な頬に流した。
肩を震わせ、膝に置いた拳は痛いほどに握られていた。
……やはり、そうか。その涙は決して感涙などではなかった。
「——ごめん……! わ、私、やっぱり、告白なんか、するんじゃなかった——っ」
「—————」
「そうすれば、私———っ」
悲痛に叫んだなずなは、涙腺が決壊し、滂沱の涙を流していた。
その時、僕は理解してしまった。
(ああ、そっか……君はやっぱり優しい人だから)
ホントは沢山僕に愚痴でも零したいだろうに、会ってからずっと、なずなは僕に謝ってる。
僕と会ってからずっと、何かに後悔したように罪悪感に満ちた顔をしている。
(僕に会ってしまったことで、君は、自分のしたことを後悔してしまったんだね……)
僕が与えてしまった、後悔してもいいという『免罪符』に彼女は縋ってしまったんだ。
告白しなければよかった。
告白しなければ、僕の望みはもう少しだけ続いた。
告白しなければ、気まずくなって話せなくなることもなかった。
告白しなければ——振られることもなかった。
(ごめんね、なずな……そんなことを思わせてしまって)
心の中で、目尻を真っ赤にして泣きじゃくるなずなに、謝る。
(全部、僕のせいだね……僕が君を縛り付けていたんだ)
……バカだな、僕は。
その涙に、ようやく彼女の本心と僕のやるべきことを悟る。
(決めたよ、なずな。僕は———)
なずなが好きなら、この結末を喜ぶのか?
それとも好きな女の子が悲しんでいるのを慰めて、チャンスにするのか?
違うと思う。
きっとどれも違うと思う。
本当に好きなら、自分が相手に、皆にどんな思いを抱き、押し付けようとしていても。
自分が、たくさんの思いを諦め、その末に手にしようとしたものが壊れそうになっていても。
もし好きな相手が前へ進もうとしているのなら。
もし好きな相手が自分を見失ってしまいそうになっているなら——
「うぅ、ごめん……陽介、ごめんねぇ……うぅ、ごめんごめん……っ」
「なずな——」
膝に涙に濡れる顔を押しつけ、嗚咽を漏らす彼女を撫でようとして、直前で手を引っ込めた。
伸ばそうとした手を、黙って自分の胸に押し付ける。
代わりに僕は、後悔と罪悪感に止まらぬ雫を溢れさせる、愛した女の子に語り掛けた。
「バカだなぁ、君は」
バカだな、僕は。
打ちひしがれる君に、何をすればいいのかイマイチ分からなかったけど、もう決めた。
慰めて、適当な言葉であしらうんじゃ、誰のためにもならない。
——だったら僕は自分の何もかもを捨ててでも、僕は君の背中を押すよ。
だって僕はそんないつもの君が、好きだから——全部、全部僕のためだよ。
だから、これからどうなっても、君はなにも気にすることはないんだ。
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恐らく「好きならもっと、なんかあるだろ!」や「なんか、押し付けすぎじゃね?」など陽介の感情や行動に疑問を抱く方も少なくないと思います。
それを含めて陽介の不透明だった感情の部分は次で纏めるつもりです。
もうしばしお待ちを!
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